逃亡成功!……たぶん。 4
「なるほどなー、苦労したんだな、お前」
バジルに連れられて、セレアはマリーおばさんのパン屋が借りている小さな倉庫の前に来ていた。
あのままあの場にいたら目立つからである。
移動しながらこれまでの七年間をかいつまんで説明すると、バジルが困った顔でよしよしと頭を撫でてくれた。
「でもよ、逃げるっつても、いったいどこに行くつもりだったんだ? 元いた場所に戻ったんじゃ、すぐに捕まっちまうだろう。現に二週間前と、それから二日前に、うちのパン屋にお前のことを聞きに来たやつがいたぞ」
「そうなの?」
「ああ。二週間前のやつらは、なんかムカつくやつらで、俺らがお前をかくまっているんじゃないかってすっげー疑って、うちの店をひっくり返していきやがったんだ! 二日前のやつは、まあ普通っつーか、紳士だったかな? お前が暮らしていたときのことをいろいろ聞かれたけど、別に何かを疑ってるってわけでも、暴れるわけでもなかったよ」
二週間前の男たちは、おそらくだが父デュフール男爵の手のものだと思う。それ以外にセレアを探す人間が思いつかなかったからだ。だが、二日前の男はよくわからなかった。なんとなくだが、バジルが紳士という男は、デュフール男爵家の人間ではない気がしたからだ。あのデブや、デブに仕えている人間に「紳士」と名のつく人間がいるとは思えない。
「どこ行くかは考えてなかった……」
セレアがしょんぼりと肩を落とすと、バジルががしがしと短く刈られた頭をかいた。
「お前計画性なさすぎ」
「う……」
「とにかく、その服は着替えろ。お前ん家に残ってたものは、内の倉庫の中に納めてあるからよ。ちょっと待ってな」
バジルは倉庫の鍵を開けて、セレアを中に案内してくれた。
大量の小麦が積んである奥に、木箱が二つ置いてある。
「ほかに置く場所がなかったから、こんなとこに置いて悪いな。ええっと、左のでかい方の木箱が服とかを入れてるやつだから、適当に着替えろよ。俺は外に出ておくから」
バジルがそう言って倉庫から出て、倉庫の入り口を占める。
ちょっと暗いが、上の方の明かり取りの小さな窓からわずかに灯りが漏れ入ってくるので、真っ暗と言うほどでもない。
木箱を開けると、セレアが着ていた子供服と、それから母が着ていた木綿のワンピースなんかが出てきた。
「……お母さん」
懐かしくなって、ツンと鼻の奥が痛くなる。
セレアは頭を振って涙をこらえると、ドレスを脱いで母のワンピースの一つに袖を通した。
着替え終わって来ていたドレスを着箱の中に無造作に投げ入れると、セレアは倉庫の扉をあける。
セレアの姿を見て、バジルが「ははっ」と声を上げて笑った。
「そうしてるとおばさんみてぇ」
「似てるかしら?」
「似てる似てる。だがまあ、お前の方が美人だよ」
バジルの口からさらりと「美人」と言う単語が飛び出して、セレアは目を丸くした。あのバジルがセレアに「美人」なんていうとは。……七年の月日の重さを改めて思い知った気がする。
「それで、これからどうするんだ?」
「うん……。いつまでも王都にいたら見つかるかもしれないから、どこかのタイミングで出ようと思うんだけど……どうしたらいいかな?」
「そうだな……」
バジルは腕を組んで考え込む。
「来月でいいなら、隣町までなら行く用事があるぜ? 契約している麦農家に、今年の購入分の相談に行くんだ」
「バジルが?」
「ああ。おふくろは忙しいからな」
「パン屋さん、バジルが継ぐの?」
マリーおばさんは、早くに夫を亡くしていて、女手一人でバジルを育てていた。跡継ぎはバジルしかいないからバジルが継ぐのかもしれないが、子供だったバジルが働いていると言うのがどうにも想像できない。
「そうだな。その……来年結婚するから、嫁と一緒に、な。少しずつおふくろから仕事を教えてもらってる」
「バジル、結婚するの⁉」
「なんで驚くんだよ。もう俺も十八だぜ? 結婚しておかしい年じゃねーだろ」
「あ……そうよね……」
言われてみたら確かにそうだが、やっぱり変な気分だった。
セレアの中の市井の記憶が七歳で止まっているからだろうか。
「ええっと、相手は誰? もしかしてファラ?」
「んなわけねーだろ。ファラは花屋の跡取りだぜ? そんで俺はパン屋の跡取りだ。ファラがもし俺に振り向いてくれてたとしても、跡取り同士が結婚できるわきゃねーだろ」
「そういうものなんだ……」
「そういうものだ。だけどファラなんて、懐かしいことを言うよな。いったいいつの話をしてんだか。俺がファラを好きだったのなんてずっと前のことだぜ?」
バジルが苦笑してセレアの頭にポンと手を乗せる。
「うん……そうだよね……」
そうだ。もう七年が過ぎている。
(まるでわたしだけ、七年前に取り残されたみたい)
何もかもが変わっている。
セレアだって、七歳の子供ではない。
それはわかっているのに、どうしてこんなに淋しいのだろう。
「相手はさっき言った麦農家のところの末娘だ。お前と同じ年だよ」
「そっか……。ね、彼女のこと、好き?」
「ん⁉ な、なに変なことを言い出すんだ!」
「いいじゃない。ねえ、好き?」
バジルはぱっと顔を赤く染めて、ぷいっと横を向くと、ぶっきらぼうに答えた。
「好きじゃなきゃ結婚なんかするかよ」
「……そうだよね」
普通はそうだ。
少なくとも、市井で生きてきたセレアにとっての普通。
聖女だとか、浄化の力だとか、家の都合とか。そんなもので結婚する貴族がおかしいのだ。
(聖女を手に入れたいから結婚しろなんて、おかしいのよ)
ジルベールにとっては「聖女」であれば誰でもいいのだろう。
たまたまセレアが聖女で、そしてセレア以外の聖女が手に入らなかっただけ。
貴族令嬢とは、聖女とは、なんて虚しい存在だろう。
「もし来月俺と一緒に隣町に行くなら、それまでこの倉庫を使うか? うちのパン屋においてやりたいが、また変な奴らが来たら困るし。ここならさすがに見つからねーだろ。倉庫に寝泊まりする女なんていねーからな。ちょっと不用心だけど、一応鍵もかかるし、お前が嫌じゃないならここを使っていいぜ」
「いいの? 迷惑じゃない?」
「迷惑なもんか。七年前、お前に助けられなきゃ、俺は死んでたかもしれねーからな」
「大げさだよ」
「大げさじゃねーよ。そんで、俺のせいでお前が連れていかれちまったのも本当だから。このくらいしかできねーけど、協力くらいさせろ」
「……じゃあ……お願いします」
正直言って、今のセレアには行く場所がない。
王都から逃げようにも手段はないし、生活しようにも住む場所がないのだ。
「わかった。じゃあ、あとでパンの残りを持ってくるから、うろうろすんじゃねーぞ。見つかったら大変だからな」
「うん」
バジルがひらひらと手を振って走っていく。
セレアはバジルが見えなくなるまで見送って、それから倉庫の中に入った。
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