契約婚夫妻の、娘

カブのどて煮

第1話 カリィナと紅葉

 私の両親は契約結婚だ。


 継母と異母妹に虐げられる、隣国の伯爵令嬢だったお母さんと、女嫌いなのにお金目当てで相次ぐ縁談話に辟易していた若手実業家のお父さん。

 お父さんは縁談避けのために、決して情が介在することのない契約結婚を画策。伯爵家はちょっとのお金と引き換えに異国へお母さんを売ったらしい。


 子供ができればおしまい。後はお互いに干渉することなく生きましょう。そんな契約で交わされた婚姻は、ものの見事に破綻していた。


「はい。今日のお弁当ですよ、リチャード」

「ありがとう、ソフィア。君の昼食がないとどうも仕事に身が入らなくて」


 午前七時。家族水入らずの食卓で、今日も仲睦まじく唇を触れ合わせる我が両親。物心ついた頃からずっとだから慣れたけど、年頃の娘の前でイチャイチャするのはそろそろやめてほしい。


 お母さんが作った朝食を口に運ぶ。トーストとオムレツにサラダ。シンプルな料理だけれど、作り手の腕がいいのでとても美味しい。

 同級生たちの家では、食事は使用人が用意するのが当たり前。でも我が家では、家族みんなが口にする食事はお母さんが作るのが当たり前だった。


 食べてもらえるのが嬉しい。お母さんはそう言って、いつも笑っている。


 お母さんが昔、どんな扱いを受けていたのかは知らない。お母さんは何も話さないし、伯爵家とは文通一つ程度の交流もない。

 でも、初めは契約婚だったのだ、と教えてくれたときのお父さんの表情を見たときに、小さい子供でもなんとなく察しはついた。


 お母さんが幸せになれてよかった。


 娘としてはそれ以外に思うことはない。





 共和国は移民の国だ。移民を広く受け入れて、経済を発展させてきた。

 だから、私が通う女学校だって、先生も生徒もルーツはバラバラ。先祖代々にわたって共和国の人間だ、と断言できる人はほとんどいない。


「カリィナのお弁当、今日も美味しそうね。一つちょうだいな」

「む。では私もそちらの卵焼きを。──おや、味付け変わったんだね。美味しい」


 中庭のベンチで、同級生の紅葉もみじと昼食をつつきあう。

 滅多にない、見事な黒の髪と瞳が綺麗な親友。遠い国からやってきた画家の娘で、私とは初等部の頃からの付き合い。

 外見こそ異国情緒溢れるものの、紅葉自身は生まれも育ちもずっと共和国だ。両親がたまに使っている言葉は理解できないらしい。


 でも、名前だけは書けるの。

 そう言いながら教えてくれた文字は、私にも唯一書ける紅葉のルーツの言葉。


「相変わらず鋭いのね。ほんのちょっと調味料の配分が違うだけなのに」

「お母さんが鍛えてくれたからね。味覚には自信あるよ」


 何気ない日常生活の中でも、お父さんとお母さんは丁寧に私を育ててくれた。

 商売の考え方だったり、世界を感じるための感覚だったり、芸術品に触れるための知識だったり。

 我が両親ながら、本当にいい人たちのところに生まれてきたなあ、と思っている。始まりが愛なんか欠片もない、冷え切った契約婚だったなんてとても信じられない。


「そう。本当に幸せなんだよね、私……」

「急にどうしたのよ」

「いや、ね。私たち、もう十七歳でしょ。あと何年かもすれば結婚してるんだなーって気付いちゃって」

「うん」

「たぶん私、普通の男の人が相手だと幸せって思えないんだよね」


 ふむ、と言って中空を見つめる紅葉。数秒ほど考えて、紅葉はしっかりと首を縦に振った。


「確かに」

「ちょっとは否定してほしかったな」

「だって否定材料がないもの」


 そう、紅葉の言う通り。

 私はこの上ない幸せ者だ。大好きな両親がいて、紅葉という親友がいて。

 そのうえ私の両親は、今も全力でお互いを愛し合っているような人たち。

 そんな二人が夫婦像の基準になっているのだから、結婚相手に求めるハードルは無意識のうちに跳ね上がっていることだろう。


 はあ、と自分でもわかるくらい大袈裟にため息をつく。

 私が全力で好意を捧げられて、さらに向こうも全力で返してくれる。一体どうすればそんな相手に恵まれることやら。


「はあ……なんで私と紅葉、女同士なんだろうなぁ」

「…………」


 そう、それこそ紅葉が男の人だったら解決なのに。

 そんな馬鹿げた言葉を耳にした紅葉は何を言うでもなく、こくりと音を立ててお茶を飲んでいた。


「……そうね。なら、カリィナ。賭けをしてみない?」

「賭け?」

「今週末と来週末、私と逢引きをしましょう。

 もちろん遊びだけど、それでカリィナが今以上に幸せになったら私の勝ち。特に心がときめかなかったら、カリィナの勝ち」


 少し、時間をかけて紅葉の提案を噛み砕く。

 逢引きとは言っても、いつもと同じようにどこかへ出かけるだけ。けれど紅葉の言い方からは、面白そうな気配が漂う。


「うん、乗った。賞品は?」

「アーネンエルベでスイーツの奢り」

「いいね。ふっふっふ、今以上に私を幸せにできるかな?」

「もちろん」


 たおやかに、自信たっぷりに紅葉は笑う。

 この笑顔が、私は大好きだった。



■逢引き一回目


 待ち合わせはいつもと同じく噴水の前。水飛沫がキラキラと光る様を見ながら、私は紅葉を待っていた。

 服装は女学校の制服。なぜか、制服で来るようにと指定されたのだ。

 出店で買ったレモネードで喉を潤す。爽やかな味が気持ちいい。それにしても、待ち合わせ時間から十分過ぎても来ないなんて、紅葉にしては珍しい。


「紅葉、まだかなあ」

「あら。もうとっくに着いていたのだけど」

「……へ?」


 独り言に返ってきたのは紅葉の声。けれど私の隣にいるのは、仕立ての良いスーツを着たイケメンさんだけ。


 失礼とは思いながらも、イケメンさんをよく観察する。

 とても綺麗な黒髪黒目。前髪を掻き上げた、中性的で整った顔立ち。

 よくよく見れば男性もののスーツと髪型で惑わされていただけで、紅葉そのものの顔だった。


「──紅葉!?」

「ええ。あなたの親友、紅葉さんよ」


 思わぬ格好に、はしたなくも叫んでしまう。

 紅葉は楽しそうに笑って、私に手を差し伸べた。


逢引きデートって言ったでしょう。さあ、お嬢さん。今日一日、私と遊びましょうか」

「は、はい……」


 普段の淑女スタイルとはまったく違う、男性的な姿。

 ただ服装が違うだけ。だというのに私の心は、どういうわけか高鳴っていた。

 美術館を回って、太陽の下で簡単な昼食を食べる。大通りを散策して、気になった喫茶店に入る。


 普段と同じ休日の過ごし方。けれど紅葉の立ち居振る舞いがいちいち紳士的なものだから、私の心は普段とはまったく違う休日になっていた。


「ほら、危ないわよカリィナ」

「カリィナ、こっち来て」

「もう、クリームついてるわよ?」


 意識してそう振る舞っているから当然。けれど、今日の紅葉は格好と同じように、私の恋人のように接してきて。

 お父さんとお母さんを思わせるやりとりは、嫌でも私をときめかせる。


「……むう」

「どうしたの? そんな目してたら綺麗な顔が台無しよ」

「顔揉むにゃ」


 むにむにとほっぺたを捏ねられる。

 普段と違う雰囲気だけど、私と紅葉の関係は何も変わらない。だからスキンシップも日頃と変わらず、余計に非日常感を引き立てる。


「どこでそんなスーツ仕入れたのさ」

「あなたのお父さんに貸してもらったの」

「どこでそんなイケメン仕草まで仕入れたのさ」

「あなたのお父さんを見て」


 犯人、お父さん。まあ、お父さんは格好いいので仕方ない。

 

 カラカラと、アイスティーの氷を混ぜる。

 陽光が差し込む席。ずっと続いてほしいと思うくらいに穏やかで、大好きな時間。


「ねえ、カリィナ。楽しかった?」

「もちろん」


 紅葉と一緒にいたんだ。否定なんかありえない。


「ときめいた?」

「……ちょっとだけ」


 確かにドキドキしたことは否定しない。

 でもそれは、相手が紅葉だからではなかろうか……?

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