第14話 みんなで帰ろう

『おそーい!』


 緊張感のない声でぷりぷり怒っているナギと前線を交代して、ユウは巨体とその周りに広がる肉のコロニーを見下ろした。

 肉の土壌と化したその上には、蕁麻疹のようにぼこぼことした無数の肉腫が広がっている。さながら火星の大地がアザトゥスという生命体へのアレルギー反応を示しているかのようだった。ひとつひとつが異生物アザトゥスの繭であるその膨疹は、目に付くすべてが掻き破られたように割れてひしゃげている。


「くそ、どこから湧いてきてるんだ……」


 視界を埋め尽くす勢いで迫ってくる小型を迎撃しながら、ユウは小さく悪態をついた。もう中身が残っている繭など無いように見える。それを聞いたシエロが、小さく笑うようにLEDを瞬かせた。


「そりゃア。あちらの母なる御大のあそこでしょうよ」


 飛び交うレーザー光に目をすがめながら、ユウは母体を見る。きょろり、きょろりと動く巨大な一対の目。その目がついた頭の下にある胴体には細いあばらの線が浮き、巨体にしては小さな手が、やはり1対ついていた。握ったり開いたりしているその手の下、腹のような部位からは太い腸のようなものが垂れ下がっている。それは緩やかな蠕動を繰り返しており、ダイモスで見た監視塔喰らいのように肉の大地からアザトゥス体を吸い上げている事が伺えた。

 それが脈打つさらに下。ゆらゆらと揺れる短い尾の根本にはぽっかりと縦長の亀裂が入っていて、そこから次々と小型が這い出して来るのが見える。

 操縦を相棒に任せてその光景をじっと眺めていたユウは、母体から溢れる個体の特徴に気付いてしまった。背中をぞわぞわとものすごい勢いで悪寒が駆け上がる。

 渦を巻いて小型が眼前に迫る。そのすべてに5のを見てユウは悲鳴を上げた。


『どうした!?』

「手、ててて、てが、人の手が」

 

 眼前に迫る小型を撃ち抜くたびに、血と肉とともに腕や指が舞う。凄まじい拒絶感と共に喉の奥から苦いものが迫り上った。堪えきれずに吐き出す。ヘルメットの中に据えた臭いが篭り、その臭いでまたむせた。


「おげ……っ、が、うぇ……っ」

『何だお前、混ざり物アザーティ見んの初めてか」


 心配そうな声を一転させて、コンラートが意外そうに言った。その言葉にふたたびユウを吐き気が襲う。ユウが実例を知る混ざり物アザーティはハイドラだけだった。


混ざり物アザーティって、ハイドラ、みたいな……うっ」

『あそこまで人間純度のたけ混ざり物アザーティなんて普通はいねぇよ。大体はこんなもんだ。喰われた人間の一部かなんてのは知らねぇが、沢山人間を喰ったやつはこういう感じになる事はまぁある。慣れとけ、そんなんじゃ保たねぇぞ』

『そーそー。まぁでもキモいのは分かる。さっさと殺っちゃおーよ』


 冒涜的な花吹雪腕や指の散る中、ヤタガラスが隣に並んだ。


『さて現場指揮官サマ、始めていいの?』

「待って待ってナギ君。話が早いのは君の良いところでもあるけど、早すぎるんだいつも。まずは小型をなんとかしないと』

『逆でしょ? あのデカブツを何とかすりゃ小型出なくなるんだからさっさとやんないと』

『いや、出来るはずだよ。あいつをよく見て。ここは前駆巣アルファコロニーで、あの母体はまだコロニーと完全に癒着出来てない。だからその、あそこの一番太い吸い上げ器官を潰してしまえば勢いはかなり落ちると思ってるんだけど、どうかな……』


 少しずつ尻すぼみになっていくケイの言葉に、ナギは盛大な溜息を返した。ケイの声がさらにしゅんとなる。


『だ、ダメかな』

『指揮官は自分の作戦に自信を持つ! こっちはその作戦に命賭けんだからしょぼくれないでよね』

『ごめん、やっぱ別の——』

『ま、今回はやるのボクだからだいじょーぶだけどさ。いいんじゃない、要はボクがあれブッた切ってくればいいんでしょ』

『待って待ってだから話が早すぎるんだってば』


 ユウは再び目の前に迫ってきた小型を薙ぎ払った。電力インジケータは少し心許ない数字になりつつある。


「シエロ、一度補給に……」


 小さな声で呼びかけると、相棒は黙って機首を翻した。ナギがぶーぶー文句を言う。


『ほらシエロなんて補給行っちゃったじゃん! 遅いんだってぇ』

『あーもう! だから現場指揮とか嫌なんですよ! 向いてないんだよなぁ!』


 ケイは切なげにそう叫ぶと、『いいですか!』と声を張り上げた。


『僕はね、安全策を取りたいんです! 君の技量はよく知っていますが単騎突撃はだめです。誰も死なずに皆で帰る。救助隊レスキューのメンバーである僕が指揮を執る以上、これは絶対です。いいですか、“みんなで帰ろう”です。はいリピートアフターミー!』


 畳み掛けるようなその台詞に、ナギが爆笑する。


『あはははは! 急に早口になるじゃん』

『早くしろって君が急かすからでしょ、もー! ライナス!』

『あ? なんだ!』

『あの“穴”に体当たりして、離脱砲1発かましてきてください。それで一瞬出現が止まるはずだから、その隙にナギ君かシエロ君が吸い上げ器官を破壊すれば』

『……お前、俺には随分無茶言うじゃん?』

『当たり前でしょ。一番危ない仕事は大人の役目ですし、あなたとルイスなら出来るでしょう』


 きっぱりと言い切ったケイの台詞に、ナギは「やればできんじゃん」と呟いてくすくす笑った。

 最前線で火炎放射を振りまいていたイージスが機首を翻す。その穴を埋めるように劣化ヴェネクス弾をばら撒きながら、ケイは「任せましたよ!」と声を張り上げた。おう、と応じるライナスの声には笑みが含まれている。


『任された! 行くぞぉおおおおお!!』


 小型の群れを弾き飛ばしながら、イージスが穴に突進する。機体の3倍ほどはありそうなその穴の下部を塞ぐように体当たりすると、盾のない背後にまで小型が一斉に群がった。穴から出てくる小型が一斉にイージスに群がったことで、一瞬敵の密度が薄くなる。その合間を縫って、ヤタガラスが飛び出した。


 離脱砲が吼えた。母体の胎内に熱と質量をぶちまけて、群がる小型を勢いで振り落としながらイージスの機体が大きく後方に下がるのと同時に、紫電の閃光が迸る。垂れ下がった腸のような吸い上げ器官と共に腹の肉を大きく抉られ、母体の短い尾が激しく暴れた。


『おっけー切り離した! あとはよろしく!』


 下腹部の穴から出てくる小型は、劇的にその数を減らしていた。母体にまとわりつく小型をカドリガの部隊が火炎放射で炙って退けるのをかすめて、シエロは巨大な母体の眼前に躍り出る。黒い瞳に塗り潰された巨大な眼球が、きょろりとわずかに動いてこちらを見たような気がした。

 陽電子砲のチャージは済んでいる。トリガーを引くだけで、ぱん、と右の眼球が弾けて消えた。残電力を見る。補給機イドゥンはすぐそこだ。まだいける。リミッターを解除して、第二射を左目に叩き込む。頭部に二つの穴をぽっかりと開けた母体は、いやいやをする子供のように頭を左右に振った。真紅と褐色をざっくり混ぜ合わせたような色の粘液をどろりと大量に零したその穴からは、核の姿を視認することはできない。


「くそ、ハズレか。弱点みたいな形してるくせに」


 ユウがリミッターを戻しながら悪態をついた時だった。眼球を失った虚ろな眼窩の下で、母体の口ががぱりと開く。その口内で薄青い光がその勢いを増して行くのを見て、シエロは急いで回避機動を取ろうとした。が、それに反して機体は突然ガクンと動きを止め、エンジン音が急速にトーンダウンする。


〘バッテリーが残量10%を下回りました。緊急着陸フェイズに移行します〙


 機体制御システムの無機質な音声が、機内に響いた。


「は!? ちょっと、なんで今リミッター戻したんです私ここ触れないんでスよ!」

「すぐ外すちょっと待」

〘緊急着陸のため周辺地形をスキャン中です〙

「やばい動かないリミッター外してはやくはやくはやく」


 みるみる光量を増していく母体の口を前に、1ミリも動けないままシエロがまくし立てた。焦って設定を戻そうとする指は震えて上手くARウィンドウを操作できない。容赦なく進む時間はしかし妙に引き伸ばされて細切れに感じ、体中が心臓になったかのようにどくんどくんと血が駆け巡る音だけが響いた。


「外した!」


 そうユウが叫んだのと、母体から閃光が迸ったのはほぼ同時だった。体にかかるGはなく、ぴくりとも動かない機体の中で、ユウは思わず目を瞑る。

 痛みはなかった。消滅するというのはこういう事だろうかと思っていると、笑みを含んだハイドラの声がインカム越しに鼓膜を揺さぶる。


「誰も死なずに皆で帰る、そうでしょう?」


 恐る恐る目を開けると、母体の頭部が綺麗に消失しているのが見えた。次いで振り返り、ハーメルンの細く短い砲身がまっすぐこちらを向いているのを見て、ユウの口から声にもならない変な息だけが漏れた。


「……はっ、ふは」

「ありがとうございます。九死に一生を得マした……」


 合成音声であるはずのシエロの声には、疲労が滲んでいる。イドゥンが待機している方向に向かって進路を取り直したシエロと入れ替わりに、ヤタガラスが母体へ向かって飛んでいく。背後で閃光が走り、「あったよー」とナギの緊張感のない声が響いた。

 手早く補給を済ませて戻り、小さな手が動く合間の胸にあいた穴から見える核に陽電子砲を放つ。母体は小さな手を微かに痙攣させると、くたりとそれを降ろして動かなくなった。

 ヒュウ、と誰かが口笛を吹く音が回線を駆け巡る。アルテミスがゆっくりと進み出た。


「討伐確認するよな? もう1発照明弾撃つぜ」


 照明弾が上がる。頭部を失い、胴体に2つの穴を開けられた母体を揺れる光が煌々と照らし出した。母体の側面で小型の掃討に当たっていたカドリガが戻ってくるのと入れ替わるように、再度補給を済ませたヤタガラスが母体の残骸に近づいた。薄いあばらの線の浮いた脇腹のあたりから、穴の中を覗き込んだ、その刹那。


 母体の肋骨が突然、針のように逆立った。肋骨のように見えていた筋と骨で出来た砲身が、無数の骨針を吐き出す。


『うわわわわ!』


 咄嗟に扇状レーザーでそれを薙ぎ払ったのは流石エースと言ったところだが、すべては避けきれずヤタガラスの機体に数本の骨の針が突き刺さった。


『お、おい……』


 コンラートが呟く。アルテミスの前には、すれ違いざまに彼を庇ったカドリガの1機が、ハリネズミのようになって浮かんでいた。


 このー、と言いながら穴に陽電子砲をもう1発お見舞いしたナギが、ぎゃっ、と珍しく悲鳴を上げる。


『ちょっとー! こいつ刺さった針から機内になんか飛ばしてきたんだけど!!』

『大丈夫ですか!? ナギ君、怪我は!』

『避けたけど……って、げー侵食されてるボクちょっと先戻るよ』

了解しましたコピー! Aチームは全員先に帰投してください!』


 ヤタガラスがアフターバーナーを全開にして、来た道を戻っていく。コンラートが取り乱したように喚いた。


『おい、お前大丈夫か!? カドリガ……ええいどいつだよ!』


 それに応えたわけではなかろうが、無機質な合成音声が回線に鳴り響く。


〘カドリガ5692メインシステムより通達します。操縦モジュールの内部侵食が確認されました。当機は自爆シークエンスを開始します。僚機は距離を取ってください〙

『……は!?』

 

 その無慈悲に過ぎる内容にコンラートの声が裏返った。ケイが叫ぶ。


『ライナス、ルイス! 自爆する前に引っ張り出せますか!?』


 その台詞が終わる前に、金の盾を広げたイージスは針鼠状態のカドリガに急接近していた。巨大なロボットアームがカドリガを抱き込む。ライナスが怒気を含んだ声で叫んだ。


『言われんでもやるわ!! おいルイス、こじ開けろ!』


 返事もせずに、ルイスの操るロボットアームがカドリガのキャノピーを引き剥がす。ばきばきと銀の外装の破片と共に、骨の針が散らばった。


〘有人機の近接により自爆シークエンスを一時停止中です。当機は内部侵食を受けています。僚機は速やかに退避してください。繰り返します。有人機の近接により――〙

『やかましいわ。一生停止しとけ』


 耳障りな警告音と共に繰り返される音声に、ライナスが吐き捨てる。一方のルイスはこじ開けたキャノピーからカドリガの内部に侵入したようだった。息を呑む声が聞こえる。


『なんだこのコックピットは……。おいクピド、パイロットはこの白いモジュールの中か?』

『そうです。映像出せますか?』

『待て。今送る――見えるか』

『はい、見えます。右前方に緊急用の簡易コンソールが……いえ、もうちょっと前です。あ……』


 ノイズ交じりの映像が映し出した簡易コンソールには細い骨の針が突き刺さっている。骨の針には無数の孔が空いており、そこから滴り落ちる粘着質な肉色の液体がコンソールを覆いつくしていた。ルイスはグローブに包まれた手で肉を払い除け、いくつかのボタンに触れるがコンソールは沈黙を保っている。


『ダメだ、動かない。こいつはこじ開けたら生体維持に影響があるのか』

『いえ、ありませんが開かないかと――』

『そうか。無いならいい』


 突如映像が揺れる。ガン、ガンと金属と金属がぶつかる音が響いた。黒い棒状のものが、何度も何度も白銀の棺に打ち付けられる。火花と細かな破片が散った。数秒続いていたその音が突如止み、歪んだ棺の蓋の隙間にバールの――そのとき初めてそれがバールだとわかった――先端が掛かった。めきめきと音を立てて蓋が開き、中からどろりとした蛍光色の液体があふれ出す。

 骨の針の1本は棺の蓋を貫通し、少女QPの足に刺さったようだった。パイロットスーツに包まれた左足は歪に膨れ上がり、無理やり蓋を開けたことで抜けた針が刺さっていた穴から、粘着質な肉屑の塊が零れ落ちる。

 ルイスは少女を棺から引きずり出した。ナイフでパイロットスーツの布地を切り裂き、左足を露出させる。左足は骨の針が刺さった、向こう脛からつま先、そして腿の半ばまでが脈打つ肉に侵食されていた。ルイスが舌打ちする。


『……切断パージするしかない。今麻酔をする。もう少しの辛抱だ』


 アザトゥスと対峙するアヴィオンのパイロットは、常に浸食の危機に晒されている。浸食された際、それが生命維持に必須でない部位——すなわち四肢である場合、速やかに切断することで命を永らえることが可能だった。そのため、アヴィオンのパイロットスーツには四肢を切断する機能が標準搭載されている。


『待って、ルイスさん』

『すまないが後にしてくれ。一刻を争う』


 QPのスーツの前腕部に取り付けられたコンソールを操作して、ルイスは医療用ナノマシンから全身麻酔の投与を行おうとした。が。


『……どういうことだ』


 低い声で唸るルイスから送られてくる映像は、操作対象のナノマシンの選択画面で止まっている。そのリストにはバイタル監視用ナノマシンのみが表示されていた。


『Type-QPに、医療用ナノマシンはインストールされていないんです』

『治療は……不要です……今すぐ……退避を……』


 クピドの声と、消えてしまいそうなほどに細い少女の声が、同時に回線を駆け巡る。


『すまない。それには応じてやれない』


 ルイスの手が、ひどく優しい手つきで少女の手を降ろした。映像が途切れる。


『だが、お前は俺を恨んでいい』


 少女の絶叫が、長く長く回線を満たした。


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