第7話 誘惑の果実
ここに来て、かれこれもう1年の月日が立った。
季節は、冬から春へと移り変わる境目。
相変わらず、俺はこのストーンハースト修道院に世話になり、修道士と共に生活を送っている。
修道士たちの朝は早い。
なんせ、まだ深夜と言っても良い時間に起床するのだ。
外は暗闇に包まれ、蝋燭の光が頼りなさげに周囲を照らす中、彼らは祈りを捧げ、数十分黙祷する。黙祷が終わるとすぐさま、聖なる読書を始める。夜明けが訪れる頃にはミサを行い、やっと朝食にありつけるという寸法だ。
その後も、労働や読書、食事の合間に絶えず祈りを捧げるというのだから、修道士の1日も中々忙しい。
俺は修道士ではないので、それに合わせることもない。しかし、一人だけ惰眠を貪るのも気が引け、俺も夜明けよりずっと早く、ベッドから起き上がるようになった。
……とは言っても、寒さからいつもアマルが起こしに来てくれるまで、布団から抜け出せない日も多い。
そんな俺の姿を見てもアマルは失望するどころか、むしろ目を輝かさせ甲斐甲斐しく世話をしてくれるのだから始末に終えない。
隙あらば、着替えを手伝おうとするアマルを何とか閉め出して、ほっと一息。早々と寝間着から普段着のシャツとズボンに着替。身体を伸ばし、頬を叩いてやっと眠気が飛んでいく。
それを読んだかのように、アマルが再び部屋に入ってきた。すぐにフードを脱ぎ素顔を晒すと、その拍子にさらりと豊かな銀髪がこぼれ落ちた。
俺の部屋にいるときに限って、アマルはその顔を見せてくれるようになった。毎朝、女神のようなスラヴ系美少女に起こされるというシチュエーションも、日本にいた頃は考えられなかったことである。
「……アンディ様、もう着替えてしまわれたのですね」
「当たり前だろ。手伝って貰わなくてもそれぐらい一人でてきるって」
「もう、本当にいけずなお人。あら、ふふっ、アンディ様ここに寝癖がついていらっしゃいますよ」
そう言って、アマルは俺の髪を手櫛で整える。
俺とのスキンシップにも幾分慣れたのか、最初は手に触れることすら俺の顔色を伺っていたのに、今では戸惑いなく触れるようになった。最近ではアマルの方が積極的にスキンシップを量り、ストレートに気持ちを伝えようとしてくる。
「むっ、中々手強い寝癖ですね。アンディ様、少し屈んで頂けますか?」
俺の身長は186cmあり、アマルはそれより頭1個分以上低いので145cmあるかないかといった具合だろう。この時代の平均身長が低いのもあり、修道院の中でも俺はずば抜けて身長が高い。
言われるまま、前のめりに屈む。アマルは俺の頭を胸に引き寄せ抱き締める。そして、俺の髪を口に含みもごもごと唾液をつけた後、再度手櫛で撫で付け整える。
「はい、これで大丈夫です。ああ、素敵。今日も惚れ惚れするくらい男前ですわ、アンディ様」
「あ、ああ、ありがとな」
朝から美少女に髪を食まれるという背徳感、そして彼女の甘い匂いとその胸の柔らかさにドギマギしながら、礼を言う。
アマルは身長は低いのに、胸が極めて豊かだ。まさにトランジスタグラマーである。それもあって、まだ十代半ばなのに、時折とてつもない色気を感じる。
また同時に、この時代の女性の結婚適年齢が15歳前後であることも関係している。早ければ、初潮を迎えて直ぐに嫁ぐ場合も少なくないだろう。
つまるところこの価値観から言うと、アマルも結婚し子どもを産んでいてもおかしくないということだ。少女ではなく、もう立派な成人女性として扱うべきなのか。
本当に今さらなのだが、あまりくっついたり撫でたりするのは、控えた方がいいのかもしれないと思えてきた。
アマルは男女のそれにあんまりにも無防備だからなぁ。隙だらけすぎて、俺じゃなかったら誘われていると勘違いするぞ。
まぁ、俺は自身に向けるアマルの気持ちを知っているので、迂闊に手など出すつもりは一切ないが。
「アンディ様、どうかなされましたか?」
「いや、何でもないよ。それより、まだ挨拶してなかったな。おはよう、アマル。今日も一日、元気に頑張りますか」
「はい、おはようございます。アンディ様」
アマルは満面の笑みを浮かべた。俺もつられて、笑顔になる。
朝のやり取りを終えたアマルは、礼拝に行くと言って部屋を後にした。
俺は礼拝やミサ、聖なる読書に参加をする訳にも行かず、部屋でじっとしていることが多い。
早く起きたものの完全な手持ちぶさたになる。
勿論、1日部屋で引きこもってる訳ではない。修道士に混ざり畑を耕したり、養蜂所をから蜂蜜を取ったり、修道院が所有する醸造所でビールや蜂蜜酒を作ったりと何だかんだでスローライフを満喫している。
さて、今日は何をするか。そう考えて、ふと思った。
修道院で暮らしを始めて1年が立つが、修道院の囲われた敷地内でしか出歩いたことがない。
都市には行けなかったが、修道院の周辺なら出歩くことも大丈夫なのではないか。
そうだ。少しぐらい、抜け出してもバレやしないだろうし、なんなら探索して、直ぐに戻って来ればいい。
一度脳裏にその事が浮かぶと、興味が自分の中でどんどん膨らんでいく。一刻立つ頃には、それは強烈な冒険心として台頭していた。
とにかく、今すぐにでも外へ行いってみたい。
焦燥感に駆られながらも夜が明けるのを待ち、俺はひっそりと修道院を抜け出したのであった。
修道院を出ると、すぐに目の前には畑が広がる。ここで、野菜や薬草などを日々の糧を栽培している。そこから少し離れた場所には、醸造所があった。醸造所を抜けたところにある正門は固く閉じられており、勝手に出入りすることはできない。
俺は迷わず、とある場所へと向かう。
修道院の敷地を囲うよう張り巡らせた石壁に沿って歩く。
少しすると大きな落葉樹が生える場所に辿り着く。その木の裏に隠れるように生えている茂みを掻き分けると、石壁に人が1人やっと通り抜けられるぐらいの穴がぽっかりと空いていた。
以前、偶々発見した石垣の穴だ。
見つけた当初は、今の環境に慣れることに必死でここを通り抜けてみようなんて、全く考えもしなかった。
ごくりと、唾を飲み込む。
俺はその穴を這って、何とか通り抜けることがてきた。
――――キィーーンッ!
そのとき弦が切れるような甲高い音が聞こえたような気がした。
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