第5話 電子の目
規則的な機械音が、深いところに沈んでいた意識を浮上させる。“明るさ”を感じて、ユウはゆっくりと目を開けた。手術台の上に
「起きたね。調子はどうかなぁ」
右側視界の端にいた人影がゆらりと動いた。そちらに視界を合わせると、微かな機械音が頭の中に直接響く。右目にだけ水が注ぎ込まれたような視界が気持ち悪くて、無意識に目を擦ろうと持ち上げかけた腕が拘束具のリングに阻まれて鈍い音を立てた。
「なんかボヤボヤしてます」
しきりに瞬きを繰り返しながらユウは答えた。アサクラは無影灯を消すと、小さなペンライトを立ててユウの目の前に掲げる。
「ピントは後で調節するよー。とりあえず視神経とは繋がってそうだね。これ見て。はーい動かすよぉ。……次こっちね~」
ゆっくりと左右に動かされるペンライトを、焦げ茶と薄青に淡く光る目が左右揃って追いかけた。
「おっけー、筋電位同期は取れてるねぇ。それじゃこれつけて」
アサクラはペンライトを器械台の上に戻すと、その横に置かれていた手のひらより少し大きい機器を手に取る。それを目の前に差し出されたユウは、じっとりとした目で拘束された両手をひらひらと振ってみせた。
「ああ、外そうね」
ちっとも悪びれない様子で、アサクラが器械台の上の装置を操作する。ようやく両手足が自由になったユウはもそもそと起き上がり、溜息を吐き出しながら長時間拘束されていた手首をさすった。そうして関節を少し慣らしてから、手を差し出す。その上にアサクラが装置を載せた。
「これは?」
「人工眼の補助装置だよ。まあまずはつけてみて」
言われるがままに、右目の上から装置を装着する。装置は、右目と頬の上半分を覆った形でユウの顔の上に収まった。アサクラがユウの手を取り、装置の脇にあるボタンに触れさせる。
「これを押しながら近くと遠くを交互に見てね。これで左目のピントと同期させるから、疲れててピント合わない日とかはここを押して調整して」
ユウは軽く頷くと、言われた通りに視線を動かし始めた。頭蓋骨の内側を引っ掻くような機械音は、シエロのカメラアイの動く音によく似ている。
遠景から、徐々に視界が明瞭になっていった。壁際の機材、キャビネットの中身が輪郭を持つ。ベッド脇のモニタリング機材の画面の上で滲んで多重に重なっていた線が、一本に重なる。ユウは手をかざして、眩しそうに目を細めた。久しく忘れていた距離感が戻ってくる。視界の全てに立体感が現れ、狭い手術室がゆっくりと広がっていくようだった。
「どう?」
「……見えます。とても良く」
ユウはかすれた声でそう言うと、補助装置の脇から手を離す。リサの死の代償である視界が、彼女の死をそのままに戻ってきたことにひどく胸が痛んだ。じわ、と再び視界が滲む。再度補助装置のボタンに手を伸ばしかけた時、頬を温かな雫が流れ落ちた。慌てて伸ばしかけていた手で左目を拭う。拭っても拭っても、壊れた蛇口のように次々と涙が溢れて止まらなかった。
「いや、ちょっと待って……違……」
「……ごめんね」
「え」
じっと見つめるアサクラに弁解するように言葉を紡いだユウに、整備開発班副班長は優しい声で謝罪の言葉を口にする。アサクラの口から最も出てこなさそうな言葉に、一瞬何を言われたか理解できずにユウがアサクラを振り仰いで固まった。左目からはぽろぽろと涙が流れ続けている。
「涙を流す機能は未実装だから、それは同期できないや」
「……ぷっ、はは」
その珍しく心底申し訳ないと思っていそうな表情に、ユウは軽く吹き出した。
「要りませんよ、そんなもの」
鼻水をすすりながらユウは笑った。びしょびしょの袖口を所在なさげに弄び始めたユウに、アサクラがぽいと電源コードのついた小型の機械を投げて寄越す。
「それ、補助装置の充電ドックね。人工眼は補助装置から給電してるから寝る時に外して充電してねー」
ユウの泣き笑いが一瞬で引きつった。
「……寝る時に? 普段は付けっぱなしってことですか? このサイバネファントムマスクみたいなやつを?」
「うん。そんな大容量のバッテリー組み込めないしねぇ。補助装置なしだと稼働時間はもって1時間かな」
「すごい悪目立ちしそうなんですが……」
それはそれは渋い顔で言ったユウに、アサクラは首を傾げてみせる。
「
それを言われると痛い。ユウはそっぽを向いた。アサクラはくすくすと笑って「箔がついたねぇ。良かったね?」と言いながらユウの手に小さな瓶を握らせる。
「これは? ……っ」
何、と言いかけた言葉を飲み込んで、ユウは再び表情を歪めた。
リサの最期が焼き付いた眼球が、透明な液体の中で小さく揺れる。濁った眼球を封じ込めたその小さな瓶を、ユウは黙ってポケットに捩じ込んだ。
* * *
「6時間半だ。俺とお前が別れてから6時間半だよ、ユウ。何が言いたいか分かるよな」
食堂で向かい合って座ったユリウスが、じっとりとした目でそう言った。ひたと見据えてくる
「いやあ……うん」
曖昧な相槌だけを返してくるユウに、ユリウスはくわっと目を見開いた。
「何ですかその目は! ロボみたいになっちゃって! ちゃんと説明しなさい!」
「えーとその、視覚補助装置のモニターを頼まれちゃって……?」
何故かお兄ちゃんモードで詰められて、思わずユウはあからさまな嘘をつく。
「いや目の色変わってんじゃん!」
「おや、カラコンをご存じない?」
「カラコンで押し通せると思うなよ!? カシャカシャカシャカシャ、シエロの
一通りまくし立ててから、ユリウスは小さな溜息を吐き出した。見つめる視線には、ただただ心配だけが残っている。
「ジョークはここまでだ。……お前の意思なんだな?」
「……うん」
ユウはこくんと頷いてユリウスの目を見返した。焦茶と、透き通るアイスブルーが強い意志をシンクロさせる。ユリウスは目を伏せて「ならいい」と言うと、魚のフライに噛り付いた。それに
「どんな感じで見えてんの、それ」
「わりと普通に良く見えるよ。まだピントがずれてる時もあるんだけど……」
「あっ、何それカッコイー!」
冷めてしまった夕食を食べ始めた二人の横に、ガシャンと雑な動きでトレイが置かれる。体をぶつけるようにして隣に座ってきたナギが、おもむろにユウの顔を覗き込んで人工眼と補助装置を無遠慮に眺めまわし始めた。
「いいなーいいなーなにそれ、見えてるの? ねぇねぇ見えてるの?」
「う、うん」
「ギルー! こっちこっち来て来て見てみてぎるぎるぎるぎるーー!!」
ぱっと視線を離して立ち上がったナギが、ぶんぶん手を振る。その視線の先のカウンターで、シチューの皿を受け取っていたギルバートが煩そうに手を振り返した。面倒くさそうな表情を隠そうともせず歩いてきたギルバートは、ナギの向かいにトレイを置くとうんざりした様子で息を吐く。
「うるせぇんだよお前はいつもいつも」
「だってー。ほらほら見てみてコレコレ!」
「……あ?」
そこで初めてユウの顔に目を向けたギルバートは、訝しげな様子で眉根を寄せた。
「どしたユウ。なんだそのサイバネティックファントムマスク」
「サイバネティックファントムマスクぅ!?」
ぷふー、とナギが吹き出す。よく通るその声で復唱された耳慣れない単語に、周りの隊員たちがなんだなんだと振り向いた。
「うわ、なんだそれ!」
「オレ昼過ぎにユウがアサクラさんの研究室入ってくの見たよ」
「なんだアサクラさん案件か」
「ユウ改造されたって!? やっぱ五体満足で出てこれないんじゃんあそこ」
「こわー……」
たちまち人だかりが出来上がり、その輪に入り損ねた隊員たちへと伝言ゲームの要領で情報が広がっていく。食堂の端っこまで行ったら全身サイボーグくらいになってそうだな、と遠い目をしながらユウはパンをシチューにひたした。
もぐもぐとパンを噛みながら奇異の目を一身に集めているユウの視線の前に、ナギは再びずいっと顔を割り込ませる。
「近い近い」
軽く身を引いたユウに、ナギは紅玉の瞳をきらめかせて更に迫る。ギルバートが机の向こうでため息を付いた。
「ねーねーその目なんかロボっぽいことできんの?」
「うん。パイロットスーツのヘルメットのHUDっぽい感じで、色々情報出せたりはする」
「えーいいなー。どこでもドッグファイトごっこできるじゃん」
「何だよどこでもドックファイトごっこって……」
白皙の顔に呆れ顔を向けながら、ふと隊員のバイタルデータを見るモードがあることを思い出してユウは補助装置のボタンに触れる。たちまち視界にいる隊員たちの上に、半透明なオレンジ色のカード型ウィンドウが貼り付いた。最も近くでその存在を主張してくるナギのカードに、なんとはなしに目を向ける。
—— 名前:ナギ・ガンター
—— 年齢:18
—— 性別:Female
上から順にぼんやりと項目を眺めていたユウは3つ目の項目に目を剥いた。
「
「はぁ?」
オレンジのカードの向こうから、呆れ声が飛んでくる。慌ててオーバーレイ視界を非表示にすると、口付けられそうな位置にナギの顔があって、驚いたユウは椅子ごとひっくり返った。
「何だよもー。失礼なヤツだなー」
後頭部をぶつけて目を白黒させているユウを覗き込んで、ナギは頬を膨らませる。ついさっきまで何とも思わなかったのに、女の子だと思った途端に距離感がバグって無理だった。何故か痛みが全くないもののくわんくわんと揺れる頭を必死に回しながら、ユウはナギを見上げる。
「ええ……。いやだってナギ、ギルバートさんと同室じゃん……」
艦の個人居室は二人部屋である。そして事故の防止のために、ルームメイトは身体的同性であることが定められていた。ユウは起き上がりながら、おずおずとギルバートに目を向ける。
「ギルバートさん、まさか」
ギルバートは靴底にガムが張り付いていたのを見つけてしまったような表情で、手の甲を嫌そうに振った。
「やめろやめろそんな目で見るな。俺は生粋の男だし、なんなら両方ちゃんとついてる」
「えーやだーギルやらしー」
「お、ま、えがゴネたからだろうが」
口に手を当ててわざとらしいクスクス笑いをして見せるナギを
「ゴネた……?」
「ああそうだ。コイツあろうことかエースの称号を盾に、俺と同室にしないなら軍をやめるって艦長に交渉しやがってな。とんでもねぇクソガキだろ」
「むっふっふー。力こそパワーだよユウ君。実績は武器になるのだよ」
「黙れクソガキ。……で、俺が知ったのは全部が終わった後だった。逆にしっかりお守しろって釘を刺されちゃもうどうしようもねぇ」
「拾った子犬はちゃんと最後まで面倒見なきゃねー?」
「あぁん? お前犬だったか? 首輪つけて躾けるか?」
「そういうシュミがあるなら早く言ってよ。付き合ってあげてもいいけど」
「あーいらんいらん。もう俺は喋らんぞ」
面倒臭そうに視線を逸らして、夕食を取り始めたギルバートをユリウスが可哀想なものを見る目で見ている。ユウも黙ってシチューの皿の底をパンでぬぐった。
めいめい、食事を再開したことでナギも夕食の存在を思い出したようだった。ぱくぱくと綺麗な所作でみるみるうちに皿の中身を減らしていく。物凄い速さで平らげていくにも関わらず、パン屑の一つも落とさないナギは、スプーンを咥えたままもごもごとユウに言った。
「ねぇユウー、見えるようになったんならまたシミュレータやろうよ」
「いいけど……」
そう言いながらユウはちらりとユリウスを見た。巻き込まれまいと大人しくサラダを突いているユリウスが、その視線に気付いて迷惑そうに首を振った。だがユウの視線を追いかけたナギは、ニコニコしながらユリウスにスプーンの先っぽを向ける。
「そんなカオしないでよ。もちろんユリウスも誘うとも」
ユリウスは巻き込むなと言わんばかりにユウをじろりと睨んだ。そのユリウスの表情を気に留める様子もなく、ナギはうきうきと指を折っている。
「ユリアも連れてくるでしょ? それからそれからレナードはんちょーと……」
「あ、あー。そういえば、明日から糧食班の手伝いに行くんだよね。だからしばらくは無理、かも」
なんとかしろ、と目線だけで訴えられて、ユウはおろおろと口を挟んだ。ナギは「なんだよー」と言って唇をとがらせる。
「そんなの誰かに譲っちゃえばいいじゃん。どーせみんなやりたがりなんだからさ」
「無理言って譲ってもらった枠なんだよ。ハイドラとクピドの案内も兼ねてるからさ……。あ、あとはうん、そうだな、まだ目も慣れてないし、練習したい。練習」
「ふぅん。練習ね」
ナギが再びユウの新しい目をじっと覗き込む。仄かに甘い香りが漂ってくるようで、心臓が跳ねた。目の奥に繋がっている脳の中身を見透かすようにじっと見つめてから、白い悪魔はニッと微笑む。
「オーケー分かった。きっちり仕上げてきてよね?」
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