第16話 最後の一欠片



 

 ーーー貴方は、神を信じますか?


 いいえ、私は信じていません。


 ただ……神様は、居て欲しいと思います。


 だって、神様が居なければ、他に誰を恨めというのですか?



 ***



 泣き疲れて、寝入るアマルの顔を見つめながらどうしようもない気持ちになる。俺はアマルの何を見ていたのだろう。


「……殺す、なんて。そんなことできるはずないじゃないか」


 俺には、覚悟がなかった。ここで生きる覚悟が。アマルを守り、一緒に生きていく覚悟が。


 それは、俺が異邦人だから、余所者だから、そう理由をつけていた。……そう思おうと、した。ただこの世界に一歩踏み込むことが怖かっただけなのに。俺の臆病さが、たった一人の女の子を傷付け、ここまで追い込んだのだ。


 この世界で、生きるつもりがないなら、ここを出るべきだった。ベネディクト修道司祭が言うように、深入りすべきではなかった。


 それでも、ここに残り続けたのはアマルが居たからだ。俺が彼女の孤独を救ったように、俺もアマルに救われていた。覚悟を決めなければならない時が来たのかもしれない。



 たったひとつの、その一欠片を埋めるその時が。




 ***




 俺は暫くアマルの様子を眺めてから、そっと自室へと戻ってきた。


 扉を閉めて、ずるずるとその場に座り込む。手を額に当て、深いため息をついた。臀部に、石畳の冷たさを感じながら、アマルの言葉を思い返す。


 ずっとひとり、でした……か。


 ここには、俺の他にも沢山の人がいるのに。それでもなお、アマルはそう言った。ここは牢獄のようだと、そう言った。


『私に笑いかけ、誰もが私を綺麗だと、そう言ってくれました』


 誰もが……?


 どういうことだろう。


 アマルが何故?


 分からない。


 分からないことだらけで、どうして良いのかも分からない。


 大声で叫んで、走り回りたくなる。不甲斐ない自分に、どうしようもなく苛立ちを覚えた。自分を落ち着かせるように、扉から立ち上がってそのままベットに倒れ伏し、目を瞑る。今は、ただ頭を冷やしたかった。


 それから暫く時間がたち、起き上がってベッドに腰かけ俺は改めて、記憶の糸を手繰り寄せることにした。


 記憶を辿り、反芻し……ある事実に気がつく。


 この1年修道院の中で修道士たちと暮らしているはずなのに、アマルが彼らと共に行動するところを見たことがない。それどころか、会話しているところさえ見たことがなかった。


 それに――


 ――他の修道士の口から、アマルの名前を聞いたことがあっただろうか。


 以前、サルスがアマルに向け言った侮辱の言葉は、女性嫌悪や女性蔑視の思想から来るものではなかったのではないか。


『野蛮。無知。それが貴様の罪なのだ。恐れを知らぬか、白痴の者よ。人は斯くあるべきというのに』


 それは、アマルが恐れ忌み嫌われる原因のを俺が知らなかったから。恐れるべき存在と、その野蛮故に、その無知故に、その白痴故に、共に居ようとした俺への苛立ち。


 追い出さなかったのではなく、アマルが側にいて俺を守り、目を光らせていたから俺に手を出せず、追い出せなかっただけなのでは?


 アマルに深入りするなと、忠告したベネディクト修道司祭。修道院に、まるで恐ろしい怪物が潜んでいるとでも言うようなあの瞳。ベネディクト修道司祭が怯えていたのは、アマルに対してだったのか。


 俺が修道院を抜け出したとき、泣いたアマルを抱き上げて修道院に入り、駆け寄ってきたフランチェスコが、アマルに向けたあの冷めた視線。


 彼女の部屋が修道院の一番奥にあるのは、女性であるアマルを守るためではなく、隔離するため?


 全てがアマルを起点として、繋がっていた。


 脳裏にアマルの姿が過る。


 「……暖かい」と、宝物のように俺の手を握ったアマル。置いていかれることを異常に嫌がり、隙あれば俺と一緒に過ごしたがったアマル。俺が修道院を抜けだしたとき、泣きながらひどく取り乱したアマル。初めて貰った贈り物だと、青い小さな花を受け取り無邪気に微笑んだアマル。


 そんな彼女の姿が、次々と浮かんでくる。

 俺は、強く拳を握りしめた。


 ここで、アマルがどういう扱いを受けているのか。どうしてそうでなければならなかったのか。俺は知るべきであろう。いや、知らなければならない。たとえ、そこにどんな答えがあったとしても、俺はアマルの側にいる。



 ――それだけが、俺に言えるたったひとつ確かなもの。 



 

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