第7話 不倫の訳

 山野井忠明(やまのい・ただあき)は四十八歳、對田建設工業の経理課係長である。

 一年前、上司の高知悟(こうち・さとる)課長が享年52歳で亡くなった。絞殺死体が東京湾に浮かんでいるところを発見されたのだった。

山野井も警察から随分と事情聴取を受け、相当疑われていたと今でも思っている。

水死の為死亡推定時刻の範囲が半日以上にも及ぶことや物証が何も無かったことで事件は迷宮入になりそうな雰囲気だ。


 課長の席が空き、経理を知らないと務まらない職種なので、山野井が昇進するものと考えていたのだが、何時まで経っても辞令はでない。

それで、半ばやけになって残業をしなくなった。

ただ、課長の所へ社長が週一くらいで顔を出して小一時間ほど話をしていたのが不思議でならなかった。

山野井の知らない秘密の仕事でもしているのかとも考えたが、考えてわかるものでもないのでバカらしくなって想像しないことにしたのだ。

 

 今日も、午後五時時間通りに退社し、約束の隠れ居酒屋へ向かった。すべて個室のため傍目を気にする必要がまったく無いのだ。

同じ課の栃坂秋穂(とちさか・あきほ)を待っていた。

彼女は山野井とは十五も歳は離れているが落ち着いていてもっと年上な感じだ。

一方、山野井は役付きだが、それほど上昇志向は無く妻のあきらと作る家庭の幸せな日々だけを願っていた。

しかし、結婚して二十年になるが子宝に恵まれなかった。病院へも行ったがどちらかに欠陥があるというわけでもなかった。

 それで何となく家に帰るのも辛くなり、たまたま決算期に一緒に残業していた秋穂を食事に誘ったのが切っ掛けだった。

彼女の若い肉体と包容力にすっかりのめり込んでしまい引き返すことが出来なくなってしまった。

子供ができたらそれでも良いと思って避妊はしていない。

秋穂もそういう山野井の思いを感じ取って何も言わずに山野井を受け入れている。

……帰宅したのは日付の替わる少し前だった。

 

 茶の間に灯りが点いている。あきらが起きているのはいつものことだ。

「ただいまぁ、風呂入れるか?」あきらの顔を見ることもなくそう言いながら、わざと背広、ワイシャツ、靴下、下着を風呂場に向かって順に脱ぎ捨てて行く。

きっと女の影を感じるだろう。

「湧いてる……食事は?」と、あきら。

「食べてきた」

毎日のように繰り返される短い会話。レコーダーで再生しているようだ。

 

 でも、仕方がないんだ。子供ができない以上、畑を代えるしかない……あきらが嫌いになった訳じゃないが、身体を知り尽くしてしまうと熱中する対象にはならなくなる。その時子供がいれば二人で子供の為に気持を合わせることが出来るはずだ、というのが山野井の持論と言っても良いだろう。

 だから、子供ができない二人に結婚している意味を見いだせない。

 

 

 あきらは山野井が帰って来て風呂場に向かって脱ぎちらかしたワイシャツやズボンなどについた長い髪の毛、香水の匂い、ソープの匂いなどから夫の浮気は間違いないと確信している。

深夜でも家に帰ってから真っ先に風呂に入るのは女の臭いを消すためだということは百も承知よ。

それも一度や二度ではないもの。

 腹に据えかねて同じ町内の岡引探偵事務所にそれらの証拠品を持参し夫の浮気調査をお願いしたいと思ってるの。

相手が誰なのかはっきりさせたうえで問い詰める積りよ。

 

 あきらは、子供が出来るのを楽しみにしてきたんだけど、四十四歳になってはもう諦めるしかない。山野井は浮気相手に子供でも出来たらきっとあきらに別れを切り出すつもりなのよ。

だから、女の影を隠そうともしない。

それなら自分も今から新しい恋を見つけてみたいと思うようになって、それで近所のコンビニにパートで働くようにしてみたのよ。

 

 

「ごめんくださ~い」

二階の探偵事務所の入口のところで客だろう声がした。

「は~い」

岡引一心はよそ行きの声を作って客を迎える。

今日の客は若々しい女性客だ。

「どうぞ、座って」

一心は名刺を差し出して用件を訊く。

「あの~、主人が浮気をしているようなんで……」

「あ~、そうですか、それは心配ですねぇ。ご主人の写真と勤め先と携帯の電話番号教えて貰えます?」

山野井あきら四十四歳と名乗った客は、一心が要求したものを全部テーブルに並べた。

「準備がよろしいですね」

一心が微笑みかけると、あきら夫人は

「え~、早いとこはっきりさせて欲しくって」

一心が状況を訊くと、夫人は、主人はばれても良いと思っている、と感じているようだった。

「浮気がはっきりしたら奥さんどうするおつもりですか?」

余計な事とは思いつつ興味半分で訊いてみると

「分かりません。問い詰めて別れさすか……私が分かれるか。多分、原因は子供が出来なかったことだと思うので、浮気相手にそれを求めていたなら……私が引くしかない……」

あきら夫人はぽつりと涙を零した。

「こりゃ余計なことを訊いちゃいました。すみません」

そこに静がお茶を持ってきて、そのまま一心の隣に座り、

「すまんこってす。こん人細かい気ぃ使えへんのですわ。堪忍しておくれやす」

あきら夫人は静の言葉を理解するまでの少しの間ぽかんとしていたが、

「あっ、いえ、大丈夫です。お気になさらないで」と、微笑んだ。

その後静から費用面だとか日程の説明をして、契約となった。

 

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