第79話 兵士たちの休息(2)

 ここは実質的なメイド長であるハウスキーパー、クララ・アルトマンの執務室。

 かつて三人娘の悪口を言ったルディとイオラ、それをたしなめたカレンが呼ばれていた。あの時は喧嘩で炊事場が戦場となり、その場にいたメイドの間ではちょっとした語り草になっている。ただしアンナの耳に入らないよう箝口令が敷かれ、事件を知るのはキッチン・メイドとスカラリー・メイドだけだ。


「三人とも近頃は仲がいいわね。ルディ、イオラ、何か心境の変化でも?」

「フローラさまの言葉がずっと頭に残ってるんです、クララさま。ね、イオラ」

「結婚しても夫が働けなくなった場合、自分に何が出来るだろうってね、ルディ」

「それで、答えは出たのかしら」


 クララの問いにルディとイオラは、お菓子屋さんの店を持ちたいと口を揃えた。例え夫が事故や病気で働けなくなっても、自分が家族を養えるからと。その答えにクララは目を細め、執務机に肘を突き手を組んでよろしいと頷いた。


「明確な目標を持たない者に、下級メイドを脱することは出来ません。カレン、ルディ、イオラ、あなた達を本日付でスティルルーム・メイドに任命します。後釜となるキッチン・メイドを、スカラリー・メイドの中から推薦してちょうだい」


 はっと息を呑む三人に、おめでとうと祝福するクララ。ただしと彼女は含みのある笑みを浮かべ、勤務地はフローラ軍の兵站部隊よと告げた。


「従軍するわけですか? クララさま」

「兵站糧食チームから三名、他国へ派遣することになったのよ、カレン。それであなた達に白羽の矢が立ったわけ」


 従軍手当はこれよと、カレンは人差し指を立てた。銀貨一枚ですかと尋ねるルディに、馬鹿おっしゃいとクララは怪しげに笑みを増す。


「銀貨十枚、つまり大銀貨一枚よ。この話し、受けてくれるかしら」


 スティルルーム・メイドの俸給は銀貨六枚で、それに大銀貨一枚を加算ときたもんだ。断る理由がなく、三人は首を縦にぶんぶん振る。従軍手当という名の危険手当であることには、考えが及んでないみたいだけど。


「桂林と明零に樹里は貴族であることが判明し、正式なウェイティング・メイドに任命されました。彼女たちから料理やお菓子で学ぶことは多いはずよ、精進しなさい」


 背筋を伸ばし、はいと声を揃えるカレンとルディにイオラ。そこへ壁に控えていたパーラー・メイドのスワンが、私も指名されたから従軍するよと、にまっと笑った。


「スワンも行くんだ、嬉しい」

「うはは、外交の酒宴が増えるらしいんだ、カレン。仕事で酒が飲める、最高だね」


 これがなければレディース・メイドになれたものをと、クララは顔に手を当て盛大なため息を吐く。もっとも当のご本人は酒豪で酔い潰れることはなく、パーラー・メイドを天職と自負している。フローラ軍に新たなメンバーが加わり、賑やかさが更に増しそうだ。


 そのころ正門前では隊長たちが、昼前から野営テーブルで酒盛りを始めていた。揃ってディッシュ湾へ夜釣りに出かけたら、メバルがよく掛かったのだ。糧食チームに刺身と塩焼きにしてもらい、それを肴にわははと歓談していた。


「歳を重ねたら釣りを覚えなさい、そんなことわざがあったな、アーロン」

「何となく分かる気がするな、デュナミス。釣りは狩猟と一緒、駆け引きが面白い」

「シュルツの竿を折った上に糸を切った奴、あれは何だったんだろうな」

「スズキじゃないか? コーギン」

「そうか、確かにエラ洗いしてたもんな、アレス」


 残念だったなシュルツと、アムレットが肩をぽんぽん叩く。もっとも彼は気にしてないようで、美味しそうにメバルの刺身を頬張る。隊長仲間と夜釣りできた事が、何より楽しかったとぶどう酒をぐびり。


 鋭気を養えと大聖女さまは仰ったのだからと、思いっきり羽を伸ばす兵士たち。見渡せばチェスをしたりカードゲームに興じたり、湖にボートを出して競争したりと、それぞれが休暇を楽しんでいた。

 行軍中も野営中も緊張の糸を緩めなかったから、ホームである首都ヘレンツィアにいる安心感は何物にも代えがたい。明日は鹿や猪でも狩りに行こうかと、隊長たちはジョッキをぶつけ合い盛り上がる。


「楽しそうだな」


 その声に振り向けば、ひとりの女性が立っていた。城の使用人でもなく、兵站の隊員でもなく、娼婦にもこんな人物はいなかった。はて誰だろうと、首を捻ってしまう隊長たち。だが醸し出す雰囲気に妙な親近感を覚え、彼らは席を勧めてしまうのだ。


「わしはアレスだ、この城へはどのような用向きで?」

「フローラからな、近くを通ったら遊びに来いと誘われての」


 メバルの塩焼きをもしゃもしゃ頬張る女性に、何だ知り合いかと顔を見合わせる隊長たち。聞けば衛兵に先触れを頼んでないと言うから、詰め所におーいと声を上げるアレスであった。


「しし、失礼いたします!」

「どうしたと言うのですか、そんなに慌てて」


 フローラの執務室で彼女のライアーハープを聞いていたアンナが、でかい衛兵の声に不機嫌さを露わにする。王侯貴族が必ずマスターしなきゃいけない、楽器をひとつ女王が弾けるようになったのだ。せっかくいいところだったのにと、扉を開けた衛兵に胡乱な目を向ける。


「あの、その、正体不明の女が、正門内に侵入しまして」

「はあ? 門を守る衛兵は何をしていたのですか!」


 それをアンナに言われたら返す言葉もなく、衛兵がひええと縮こまってしまう。正門には詰め所があって、人の出入りは厳しくチェックしている。それを突破されたら衛兵の意味がないわけで、アンナが怒るのも無理はない。


「待ってアンナ、その女性は何か要求しているのかしら?」

「フローラさまに面会を求めております。セネラデと言えば分かると、女は申しておりますが」

「セネラデ……セネラデ……ああっ!」


 海龍さんもう遊びに来たんだと、フローラは丁重にお通ししてと衛兵に告げた。彼女は控えていたミリアとリシュルにお茶の用意を頼み、アンナに半月荘での出来事を説明する。


「ずいぶんと早かったのね、セネラデ」

「最高位の大精霊は知っておるか? フローラよ」

「霊鳥と神獣に竜よね、その上に神霊があるって聞いてるけど」

「その神霊が精霊女王ティターニアぞ、実力は魔王とさして変わらん存在だ。私は海龍と呼ばれているが分類としては神獣、人間界で魔力を行使できるし、空間を飛び超える術は持っておる」


 瞬間転移が使えるならば、座標を覚えた場所であればすぐ行ける。フローラはそれで来るのが早かったんだと、クッキーをぽりぽり頬張るセネラデに笑みを向けた。しかし人の姿を採れるとは驚き、もしやティターニアも実態は違うのかしらと、ちょっぴり怖いような見てみたいような。


「この都はいいな、食い物も酒も美味しい」

「美味しいって、お金はどうしたの?」


 それがだなとセネラデはポケットに手を突っ込み、テーブルにコインを広げた。アンナとミリアにリシュルが、むむむとそれに見入る。近世から数世紀前に発行された色んな硬貨で、古銭と言うよりは博物館行きでもおかしくない代物なのだ。


「酒場に行ってこれを出したら、店主に断られてな。そこへクラウスとラーニエだったかな? 男女が奢ってくれたのだ。そしたらゲルハルトにアリーゼと名乗る男女が合流して、更に奢ってくれた」


 クラウス組もゲルハルト組も、休暇を満喫しているようで何より。彼らが精霊を目視できるようになってから、ずいぶんと経っている。酒盛りしてた隊長たちと同じように、人型のセネラデを見て何か感じるものが、四人にあったのかも知れない。


 それよりもこの古い貨幣だが、オークションにかけたらコレクターがどんな値を付けるか、まるで想像できない。少なくとも金や銀の含有率に加え、歴史の重みというプライスレスが落札に関わってくる。


「他にもあるの? セネラデ」

「七つの海には沈没船がごまんとある、位置は覚えておるからいくらでも」

「分かった、ここにあるのは大陸全土で使えるローレン貨幣と交換してあげる」

「ほう、そいつはありがたい。実はこの都が気に入ってな、ディッシュ湾を拠点にしようと思っていたところなのだ」

「……はい?」

「宿屋の心配はいらんぞ、私が眠るのは海だからな。この身が都にあれば海の豊漁が約束される、漁民たちはさぞ喜ぶであろう」


 首都ヘレンツィアのディッシュ湾に、海の大精霊が居候することになりそう。ところで慰労会とは何ぞやと、セネラデは紅茶をすすりクッキーをぽりぽり。


「その前に正門からどうやって入ったか、お聞きしても?」

「アンナと申したか、別に難しいことはしておらんぞ。ほれ、四属性の精霊を供にする三人娘がおったであろう。市場で見かけこれはちょうど良いと、荷物を積み込んだ方の馬車にひょいっと飛び乗ったのだ」


 扉に控えている衛兵を、ぎろりと睨むアンナ。まあ三人娘の買い出しなら、門番は顔パスにしちゃうもんね。責めないであげてと、フローラがはにゃんと笑う。そしてセネラデは何か問題でもと首を傾げ、紅茶のお代わりをするのであった。


 そして夜、兵士らの飲み会……もとい慰労会の始まり始まり。

 スティルルーム・メイドとキッチン・メイドにスカラリー・メイドも、総動員で給仕に当たる。シーフの二人とケバブが予想した通り、メインはやっぱりにぎり寿司でした。


 こういう時に国主の長い挨拶は無粋なもの、フローラは飲んで食べて歌って踊れと簡単に締めくくった。だってもう居並ぶ兵士らが、餌を前に尻尾を振るわんこ状態なのだから。

 心得てるねとシュバイツが満面の笑みで、フローラにサングリアを手渡す。ぶどう酒をフルーツジュースで割ったソフトドリンクで、かんぱーいとお互いグラスをぶつけ合う。吟遊詩人ユニットが景気の良い音楽を奏で、正門前はお祭り状態だ。


「お前さん、ちょっと来な」

「ダーシュだ、俺に何か用か」


 しゃがんでダーシュの体をわしわし撫でる、セネラデがふうんと口角を上げた。怒らせたら絶対ヤバイ奴ってのは、わんこ聖獣もさすがに気付いている。何がふうんなんだと、ダーシュは意図が読めず半眼を向けた。


「あんた近い将来、精霊化するね」

「俺が?」

「地獄の番犬ケルベロス……いや飛び級でヒノカグツチかイフリートかもな」

「それが目出度いことなのか、よく分からない」

「触媒となる人間がいれば、魔力を行使できる。お前に守りたい人間はいるか」


 ダーシュの視線の先には、隊長たちと歓談するキリアがいた。あの人間かと、セネラデは目を眇めた、先が短かそうだねと。


「だから守りたいんだ」

「ならフローラに頼んで、精霊界へ連れてって貰えばいい。魔素による獣人化の防御魔法はなしで」


 おいおいとセネラデを睨むダーシュだが、彼女は至って真顔だった。獣人化してしまえば、精霊王オベロンのように永劫とも言える寿命が手に入ると。

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