第5話 ゴールデンレトリバーのモコ
雪の朝。
ゴールデンレトリバーのモコは、雪の中で寝そべっていた。
皿にはドッグフードの食べ残しがあった。
腹ペコのサリーは、それを物欲しげに見つめた。
「犬さん、お腹いっぱいなんですか?
それいらないんですか?
残すと勿体ないので、アタシが食べてあげましょうか?」
犬に猫語が通じるとは思わなかったが、モコは眠たげな瞼を少し上げて、「バム!」と吠えて、また瞼を閉じた。
サリーは恐る々々皿に近づいて、一口のドッグフードを口に含むと、さっと後退った。
モコが寝たままなのを見ると、今度は堂々と皿に顔を埋め、ポリポリと食べ始めた。
キャットフードとは違うが、昔を思い出す味だった。
「犬さん、ありがとう」と言って、サリーは口の周りを、ぺろりと舐めた。
それからサリーは、モコに会いに行くのが日課になった。
食料が少ない時期、モコの食べ残しは、ありがたかった。
そろそろ桜が咲こうかという頃。サリーは三歳になっていた。
「まぁた、この猫来ている。
家はノラ猫まで、養うつもりはないのよ!」
モコの飼い主に見つかった。
「モコちゃんは優しいから、いつもあなたの分を、食べ残しているの。
保健所に電話して、駆除してもらうから!」
「おいおい、お袋。ご近所には猫好きもいるし、殺処分でもされると、なんて言われるか分からんぞ」
横にいた息子が言った。
「それじゃ、あんたがこっそり、遠くに捨ててきて!」
サリーは、直ぐに逃げ出して、木の陰に隠れたが、二人の会話は遠くて、聞き取れなかった。
翌日、いつものようにモコに断って、食べ残しのドッグフードを食べていると、突然、何者かに首根っ子を掴まれ、むんずと持ち上げられた。
仔猫の時、ママンにされたように、体の力が抜けて、ブランとなった。
いつもは大人しいモコが、「バウバウ」と吠えた。
「悪いな、お袋の言いつけだから」
男はサリーをダンボール箱に入れると、ガムテープで蓋をした。
サリーは真っ暗な箱の中で、鳴いて引っ掻いたが、箱は破れなかった。
車で連れて行かれたのは、大きな河の河川敷だった。
男は乱暴に、ダンボール箱ごと、サリーを堤防から投げ捨てた。
天地も分からないままグルグル回って、サリーは草原(くさはら)に、叩きつけられた。
箱が崩れ、中から抜け出せたものの、サリーは唖然とした。
「ここはどこ?アタシは人間だから、こんなジャングルじゃ生きていけない!」
草の高さは、サリーの背丈の何倍もあった。
闇雲に歩いてみたが、草原から抜け出せない。
時折、車が走る音が聞こえる。
日が暮れると、上の方で光が流れているのが見えた。
街の光だ。
サリーは光に導かれて、堤防を登った。
突然、眩い光がサリーを襲った。
サリーは凍りつき、地面にしゃがみ込んだ。
ガガッーと、サリーの頭上を、車が通り過ぎた。
危ない、ここは車道だ!
サリーは必死で車道を横断した。
ずっと遠くに、動かない光が見えた。
これこそ街の灯かもしれないが、小柄な猫のサリーには、絶望的なほど遠かった。
田んぼには、刈り取った稲の切り株が、整然と並んでいた。
田んぼとあぜ道、田んぼとあぜ道、田んぼとあぜ道。
夜に街の灯を目指して歩き、昼はヤブに潜んで、田んぼに降りたスズメを捕まえた。
数日経って、やっと街についた。
ゴミステーションを見付けて、サリーは叫んだ。
「ご飯!」
しかしそこには、サリーの二倍はあろうかという斑猫がいた。
サリーは「ごめんなさい」と言って、直ぐに逃げ出したが、斑猫は執拗に追いかけ、噛み付いた。
サリーがいくら謝っても、斑猫は許してくれなかった。ネズミをいたぶるように、どこまでも残忍だった。
「ジイジ助けて!ジイジ助けてよぅ!」
庭の高い木から降りられない時は、「ニィニィ ニィニィ」と呼ぶと、ジイジが助けに来てくれたが、ジイジは死んだ。もう助けには来てくれない。
遠のく意識の中で、サリーは思った。
「そうだ、アタシがジイジに、会いに行けば良いのだ。このまま死ねば、ジイジに会える」
しかし、サリーは生きていた。
祖父のシャムがしたように、本能が命じるまま、ヤブに潜み、じっと傷が癒えるのを待った。
朝露をすすり、じっと動かないサリーに気づかず、目の前を通り過ぎようとする虫を、捕まえて食べた。
ヤブの中で生きるサリーには、ノミがわき、ダニが血をすすった。
「どうして栄養失調のアタシから、血をすするの?もっと栄養が良い、斑猫がいるじゃない!」
しかしノミやダニに、いくら抗議しても無駄だった。
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