第33話 水底のカナタへ手向ける花を

 榎本の水葬が行われたのは3日が経ってのことだった。


 飛行甲板に整然と並ぶ『はるな』のクルー。各科の長は勿論、当直以外の士官と水兵が一同に介し、正面に佇む棺へ向いている。


 その最前列。うら若き艦長『柊 叶多』は銀の棺に収まる亡骸の周りに白い百合の花を添えた。


 一瞬触れた肌から伝わる死者の冷たさ。噛み締めるように肌を握って、決して忘れないようにと心の中で唱えた。


 棺の扉が閉められ、弔いの砲声と共に海へと放たれる。


「黙祷!」


 一分間。帰還の叶わなかった彼の冥福を祈って、その場の誰もが口を閉ざし、瞼を閉じた。


 思う事は色々。あの時、自分が交渉に反対していれば、攻撃を受けた時に引き返させていれば。


 だからこそ、次は仲間を守る最善の策を取ると、この海に沈んでいった彼に叶多は誓う。


「黙祷ヤメ!」


 彼の姿はこの海に没した。この広大な海原で安らかにと、切に願ったのだった。


 終わってから、艦長室でコーヒーを一杯飲み始めた彼女の元へフェアリが訪れる。


「異世界の弔いを見たのは初めてだが、棺があるのならこちらと変わらないな」

「急なお願いなのにありがとうございました」


 棺を用意してくれたことに深々とお辞儀する叶多。フェアリは「大したことじゃないさ」と涼しい様子で言う。


「他にも何か必要な物があったら言ってくれ。用意しよう」

「お気遣いありがとうございます。また任務なのでその都度言いますね」

「もう行動を再開するのか?」

「え? えぇ」


 驚くフェアリに首を傾げていた。驚かれる意味がイマイチ分からない。


「少し休んだほうが良いと思うんだが」

「もう十二分ですよ。それより、この前言ってた王都への招待の話をしませんか?」


 前を向かなければ。焦燥感に駆られて叶多は誤魔化すように話をそらす。


「王様のスケジュールって聞けたりします?」

「国王は多忙だが、この国を守ってくれた恩人を無碍には扱わない。二、三日もすれば会えると思うが」

「その辺りの調整をお願いしても?」

「任せておけ」

「すると本艦の補給作業とミラマリンへの復興支援も同時平行できますね。後で副長と調整しますか」


 艦長不在で船を動かす良い訓練の機会だ。叶多は作戦計画を練ろうと、早速資料の作成に取り掛かった。


 年齢に対してその反応は不相応だとフェアリはタイピングする彼女を遠巻きに眺めながら抱く。


 それはタフさなのか、はたまた強がりなのか。尋ねようとした時、叶多が不意に口を開いた。


「気を抜いたら、また仲間が死ぬから」


 独り言ちた叶多に、精神的なタフさを否定した。


 その正体は自責だ。もっとしっかりしなきゃ、もっと頑張らなきゃと、自分一人で抱え込んでいるのだと。


 フェアリが艦長室を出ていく。扉の閉まる音を意に介さず、タイピングの音だけが無情に響いていた。




 フェアリに宛てがわれた士官室。2日ぶりに帰ってきた部屋で書きかけの魔導書を開いた。


 タイトルは『超大型耐性結界』。相手の魔法や魔力の侵入を跳ね返す結界魔法を大陸一つ覆えるほどに大きくする魔法理論だ。


 魔法は魔力の大きさと術式の正確さが威力や効力に比例する。ノイズが少なく、膨大な魔力を込めれば強力な攻撃魔法や防御魔法を発動することができる。


 それらを無力化する結界魔法は、いわばこれらの魔法と逆の魔法術式を展開することだ。魔法の逆算を強いられ、術式を正確に読む力と逆算した魔法を展開することが必要であり、発動中は常に魔力を消費することから特に難易度が高い魔法分野とされている。


「やはり、魔力の供給源と無属性への耐性が問題になるか……」


 書き記しながら呟く声は虚しく部屋に掻き消えた。


 大陸規模であらゆる耐性を持つ結界を張るための魔法術式。この魔導書に書かれるのはそんな夢のようで危うい魔法だ。


 だがどの属性でもない『無属性』への対抗手段と大陸規模を覆う結界を維持する魔力の供給源が確立されていない。


 無属性とは単に属性がないだけではなく、魔法使いが固有で持つ特性や因子で魔法の性質が細かく変わってくる。無でありながら様々な特性を持つ存在なのだ。

 それを精確かつ迅速に逆算するのは熟練者でも困難を極める。それが大陸規模となると数が膨大すぎて術式が追いつかない。

 夢はまだ夢のままという状態だ。


 頭を抱えて早数十年。数千年の寿命を持つエルフにとってはあっという間だが、魔法の才能に長けたフェアリにはそれが途方もなく長いものだと感じられた。


 思考の渦に飲まれて筆が止まる。その折にふと流れ混んだあの言葉。


「国賊を排除して、それがスパイかどうかで真偽を決める……か」


 甘い言葉で唆されているかもしれない。下手をすればあの男、ハンスの掌で踊らされてる可能性だってある。


 けれど昔にそんなことをある幼子に話した記憶が、裏切り者への信憑性を高めている。


 この魔導書の作成もオリントへの復讐が駆り立てたものだ。


 殺してからでも遅くはない。結界魔法を何百年と鍛錬し続けた自分なら死んだことすらも気づかせずに消せる。


「お許しください我が君。私は己のために国を、救ってくれた恩人達を裏切る畜生に成り果てます」


 まるで悪魔に魂でも売るような気分だった。フェアリはそう誓うと、魔導書を閉じたのだった。

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