第15話 白衣の勇者、約束する

 ――火曜日。


 英雄の事務所では、撮影がある場合は土曜日に行い、日月が休みとなる。ゆえに二日ぶりの出社。午前中は啓子からいろいろなレクチャーを受け、ダンジョンについて調べたかったので、午後からは資料室でいろいろな資料を見ていた。


 英雄が部屋へ戻ると、ピンクのカーディガンを着た絵麻が、談笑用スペースのソファーでスマホをいじっていた。高校の制服姿。英雄はすかさず、視診する。


 ・レベル : 16

 ・体力  : 1220/1225

 ・魔力  : 160/160

 ・物理  : 199

 ・魔法  : 159


 治療前のステータスを思い出す。


 ・レベル : 14

 ・体力  : 988/1099

 ・魔力  : 122/122

 ・物理  : 186

 ・魔法  : 124


 『高魔圧症』の治療によって、全体的な値が上昇している。これが本来の彼女のステータスなのだろう。魔導系の不調が全体的に悪影響を及ぼしていたようだ。


 歴と年齢を考慮すると、このステータスはかなり期待できる。一般的に、筋トレをしても魔導系が鍛えられることはないが、魔導系を鍛えることによって冒険者向きの体になるため、全体的な数値が上がりやすくなる。魔導系が改善された今、彼女は驚異的なスピードで成長していくだろう。


 絵麻が気づいたので、声を掛ける。


「お疲れ」


「ん。お疲れ」


「ごめん。ちょっと、触診していい?」


「え? 私に触りたいの? えっち」


「そういうわけじゃないけど。経過観察ってやつ?」


「ふーん。まぁ、いいけど」


「んじゃ、ちょっとピリってするね」


 英雄は絵麻の肩を触って、魔力を採取し、ついでに諸々の測定も行う。


「どう? 変なところあった?」


「無いよ。良い状態」


「ふぅん」


「学校の帰り?」


「そんなとこ」


「今日はどうして? とくに用事はないでしょ?」


 マネージャーは火曜日から仕事があるが、演者である絵麻たちは、撮影があった場合、水曜日まで休み。だから今日も、絵麻の予定はない。


「編集部へ渡す動画を先にチェックしておこうと思って」


「なるほどね。でも、それなら、俺がやるのに」


 この事務所では、動画の編集は編集部で行ってくれるらしい。ただ、ある程度、使って欲しい素材はピックアップしておく必要があるらしく、その作業は、主にマネージャーが行うことになっている。そのやり方については、後ほど啓子に教えてもらう予定だったが。


「あんたは、まだ勝手がわからないでしょ?」


「そうか。ありがとう。俺のためにわざわざ」


「か、勘違いしないでよね。べつにあんたのためじゃないし。その、変なところを渡されたら困るし」


 絵麻のツンとした態度に懐かしさを覚える。昨日の途中から仲良くなった……と思っているが、このツンな姿こそ、本来の絵麻だったか。


「んじゃ、動画のチェックが終わったら、教えて」


 英雄は事務スペースの自分の席に座って、パソコンを開こうとした。すると、絵麻がそばに立つ。


「一緒に見ようよ。そっちの方がいいでしょ?」


「……確かに」


 英雄が隣の席にある椅子を引こうとしたら、ワイシャツを引っ張られる。


「あっちでいいじゃん」


 絵麻が談笑用スペースを指さす。


「……わかった」


 談笑用スペースには、一人掛けのソファーと三人掛けのソファーがあって、一人掛けのソファーに熊のぬいぐるみが置いてあった。


 英雄がどかそうとしたら、「それは駄目」と絵麻に言われる。


「え、何で?」


「そこはくまちゃんの席だから」


「どういう世界観? なら、俺はどこに座ればいいの?」


 絵麻は三人掛けのソファーに座ると、自分の隣をぽんぽん叩いた。


「ここに座ればいいじゃん」


「いや、そこはほら」


「何? 私の隣に座れないって言うの?」


 英雄は困り顔でホワイトボードに視線を走らせる。啓子は会議中だから、1時間の猶予はある。


(……啓子さんが来るまでなら)


 朝の打ち合わせで、啓子から絵麻との距離感についてチクチクと小言をもらった。だから、啓子に見つかると、面倒なことになるが、見つからなければ問題ないだろう。


「わかったよ」


 英雄は絵麻の隣に座って、パソコンを開く。昨日、取り込んだ動画を再生したら、絵麻がより体を密着させた。英雄が口を開くより先に絵麻が言う。


「こっちの方が見やすいんだもん」


「なら、モニター持ってくる」


 立ち上がろうとしたが、その手を掴まれる。


「いいじゃん、べつに。それとも、私に興奮してんの?」


「してないけど」


「なら、いいじゃん」


「まぁ、うん」


 嘘である。この男、めちゃくちゃ興奮している。しかし、辛うじて理性を保っていられる理由は、秘密兵器の『賢者モード』があるからだ。


 英雄は眉間を揉むふりをしながら、瞼の裏で青い炎を灯す。


 可愛い。良い匂い。柔らかい。妹はこんな感じかな。ツンツンしてたくせに。ギャップヤバい。可愛いすぎんだろ。あぁ、手が出そう。女子高生。未成年。所属タレント。禁断。背徳感。


 それら煩悩まみれの単語を炎で燃やし尽くし、邪念の密林を更地に変える。心頭滅却すれば火もまた涼し――。今の英雄なら火中にも飛び込める。


 絵麻が肩に頭を乗せてきたが、それすら無風でやり過ごし、英雄は目の前の画面に集中する。


「ねぇ」と不意に絵麻が言った。「何で、あんたは、うちらのマネージャーをやることにしたの?」


「それは……」


 妹を探すためだ。会った直後は、そのことを伝えることが絵麻たちの関係を拗らせる原因になると思ったが、今なら大丈夫だろう。


「妹を探したいから、かな。俺が妹を探しているのは知ってる?」


「うん」


「SNSやテレビを使って、探してみたんだけど、見つけることができなかった。それで、海外にいる可能性も考えて、海外からの視聴者を得やすいディーバーになろうと思ったんだ。でも、俺はまだ仮免しか持っていなくて、六か月ルールのせいですぐにディーバーになることはできないから、すでにディーバーとして活動している絵麻たちをサポートして、絵麻たちを有名にし、間接的に俺の存在も世界にアピールしようと思ったわけ」


「え、あんた仮免なの?」


「ああ。言ってなかったっけ? 仮免なんだ」


「あんたほどの実力がありながら、仮免だなんて、上の連中は節穴なのかしら?」


「まぁ、上の人たちに見せていないってのもあるけどね。なんか、上の人間になると、機密情報が多くなるから、動きづらくなるらしいし。まぁ、でも、俺は今のやり方でも良かったと思ってるよ」


「何で?」


「絵麻たちに出会えたからかな。誰かをサポートするような生き方も悪くないと思った。それに、昨日、絵麻と一緒に探索できて楽しかったし」


「私はべつにそんなことなかったけど」


「マジ? なら、ざんねん」


「……ごめん。嘘。私も、ちょっと楽しかった♡」


「そっか。なら、良かったわ」


「それでも、妹さんを手っ取り早く見つけたいなら、やっぱりその力を見せつけた方がいいと思うんだけど。かなりインパクトがあるから、世界でも認められると思うよ?」


「それはそうなのかもしれないけど、俺は俺の力が強大なことも知っているから、扱い方には注意が必要だと思っている」


 異世界の師匠にも、その辺は厳しく指導された。とはいえ、師匠の存在は忘れたことになっているから、絵麻が納得できそうな例を探す。


「まぁ、ダイナマイトみたいなものかな」


「……どういうこと?」


「ダイナマイトって、本来は人の生活を良くするために開発されたものだけど、それを正しく理解できない人たちのせいで、多くの命を奪う兵器になった。俺の力に対しても同じことが言えて、俺が気を付けていても、気づかない間に悪い奴らに利用されて、多くの人に不幸をもたらす可能性がある。だから、安易な力の使い方はしたくないんだよね。例えそれが、妹を探すためであっても」


「そっか。でも、その力を私に使ってくれたってことは、私のことを大事に思ってるってこと?」


「それは、そう。もちろん、絵麻たちの頑張りが俺にとっても得になるっていうのはあるんだけど、やっぱり頑張っている若者は応援したくなるから」


 それにあの程度なら、バレても問題ないと思っている。積極的に公開するつもりもないが。あの程度の力は、異世界を救った男の序章に過ぎない。


「なんか、おじさんみたいなこと言ってるー」


「俺ももうおじさんだよ」


「まだ27でしょ? これからでしょ」


「だといいけど。それより、今度は絵麻がディーバーになった理由について教えてよ」


「私? 私はお父さんのためかな。お父さんは、今でこそ農家をしているけれど、元々自衛官をやっていて、結構、サバイバルとか好きなの。それで、ダンジョンが出現したとき、真っ先に行こうとしたんだけど、左目を怪我してて、それが原因で冒険者になれなかったから、そんなお父さんにダンジョンの景色を見せてあげたくて、ディーバーになったの。変、かな?」


「そんなことない。立派な理由だと思うよ。なら、お父さんに喜んでもらえるように、一流のディーバーにならなきゃだね」


「なれるかな?」


「なれるさ、絵麻なら。そして、絵麻を一流にするために、俺はここにいる」


「……ふふっ、そっか」


 絵麻はおもむろに立ち上がると、英雄に微笑みかけた。


「こんにちは! 今日もあなたのハートにビリビリアタック! 雷のエレメント、雷塚絵麻です!」


 英雄は突然の自己紹介に困惑する。絵麻が不満げに頬を膨らませた。


「もう。相変わらず、ノリが悪いな」


「すまん。急だったからさ」


「そんなんじゃ、うちらのマネージャーできないよ?」


「すまんすまん。頑張って、ノリの良さを学ぶよ」


「ん」と絵麻は右手を差し出した。「それじゃあ、改めてよろしくね、マネージャー」


 英雄はかすかに目を見開き、口元に確かな自信を浮かべて、その手を握った。


「ああ。こちらこそ、よろしく」


 いろいろと不安なことはある新生活だけど、何とか頑張っていけそうな気はした。

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