嘘を重ねる
「おじゃま~。って家主はいないの?」
「外出中なの」
その間にそっとテーブルの上にあるメモを手に収めてポケットに押し込む。不自然に思われないように台所に進んで、コップを二つ取り出す。火を使ってお湯を沸かす。目の前にはドリッパーがあるが、これをどう使えばいいかわからない。
「え。ヤバ。不法侵入じゃん」
靴を脱ぎながら、アンが言う。昨日までクッキーの履いていた靴だ。アンは小柄な分、スタイルの良いクッキーの靴は、ずいぶんとぶかぶかだったろう。
「大丈夫! 許可はとってるよ!」
「そうなの? じゃあいっか」
アンが部屋の真ん中に進む。
アンがおもいきり深呼吸する。彼女はしばらく感慨にふけったような表情をして、肩を落とす。まるでリラックスしたみたいに。
「ねぇ、ヨウ」
やけにすっきりした声だった。確信めいた何かがアンにはあるような。嫌な予感がした。
「え? なに?」
声が上ずりそうなのをぐっと堪えたつもりだったが、もしかしたら裏返っていたかもしれない。
「ここってクッキーの家だよね?」
あっけらかんとしたアンの言葉に、心臓が飛び跳ねそうだった。
私の沈黙をなんととったのか、アンがそのまま続ける。
「いやいや! 隠さなくってもいいって! だって、こんなにクッキーの匂いするじゃん!」
鼻をすんすんしながら、クッキーは部屋の匂いを身体いっぱいに吸い込む。
彼女の部屋だと認知したのか、まるで自分の部屋のようにソファーにどっかりと足を広げて座り込んだ。昨日までクッキーが佇んでいたその場所に。
何もしらない。アンは何も知らないのだ。
まぁ、ね。ヨウは曖昧に答えた。
曖昧に答えながら、曖昧な手つきで、瓶に入ったペーストの珈琲をコップの中に入れる。
「クッキーは今どこにいんの? え、なんか会うのめっちゃ久しぶりじゃない!?」
「そのうち、戻ってくるんじゃないかな」
嘘を重ねるのがこんなに苦しいとは思っていなかった。
どうしよう。どうしよう。
アンにクッキーのことをどう説明するばいいかわからない。
お湯が沸く。手が自然と震えている。
大丈夫。大丈夫。自分で自分を落ち着けようとするほどに自分の動きがぎこちなくなっているような錯覚を覚える。
「ヨウ? だいじょぶ?」
彼女の表情が、私を苦しめる。クッキーと引き換えにした彼女の顔。
「平気。ちょっと疲れてるだけだから」
そう。私は平気だ。
大丈夫。確かにいろいろあって疲れたけど、私は大丈夫。
沸騰したお湯。火を切る。
鍋の取っ手を持ち、マグカップへと注ごう。
手が震えている。なみなみとお湯が鍋の中で揺れて溢れた。
重力に逆らえないそれが固まりとなって、私の足へとボタりと落ちる。
「あつッ!」
ヨウは反射的に足を浮かせて、湯を払いのける。カーペットに吸い込まれてにじむ。
「ヨウ! ほんとに大丈夫!?」
アンが駆け寄ってくる。
「大丈夫……大したことないよ」
じんじんと火傷が痛む。少し浮き上がり、白くなっている。
このまま放っておいたら、水膨れができるだろう。
すぐに冷やそうとしたそのとき、アンが火傷した患部を包むように手をかざした。
『リル』
石派のアンが、
私の足のズキズキとした痛みはすぐに消えていった。
「なに……これ」
アンは自身の手を見て、生前みせたこともない困惑の顔をしていた。
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