第3話 そうあれかし



 聖なる読書。


 それは、聖書を読むことにより祈りを捧げ、神との対話を図る行い。


 ストーンハースト修道院では、毎朝その時間が設けられている。


 黙々と聖書を読み、なぞり、心の中で反芻する。それは、修道士にとって重要な日課のひとつなのである。


 修道院内には書庫があり、聖書は勿論だが祈祷書や学術書など様々な本が置かれている。また、本を読むだけではなく、修道士の仕事として写本作りも行っている。


 活版印刷などない時代だ。

 本は全て人の手で作られていたため、写本を作るのには、莫大な時間と労力が必要であったのだ。 


 修道院には、そんな写本の製造から装丁まで行うことができる専用の写本室がある。


 ここからも分かるように、この修道院の修道士たちは、読み書きをおこなうことができる。

 だからそれがどうしたのだ、と思われるかもしれないが、この時代の識字率を慮れば、それがいかに特別なことであるか伺い知れるだろう。


 この地に住む特権階級を除くほとんどの人々は、文盲であり、十分な教育を受けることができずその一生を終える。


 読み書きができない人々のために、私的文書や法的文書を作成する公証人という職業が存在すること自体が、その事実を裏付けることができる。

 そんな中、修道院は有識者の集まる場所であり、知識の宝物庫とも言えるのである。


 さて、そんな小難しいことを考えながら、俺は書庫の中で本を読んでいた。


 他の修道士たちはこの時間、ミサをしているはずなので、書庫にいるのは自分ただひとりだ。

 隠れるようにして書庫を訪れているのは、本自体が大変高価て貴重なものであるからで、よそ者である俺が書庫に入ることを、よく思わない人もいるだろうと思ってのことである。


 ここにもし俺の知り合いがいたならば、この違和感に気づくだろう。それは一重に、俺がここにある本を読めるということである。


 そう、読めている。


 全く知らない言語で書かれたはずの書物が、読めてしまっているのだ。


 確かに、大学まで修学していた俺は問題なく読み書きができる。しかしそれはあくまでも、母国語である日本語と義務教育の恩恵によって否応なしに叩き込まれた英語だけの話だ。本来なら、ここにある本を読むことすらできないはずなのだ。


 そもそもで言うと、言葉が通じるというのも甚だおかしい。


 ここにきた時から、難なく俺は言葉を話すことができた。この地の公用語が日本語ではないかと一瞬錯覚するほどすんなり頭に入ってくるのだ。


 今開いている本にしても、日本語でも英語でもない言語で書かれていることは明らかなのに、何が書かれているのか分かる。それがどんなに異常なことなのかも。

 修道院の人々には、俺が文字を読めることを言ってはいない。これ以上、勘繰られたくなかった。聞かれたとしても、答えることができないからだ。


 何もしなくても、言葉や文字が読める。

 文面だけでは、なるほど良いことずくめではないか。

 もちろん、これがなければここでの生活が成り立ないことも理解している。理解はできているが、何とも言えない気持ち悪さが残る。


 俺は一体どうなってしまったのだろう。

 分からないこと程、恐ろしいものはない。


 しかし、思いあたるのはここに喚ばれたからとしか言えない。なぜならこの地にいること自体が、超自然的現象の帰結だからだ。 


 言葉が分かり、文字が読めるのは、神からの祝福なのか、悪魔からの呪いなのか。それとも両方か。


 喚ばれてから、自身に付加された異常な能力は、今のところそれだけである。これ以上は、何もないことを願うばかりだ。


 何度か口にしている「喚ばれた」という表現が、正しいものなのかは分からない。たまたま、なんらかの事故で来てしまった可能性だってあり得る。ただそう思うと、どうしようもなく行き場のない怒りから吐き気を催す。


 俺は理由も意味もなく、無慈悲にもここに来たのだと思いたくない。何かしらの役割があって、ここにいるのだと思っていたかった。


 その役割を全うし、終えることができれば、元の場所に戻ることができるのではないか。   


 俺はそんな希望的観測を未だに捨てることができない。


 ――そう、礼拝堂で目覚めて半年たった今でも、俺はこの地で生きる覚悟を持てないでいた。

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