探偵は忙しい
きよのしひろ
プロローグ
「こらっ、どこ投げてんのよ!」
竜二(りゅうじ)は不愉快そうな口調とは裏腹にボールを追いかけるその顔には楽しさが満ち満ちている。
「ごめん、手が滑った」
キャッチボールの相手は同級生の吉郎(よしろう)。十歳になっても相変わらず一緒に遊んでいる。
物心が付いたときから一緒に遊んでいたので、特別仲がいいとかと言う意識はなく家が近いから学校が終わるといつも一緒に隅田川近くの公園で遊んでいる。
竜二らの近くでは小学校に入る前位の幼い子供らが五、六人キャーキャー騒ぎながら走り回っている。その親たちだろう大人はどうやら公園の屋根のある休憩場所で話に夢中のようだ。
突然、「きゃーっ! さとるくんが落ちた~」女の子の悲鳴が響き渡った。
二人は慌ててボールもグローブもそこに放って声のする方へ駆け寄ると、男の子が一人川に流され川面に顔を出したり沈んだりしている。
手でバシャバシャ川面を叩いているだけで泳げてない。
「吉郎! 大人を呼んで来い!」
竜二は叫んで川へ飛び込む。
――自分がどれほど泳げるのか? なんてまったく頭には浮かばず子供のとこまでそう距離は無い、急げ! しか思わなかった。
子供が水から顔を出したところで子供の脇の下に腕を差し込んで抱き寄せ
「今、助けがくる! 頑張れ!」と励ます。
が、子供はパニックを起していて泣き叫び手足をばたつかせ、まったく声が届いていないみたいだ。
どうしたら良いんだ?
「暴れるなっ!」
叫ぶしか思いつかない。
何回怒鳴っても状況は変わらない……。
小学三年生の竜二には子供は重すぎる。
一緒に浮いたり沈んだりした。
岸の近くの草を片手で掴んでもすぐ千切れて役に立たない。
だんだん川の真ん中へ流されてゆく、流も速くなり息をするのも一層の力がいる。
川幅は十メートル程度の小さな川、こんなところで溺れるなんて考えたことも無かったが、今、実際に溺れかかっている。
……竜二の身長では当然川底に足なんか着くはずもなかった。
まして掴まるものが何もない。
立ち泳ぎなんてしたこともないから、片手で抱きかかえて片手で水をかき、走るように両足で水を力一杯蹴った。
竜二もそんなに泳ぎは得意じゃない。
すぐきつくなって体力の限界だと思った。
しだいに水面から顔を出せずにいる時間が長くなる。
子供を離せば自分は助かるという確信はあった。が、それは竜二自身が許せない。
子供を離せ! と言う自分と、ダメだ頑張れ! と言う自分との戦いが熾烈になってゆく。
水も大分飲んでしまった。
息が苦しい。
子供はもっと苦しそうだ。
水を飲んでゲホゲホやってるがどうしようもない。
誰も来ない。
ここで死ぬのか? 頭を過る。
「よしろーっ!」喉が裂けるほど力一杯叫んだ。
……
あと百数えて大人が助けに来てくれなかったら、子供を放そうと思った。
九十九、九十八、九十七、……、二十、……十九、……
だんだんカウントの間隔が間延びしてゆく、……五、…………、四、…………
あ~、俺人殺しになっちゃうのか……何故か涙が溢れる。
が、水を何回も被って訳が分からなくなってくる。
「うわ~っどうしたら良いんだぁ~っ!」
悲鳴をあげた時、少し下流に杭が刺さっているのが目に入った。
――助かるかもしれない……
そこへ向かって最後の力を振り絞って泳いだ。
死に物狂いで、水を滅茶苦茶にかいて、何とかそれを掴んで、足を絡める。
杭がぐらついたが抜けなかった。
それで少し安心した。
でも子供が暴れる。
「暴れるな! この棒を掴めっ!」と怒鳴る。
「棒を掴めっ!」
「掴めっ!」
「頼むから掴んでくれ~っ!」泣き叫んだ。
何回も怒鳴り、叫んでやっと子供に言ってることが伝わったみたいで子供が杭を両手で掴んだ。
「よし、いいぞ確り掴んでいるんだぞっ!」
叫ぶと子供が頷くのが分かった。相変わらず泣きじゃくってはいるがそれでも少し楽になった。
しかし、何分? 何秒? 経ったのかなかなか大人が来ない。
川の水が身体を押し流そうと絶えずぶつかってくる。子供は杭と竜二の間にいて体重が竜二にかかっている。
重くて……手が痺れて力が抜けそうだ。
「お~い、助けてくれ~」絶叫する。
……「お~い、助けてくれ~」
……「おーい……」
……「よしろー」 ……
何度も叫んだ。
元居た場所からは百メートル位は流されただろうか。だが、まだ公園の傍だ。
絶望感が頭の中にはびこり始めた時、
「りゅうじ~」と叫ぶ声が川音に混じって微かに聞こえた。
――吉郎だ!
「ここだぁ~! よしろーっ!」力任せに叫ぶ。
その声でようやく吉郎と大人たちが姿を見せた。
「さとる~っ!」叫ぶ大人の女の声がする。
子供はまだ確りと杭を掴んでいる。
「生きてる! 早く助けに来て! 限界だぁっ!」
ロープを身体に巻いた男が少し上流から川に飛び込んだ。二人見えた。
「大丈夫かぁ! もう少しだ、頑張れ~」叫びながら川の流れに合わせて近づいて来る。
それから間も無く男が杭の横を流れて行くタイミングに合わせて「さとる」くんをさらって行った。
ロープが引かれ、二人は岸へと引き上げられて行った。
それから竜二ももう一人の男に抱えられ岸へと辿り着いた。
死ぬほどきつかった。
足が震えて立てなかった。
肩で息をした。
――助かったぁ……
子供は母親に抱かれて大声で泣いている。
しばらく泣き続けている。
その姿を可愛そうに思って尻のポケットに入っている家の鍵に付けているキーホルダーをやろうと思ったが手が激しく震えていて外せない。
「吉郎、このキーホルダー外してあの子にやってくれ。泣き止むかもしれないから。俺は手が震えていて出来ないんだ」
「えっ良いのか? これお前大事にしてたんじゃないのか?」
「良いよ。あの子よっぽど怖かったんだよ。可哀想だからよ。やってくれ」
「うん、お前がそういうなら」
吉郎は走ってその子の所へ行って何やら喋ってキーホルダーを渡した。
見ていると子供はそれをじっと眺めてにっこりした。
救急車に乗せられるまで、大人たちに散々感謝され、照れ臭かった。
少し時間が経ってからまた子供が泣き出した。
――少し落ち着いてきて恐怖が蘇って泣き出したのだろう。
その子を確り抱いて母親なのだろう、頬に涙の筋を何本も作って身体を二つに折ってお礼を言いにきたようだ。
母親が何か忍者のような変わった名前を言った気がするが……ぼーっとしてて頭には残らなかった。
諦めなくって良かったと死ぬほど思った。
人殺しにもならずに済んだ……そう思うと何故かひとりでに涙が流れだして止まらなかった。
竜二が抱っこされて救急車に乗せられると、吉郎も乗ってきて
「俺、一度でいいから乗って見たかったんだぁ」なんて呑気な事を言う。
「二人が協力すれば、どんな困難も乗り越えられるさ」
竜二は生意気な口を利いて、眠りに落ちてしまった。
それから四十年を経過した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます