第129話 皇帝の戴冠式(3)
シュバイツと貞潤の戴冠式が、法王庁の大聖堂で厳かに執り行われた。特に大陸東側から皇帝が選出されるのは、有史以来の初となる。近隣の王侯貴族と駐在している各国領事が、歴史的瞬間に興奮気味だ。
「のう、フローラよ」
「あは、あはは。紫麗さま、後でゆっくりと」
「そうじゃな、しっかりきっちりみっちり聞かせてもらうぞよ」
初代皇帝ヤコブの子孫、シュバイツ・フォン・カイザー。女性的な面立ちだが男子の正装を身にまとえば、そこはやっぱり皇族で立ち居振る舞いも洗練されている。紫麗はその凜々しい姿に開いた口が塞がらず、四夫人も性別と身分を隠していたことにご立腹のようす。
いやフローラもシュバイツも、貞潤と髙輝に三女官も、打ち明けようとセッティングはしていたのだ。ところがさあ始めようってタイミングで、敵襲の銅鑼が鳴り戦闘に突入したわけでして。以降みんなその件が、頭からすぽーんと抜けてしまい今に至る。
「信仰を堅持し、領邦国家群をまとめ、平和と安定を目指し、民を導く覚悟がそなたらにあるか否や」
床に置かれたクッションに両膝をつく、シュバイツと貞潤に法王は問う。二人は答える、この命ある限り、大陸の平和と民の安寧を目指しますと。
戴冠式に於ける定型文ではあるが、シュバイツも貞潤も本気でそう考えている。それが分かるから法王は目を細め、よろしいと二人の頭に皇帝冠を載せた。
ラムゼイ枢機卿が取りなさいと、小箱をふたつ乗せた儀礼用のお盆を差し出した。箱の中にはそれぞれ、皇帝の紋章印となる指輪が入っている。
「ここにアリスタ帝国の第八十八代皇帝と、新生ミン帝国の初代皇帝が誕生した。シュバイツ・フォン・カイザーと曹貞潤に、全ての神と精霊のご加護があらんことを」
法王の宣言に、盛大な拍手の渦が巻き起こる。そんな中でシュバイツの母クローデが、感極まりおんおん泣いていた。話しには聞いていたものの、まさか我が子が皇帝になるなどと、今の今まで半信半疑だったのだ。義理の母となる彼女の肩を、フローラが優しく抱き寄せていた。
さて戴冠式はつつがなく終了したが、それではさようならと帰れるなんて思ったら大間違い。二人のお披露目を兼ね来賓を招いての、立食パーティーが後に続く。そこはフローラもグレイデルも、キリアに三人娘も織り込み済み。
なんせ普通の料理と聖職者向けの料理を、両方作ってくれと頼まれちゃったのだから。言い出したのはあの人とあの人、つまりパウロⅢ世とラムゼイ枢機卿ね。
本当は舞踏会もあるのだけれど、それは後日でとフローラはお願いしていた。法王庁もそれがよろしいでしょうと、あっさり承諾してたりして。前回と同じく舞踏会の会場となるのは、城壁外にある離宮と決まっている。誰かさんが隕石を転移門にぶち込んだ衝撃波で、半壊させちゃったもんだから会場がないってオチで笑えない。
「お国替えでブロガル王国と合併したら、国名はどうなるのかしらね、ミリア」
「ローレン皇帝領じゃないかしら、リシュル。アウグスタ城に使用人が増えて、賑やかになりそうね」
「みてみて、シュバイツさまの所に小国の王侯貴族が集まってる」
「帝国地図が塗り変わるもの、その情報を引き出したいってところかしら」
「貞潤さまにも人だかりが」
「んふふ、交易を結びたいのでしょうね。その玄関口となるヴォルフさまの所には、招待された
給仕をしながらミリアとリシュルが、そんな思念を交わし合う。各国の大商人は支店を置きたいから、ヴォルフに繋ぎを取っておきたいのだ。国境の要塞だったブラム城を中心に、交易都市が生まれることになる。
「都市計画は? グレイデル」
「まだ白紙ですわ、フローラさま。ブラム城の化粧直しも終わっておりませんのに」
レディース・メイドの思念が届いた二人は、太巻きと五目いなりを頬張りながらうむむむと顔を見合わせる。そこへ同じく思念を聞いたキリアが、お悩みですねとやって来た。恰幅のいいおばちゃんもドレス姿だと、グラーマン商会の奥方として優雅に振る舞う貴婦人である。
パーティーにはフローラ軍の隊長職も招待されており、もちろん婚約者も同伴となる。ヴォルフは隊長職じゃないけれど、副官であるグレイデル公爵の婚約者だ。俺もかよと本人は渋ったが、そうは問屋が卸さないわけでして。
私はこの場に不釣り合いではと、アリーゼが少々気後れしている。そんな彼女をゲルハルトが、ドレス似合ってるよとエスコ-トしていた。遊郭の暗殺者となるには、それなりの美貌と教養が求められる。ゆえにお針子チームの力作を着用すれば、見事に化ける……もとい映えるのだ。
「私が思いますに、仙観京をモデルにしたらいかがかと」
「あ、それいいわねキリア。碁盤の目にして区画をきっちり分ける、どうかしらグレイデル」
「市民任せで無秩序に建物が乱立するよりは、好ましいですわねフローラさま」
そこで黙り込んじゃう三人、ぶっちゃけ眠いのである。閣下の加護はスペルの行使に伴う睡魔を抑えてくれるが、生理的に眠いのはどうしようもない。
取りあえず食べて口を動かしていればと、フローラはマグロの握りにワサビをてんこ盛り。そうですわねとグレイデルも、チーズピザにタバスコをドバドバ。もう一息ですわとキリアが、ホットドッグに練り辛子をこれでもかと塗りたくる。料理が並べられたテーブルの、向かい側にいた来賓客が「ええ!?」という顔をしていた。
「冷凍のエビを戻すには」
「海水と同じ塩水に」
「浸けておくのがいいのよね」
「そーれかんかかん」
「かんかかん」
「かんかかーんかん」
ここは法王庁の炊事場、三人娘が中華鍋を振るい、糧食チームも大わらわ。料理はほぼ出し終わったのだが、エビチリとエビマヨにお寿司が大人気で、追加オーダーが入って来るのだ。海無し国の住人にとって海鮮は垂涎の的、すぐにお皿から消えちゃうらしい。
「何かしてないとね、樹里」
「眠っちゃいそうなのよね、明雫」
「取りあえず手を動かそう! 明雫、樹里」
桂林のかけ声にあいあいさーと二人が応じ、中華鍋が踊るように舞う。カレンとルディにイオラは魚をおろし、糧食チームがお寿司を次々と握っていく。
「しばらく戻るつもりはないと? エイミー」
「はい修道女長、このままフローラ軍に従軍したく存じます」
「理由を聞いても、いいかしら」
「だってレシピが次から次へと増えていくのです、このまま法王庁へ戻ったら、私は一生後悔すると思う」
あらまあという顔の修道女長ヒルデと、おろしていた根ワサビを握り締め訴えるエイミー。炊事場の隅で行なわれているこのやり取り、手を動かしながらも糧食チームの面々は、しっかり聞き耳を立てていた。
「ご両親には?」
「ちゃんと話しました。そこまで言うならとことんやれって、認めてくれたんです」
そろそろ国許へ戻すべきかしらと、ヒルデは考えていたのだ。だが本人が家族と話し合い決めたならば、私が口を出すべきではないなと苦笑する。
魂にはいろんな状態があって、浮き沈みが激しい。そんな中で学問を極めよう、職人として技術を極めよう、その一心で前を向いた魂は目映いほどに輝く。
今のエイミーは正にその状態なのだが、そこは百戦錬磨の修道女長、それだけじゃないわねと見抜いていた。女性特有の、幸せオーラを感じ取ったのだ。
「もしかして、求婚されてるのかしら」
「へ? へ? あのあの」
カレンとルディにイオラ、そして糧食チームの手が、ぴたりと止まってしまう。睡魔と戦う三人娘は、全く気付かずかんかかーんかん。
ひょうたん島では水着姿ではっちゃけたフローラ軍、そんな中でエイミーに惹かれちゃった兵士がひとり。本軍の悲報を聞き弔い合戦をしないのですかと、声を上げた重装隊のバルデだ。うんうん女性陣はみんな知ってる、知ってるけど何も言わず見守ってる。
「エイミーに全ての神と精霊のご加護があらんことを」
胸の前で十字を切るヒルデに、エイミーからぷしゅうという音が聞こえたような聞こえなかったような。シルビィもそうだけど修道女長ってすごいなと、思い知る糧食チームの面々であった。
パーティーは盛況で無事終了したのだが、フローラとグレイデルに、キリアと三人娘がぱたんきゅう。婚約者たちも同様でくーすかぴーだから、フローラ軍は法王庁から動けなくなっちゃいました。
もっともそこは統率が取れているフローラ軍、ゲルハルトが離宮を復旧しに行くぞと兵士らをまとめ上げた。この人たち軍人なんだけど行軍を重ねることで、もはや職人集団と化している。渡れない川があれば、橋を架けるくらいなのだから。離宮へ向けざっざと行進していく姿に、市民たちがぽかんと口を開けていた。
「くーださーいな」
「おやエイミーじゃないか、そちらの三人は?」
「桂林と明雫に樹里が来られなくなったので、代理のカレンとルディにイオラです、店主さん」
「まさか、どっか具合でも悪いのかね?」
「いいえ元気ですよ、ちょっとお役目がありまして」
くーすかぴーをお役目に置き換えちゃう、機転が利くエイミーさすが。法王庁の炊事場で働いていたから、市場の店主たちとは顔馴染みなのだ。案内してもらったスティルルーム・メイドの三人が、お見知りおきをとカーテシーでご挨拶。
「謝肉祭が近くてな、エイミー」
「はい」
「牛の内臓肉が大量に出回ってる」
「はいはい」
「内臓肉は鮮度が命だから」
「はいはいはい」
「お買い得になってるぞ」
牛タンはハラミはとカレンが、シマチョウはハツはとルディが、レバーはミノはとイオラが、目を爛々と輝かせた。頭の中はもう焼き肉三昧で、タレは三人娘の作り置きが兵站部隊にあったりして。食肉エリアの店主たちが、食い付きいいなと大笑い。
「全部ください」
「へい毎度あり! あれに積めばいーんだよな、エイミー」
そうですと笑顔で頷き、エイミーとスティルルーム・メイドの三人は、ミリアとリシュルから渡された革袋を取り出した。普段はキリアと三人娘が持っている、軍資金を預かったのだ。女王の側近であるレディース・メイドから、それだけ信用されたってこと。
店主があれにと言ったのは、まだ成鳥にはなっていないけれど、だいぶ大きくなったワイバーンの雛たち。その性質は変わらずで、幼い子供たちとじゃれあっている。
主人を背に乗せて、小振りのゴンドラを首からかけ、短距離なら飛べるようになっていた。雛といえどもワイバーン、三頭もいれば一個中隊の護衛が付いているのと同じ。
「焼き肉と言ったらニンニクとニラよね、カレン」
「大根おろしも必須よね、ルディ」
「ゆず胡椒に大葉も欲しくない? 二人とも」
いいねいいねとわいきゃいはしゃぐ三人に、盛り付けに必要なレタスやキャベツもお忘れ無くと、エイミーが真顔で人差し指を立てる。こうしちゃいられないわと、青果エリアへ突撃する四人であった。
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