男爵家の次は公爵家なんてもううんざり‼ 3

「け、け、け、結婚ってどういうこと⁉」


 セレアは声を裏返した。

 会ったばかりの男にいきなり「結婚してくれ」と言われて、セレアは大混乱に陥った。


(何考えてんのこいつ⁉ 普通、出会ってすぐ結婚を申し込む⁉)


 十歳の時にデュフール男爵家に強制連行されたセレアは、貴族の結婚は政略結婚が珍しくないことは理解している。しかし、だからと言って急すぎやしないだろうか。

 ぱくぱくと口を動かすセレアに対して、ジルベールは、今まさに求婚したばかりの男とは思えないほど平然とした顔で淡々と言った。


「そのままの意味だが?」

「理解できないって言ってんの‼」


 すると、ジルベールが怪訝そうな顔になる。


「君は聖女だろう? 何故わからない」

「何故って…………ああ」


 そこで、セレアもようやく理解できた。

 つまるところこの男も、聖女が欲しい人間なのだ。

 結婚と言われて驚いたが、あのデブ――デュフール男爵と何ら変わらないのである。手段が娘として引き取るか、妻として引き取るかの違いだけだ。

 理解すると、セレアの中の驚きが急速にしぼんでいく。

 もともとときめいてなんていなかったが、あっという間に心の中が冷えた。


「お断りよ」


 セレアは侮蔑を込めて吐き捨てたが、ジルベールはセレアの回答が理解できないように首をひねる。


「何故?」

(何故? 何故ですって?)


 セレアには、ジルベールの放った疑問の方が不思議でならなかった。この男は、本気でセレアが拒否した理由がわからないのだろうか。

 唖然としていると、ジルベールが考え込むように顎に手を当てる。


「男の股間を容赦なく蹴り上げるくらいだから、君はロマンチストとではないと思っていたけれど、俺の勘違いだったのかな。もちろん妻となる女性に甘いセリフの一つや二つでも吐けと言われればやぶさかではないが……」

「結構です‼」

(わたしがいつ甘いセリフが欲しいなんて言ったのよ⁉)


 ゴーチェやアルマンも頭がおかしかったが、この男も頭がおかしいのではあるまいか。もしかしなくとも、貴族と名のつくものはみんな変なのかもしれない。やっぱり今すぐにでも貴族社会から足を洗うべきだ。

 しかし、逃げ出したくも、セレアを囲うように両手をつかれているから逃げられない。

 セレアは考えて、ちらりと視線を下に落とした。

 その瞬間、ジルベールがぎくりと肩を揺らして身を引く。


「おい今何を考えた」

「何も?」

(この体勢から急所を狙えるかしらなんて思ってないわよ、ちょっとしか)


 ジルベールはセレアの視線に危険な何かを感じたらしく、セレアの隣に座りなおす。けれども逃亡阻止のためか手首をつかまれてしまって、セレアはチッと舌打ちした。


「おい、淑女が舌打ちするな」

「淑女と名のつくものになった覚えはないのよおあいにく様!」


 デュフール男爵家に連れていかれた後も、アマンダのババアに使用人以下の扱いでいびられこき使われていた。男爵家にいるから淑女だろうと、勝手にひとくくりにしないでほしい。


(それに貴族令嬢が総じて淑女だって思ってるなら頭を疑うわ。もう令嬢って年じゃないけど、少なくともあのババアは淑女って感じじゃなかったもの)


 もしあれを「淑女」と言うのならば、貴族と平民では「淑女」の概念が違う気がする。あれがまかり通るなら貴族社会は魔の巣窟だ。


「話を戻すが、俺との結婚は君にとってもメリットがあるはずだ」

「ふぅん、例えば?」


 そんなものこれっぽっちもあるとは思えなかったが、一応聞いてやろうかとセレアは訊ねる。


「なんかものすごく上からものを言われているみたいで腹が立つが、まあいい」

(それはこっちのセリフよ!)

「まず、君は聖女だ。俺と結婚しなくとも、君が欲しい人間は貴族社会にはいくらでもいることを覚えておいてほしい」

(知ってるわよそんなこと! だから貴族社会から逃げたいんじゃないんの!)

「次に、俺の見立てでは、君の父、デュフール男爵は、非常に利己的な男だ。噂では娘を溺愛して外に出したくないのではと言われていたが、俺から言わせれば、自分にとって一番利益のある所に君を差し出そうとしているようにしか見えなかった」

「まあそうね」

「なんだ、知っていたのか」

「あのデブの考えそうなことなんて見てたらわかるもの」


 セレアは鼻で嗤った。


「あのデブはわたしを、ええっとなんだったかしら、あのデブ二号の名前。なんとか侯爵って言ってたんだけど忘れたわ。とにかく昨日のパーティーで、デブな中年侯爵に売り飛ば……じゃなくて、結婚させようとしていたのよ、だから逃げたの」

「ボラン侯爵だ」

「ああそんな名前ね。まあ名前なんてどうでもいいわ」

「まあ、あの名前は覚える必要はないが……。そうか、君はきちんと理解していたんだな。意外と賢いじゃないか」

「それはどうも」


 馬鹿にされているような気がしなくもなかったが、セレアは一応礼を言っておいた。ジルベールは、一応、セレアを窮地から救ってくれた男だからだ。……裏があったみたいだが。


「では賢い君なら理解できると思って続けるが、貴族たちは……特に領地を持っている貴族の中で、現在瘴気溜まりに悩まされている貴族連中は、俺を含めて、喉から手が出るほど聖女がほしい」

「あっそう、理解はできるけど興味ないわ」


 ジルベールの眉の先がぴくりと揺れた。癇に障ったようだが、もちろんセレアは気にしない。むしろ嫌な女だと思われてさっきの求婚がなかったことになるなら万々歳だ。


「……俺を煽ろうとしても無駄だからな」

「あら残念」

「話を続けるがいいか?」

「どうぞ」


 セレアは肩をすくめて、すっかりぬるくなった紅茶に口をつけた。ただ聞いているだけなのも退屈なので、三つ目のパンに手を伸ばす。


「貴族たちは聖女が欲しいが、君は少々微妙な立場だ。というのも、君がいる家が悪い。デュフール男爵家はこう言っては何だが落ち目なんだ。だから高位貴族、特に王家に近い貴族は、デュフール男爵家の名前が邪魔をして、正面からは結婚を申し込みにくい」

「で? だからあのデブにとって利益がある相手は、昨日のデブ二号みたいなのしか残らないってことでいいのかしら?」

「察しが早くて助かるな。つまりはそう言うことだ。だから、どちらにせよ君はこのままだと、昨日のボラン侯爵もしくは彼に近いような男に娶わせられるだろう」

「そうね。だから逃げる気だったのよ。……失敗したけど」

「いや、失敗じゃない」

「は?」


 セレアはパンを食べる手を止めて、まじまじとジルベールを見つめた。


「君がここにいることは、デュフール男爵を含め誰も知らない。つまり君は、昨日のパーティーの後から世間的には行方不明になっている」

「それは好都合だけど、だから何? 逃がしてくれるの?」

「もちろん逃がさない」

「…………あんた、わたしを揶揄って遊んでる?」


 ムカッとしたセレアは、じろりとジルベールを睨みつけた。

 けれども、睨まれた方のジルベールは、笑みを深めて続けた。


「君をこのままここに置いて、ほとぼりが冷めたところで書類を偽造して知人と養子縁組を行う。そのあとで俺と結婚すれば、デュフール男爵家とは無関係で君を娶れるという寸法だ」

「はあ⁉」

「君もデュフール男爵家と縁が切るし、そして変な男に嫁がされずにすむんだ。悪い話ではないだろう?」

「ばっかじゃないの⁉」


 セレアはあきれた。

 ジルベールはセレアが納得しないのが不思議なようだった。


「どうして? 君にとって都合がいいはずだが」

「いいわけあるか! あのねえ、わたしはもう、貴族に関わりたくないの! こんなところはもうたくさんなの‼ だいたいあんただって聖女の力が欲しい口でしょ? あのデブたちと何が違うって言うのよ? 聖女聖女聖女‼ もううんざり‼」


 セレアは食べかけていたパンをジルベールに投げつけて、驚いた彼の手が緩んだ隙に立ち上がった。


「待て! 言っておくが、逃げようとしても逃げられないぞ。見張りはたくさんいるからな」


 駆けだそうとしたセレアに、ジルベールが馬鹿にしたように言う。

 セレアは腹が立ってその場で地団太を踏んだ。


「ふざけんじゃないわよ!」

「ふざけてなどいない。俺は君を逃がさないと言ったはずだ。せっかく捕まえた君を手放すつもりなんて毛頭ない。あきらめるんだな」


 セレアはカッとなって、絶叫した。


「貴族なんて、貴族なんて、大っ嫌いよ――――――ッ‼」





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