第36話  那古野城 三の丸戦(2)

天文18年(1549年) 12月那古野城

 森 三左衛門(可成)


 「兄者ぁ~、左近殿の言う通り本当に清州方が騙されてやってくると思うかぁ? 」

 「こら、犬千代。左近殿は腕だけでなく、若様から知恵の面も頼られるお方だ。それに忍びを抱えるあの御人がしくじるとは思えん……。それよりお前はこれが初陣じゃろうが。人の心配をしとるより、も少し気張らんかっ!! 」


 じきに清州方が現れるはずの三の丸。それを今か今かと待ち構えるのは儂が率いる森家の手勢を含む若様織田信長麾下二百名の武士達。若様不在の今、総大将を務めるは傅役・平手様だ。


 幾人かの者共で別れて潜む那古野方だが、今回我ら森家と並んで隣の建物の影で備えている前田家の方からは、時折、前田蔵人利久犬千代利家兄弟のやり取りが聞こえてくる。


 蔵人の弟は槍の腕前だけなら兄にも勝ると聞いていたが、あの生意気な弟が居っては、蔵人は苦労するであろうな。此度の初陣が済めば若様織田信長の小姓となるらしいが、あのような者で殿の側近が務まるのか……。些か先が思いやられる。


 「へいへい。しっかし、兄者は気張りすぎなんじゃ。そんなに気張っておったら敵が来る頃には疲れてしまうわ」

 「だからと言って、槍を置いて寝転がる奴がおるかっ!! はぁ……、まったく馬鹿者が」


 蔵人は、犬千代にもはや何を言っても無駄と思ったのか。項垂れるように呟くと、犬千代を放っておいて、改めて広場を睨むように窺い始めた。


 「なぁ兄者ぁ。滝川家は鉄砲で有名な御家だろぉ? 狙撃ならともかく、囮役なんて明らかに槍刀でやり合わなきゃいけないのに大丈夫なのか? 」

 「なんだ、滝川家が飛び道具ばかりの軟弱者だと言いたいのか? お主は……」

 「いや、そうは言ってねぇけどよぉ……」


 美濃から流れてやってきた我が森家と同じく、元は甲賀者だが畿内から流れてやってきたという滝川家。この儂も滝川家といえば火縄銃を使って安祥の戦で功を立てたというくらいしか知らぬ。


 林や青山といった重鎮達が末森城に集まる中、若い佐久間出羽介と滝川左近将監を筆頭に若様麾下の前田蔵人、池田勝三郎、九鬼志摩守達だけで三郎五郎様の籠城に加勢したと聞いた時には驚いたものだ。儂も大和守家への警戒がなければ共に行けたのだがな。


 「滝川与力には槍の使い手が多い。それに甲賀から付き従う者達滝川忍び衆は刀術にも優れておる」


 滝川殿とはあまり話したことはないが、市井で見かけた際に僧形の薙刀を携えた者や儂より大柄な槍を背負った若武者を引き連れていたのを見かけたことがある。それにあの服部党を潰すほどの武闘派の御家なれば、飛び道具だけが取り柄だとは思えぬが……。


 「どこまで頼りになるのかねぇ……」

 「頼むから滝川家相手に舐めた態度は取らぬようにな……。お前も一度、左近殿に武芸の手解きをしてもらうと良い。甲賀仕込みの刀術はなかなかのものぞ」

 「刀術ねぇ。ま、俺は槍がありゃ十分だぜ。どうせやるなら下方貞清殿や柴田殿、森殿に手解きしてもらいてぇぜ」


 そう言う前田犬千代は、よほど自信があるのか、頭の後ろで手を組み、寝転びながら、こちらを挑戦的な目つきで睨んできた。


 生意気だが、若様の護衛も兼ねる御役目を担うからには、此奴の胆力は褒めるべきか……。だが、十文字槍の扱いにかけて、尾張・美濃で右に出るものは居らぬ自信がある儂に、槍で勝とうとは笑止。


 「おいこらっ! 森殿を睨むな! 」

 「いってぇなぁ!! 何すんだ、兄者ぁ」

 「お前が無礼者だからだ、馬鹿者がぁ。まったく……」


 弟の不遜な態度に気がついたのか、蔵人は寝転ぶ弟の頭を蹴り上げると、それを見ていた儂の視線に気がついたのか、気まずそうに無言で頭を下げてきた。儂も蔵人に対して思うことはない故、軽く会釈を返しておく。


 まぁ、この戦をあの生意気な前田の弟が生き抜けたならば、稽古ぐらいは幾つかつけてやってもよい。ただでさえ奇行の目立つ若様の周りをあのような増上慢に任せておいては何が起こるかわからん。蔵人にできぬのならば、儂がその鼻柱を叩き折っておかねばならぬな。


 そんなことを考えながら蔵人たちの方を見ていると、蔵人と犬千代の間の暗がりに、ほんの一瞬、空気の揺らぎが見えた気がした。その刹那だった。


 「なに奴っ!! 」


 相変わらず寝転んでいた弟を無視して、じっと広場を凝視していた蔵人は気付かなかったが、寝転んでいた犬千代の方はその気配に気づいたのか咄嗟に声を上げ、立てかけてあった槍を掴もうと起き上がった。


 「おっと、そこの御仁は動かぬように。某、敵ではございませんよ」


 気付けば闇夜に溶け込むような黒い着物を纏った男が、起き上がろうとする犬千代の胸を踏みつけ、刀の鞘をその首元に突きつけながら立っていた。


 「そちらの十文字槍の御仁もどうか動かないでくださいませ」


 その一瞬の出来事に気づいた儂も、手元の槍を構え、向かいの前田兄弟の方へ足を踏み出そうとしたところで、黒装束の男に釘を刺された。


 足元の犬千代に意識を向けつつも、儂の動きを見定める視線はなかなかの強者に思える。その者をよく見れば、僅かだが、犬千代に向けた刀の鞘に見覚えのある家紋、滝川紋が彫られているのが見えた。


 「お、おいっ犬千代、大丈夫かっ!! その方、何奴っ」


 少し遅れて犬千代の声に気づいた蔵人が狼狽えたように男に問いかける一方で、鞘とはいえ、刀を突きつけられた犬千代は負けを認めたのか、槍に向かって伸ばしていた腕をだらりと下ろし、自らを踏みつける黒装束の男を睨み返していた。


 「滝川忍び衆、雲霧くもきり助五郎」


 顔を覆う布をずらし、儂と蔵人に笑顔を見せ、そう名乗った雲霧という男。視線を下に向け、未だに眼光鋭く睨みつける犬千代の目を見つめ返すと、奴に載せた足をゆっくりと退かし、刀を腰へと据え直した。


 「もうじき、殿がここへやってくるとお伝えしようと思ったが……。少々不遜な声が聞こえたものでね」

 「ちっ……。聞き耳立てていやがったのか……」


 どこから聞いていたのかわからないが、犬千代はその不遜な態度をこの忍びに気取られたようだ。そして、この忍びの態度から察するに、左近将監殿は配下からかなり慕われる人物であることが窺える。


 たしか、左近将監自身も侍と忍び、どっちつかずな土豪の出自であったはず。だが、それだけの理由で忍びの配下に慕われるわけではあるまい。他にも甲賀と関係のない紀州出身の配下が多いことからもそれがわかる。主君として仰ぐには十分な器量人ということか。


 「弟がすまない、雲霧殿。前田家は左近殿に含むところはない」

 「いえ、こちらこそ前田様にご無礼を。そちらは森家の御当主様ですね。此度こたび、殿が”攻めの三左”様が居れば心強いと仰っていました。何卒、殿をよろしくお願い致します」


 左近将監殿は美濃出身の儂を知っていたか。しかも、かつては美濃土岐家に仕えており、織田家においてはまだ新参ともいえる儂の渾名まで知っているとは……。


 「お膳立てを滝川殿が担ってくれるのだ。仕上げは我らに任せてくれ。無論、前田殿も全力を尽くすであろう」

 「それは無論のこと」

 「ありがとう御座いまする。おや……どうやらこうさんが近くまで来たようです。某は殿の下に向かいます故、これにて失礼……」


 そう言うと雲霧助五郎は軽々と建屋を跳躍し、闇夜に溶けるように姿が見えなくなった。


 「斯様な配下を抱える滝川殿と一度、話をしてみたいものよ……」

 「……某でよければ、お引き合わせ致しましょう」

 「ふっ……よろしく頼む。だが、まずはここを生き延びることだな」


 儂の呟きが聞こえたのか、左近将監と縁戚の蔵人が儂に気を遣って仲介を申し出た。儂もいきなり屋敷に押しかけるわけもいかず、仲介してくれるなら有り難い。


 そんなことを考えていれば、雲霧の言う通り、くだんの滝川殿が清洲方を伴って三の丸広場へと現れたのだった。


 「蔵人、犬千代、気張って行けよ。先頭に居る滝川殿を死なせるな」

 「ははっ」「任せろ。あんたが”攻めの三左”なら、俺は”槍の犬千代”じゃ」

 「そういうことは元服してから言わんか馬鹿者がぁっ」


 またもや生意気な言で蔵人に頭を引っ叩かれた犬千代を尻目に、儂も森家の手勢の元へ戻る。まぁ、初陣でこれだけ威勢が良ければ前田兄弟は心配ないだろう。


 そんなことを思った儂は、手元の十文字槍の握りを確認しながら、続々と広場に現れる清洲方をじっと見定めた。



***

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。

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