【短編】アイに任せて

結城 刹那

第1話

 教室は異様な空気に包まれていた。

 朝のホームルーム前だというのに、まるで授業中であるかのようにクラスメイトは自分たちの席に座って教科書を見たり、ノートに書いたりしていた。中にはただ机を眺めているだけという生徒もいる。近くの席の友達と話す生徒もいるが、話し声はいつもより小さい。


「藍沢くん、昨日はお疲れ様」

 

 窓側から二番目の最前列にある自分の席に座ろうとすると、隣にいた女子が声をかけてきた。黒髪を肩まで長く伸ばし、読書中のためかメガネをかけている。読んでいる本は今話題のミステリー小説だった。

 相賀 彩葉(あいが いろは)。学級委員長を務める才色兼備の少女だ。


「そっちこそお疲れ。事情聴取なんて初めての体験で何だか新鮮だったよ」

「怖い発言ね。まあ、アイってつくだけで怪しまれている身としては、そうポジティブに考えた方がいいかもしれないわね」

「ホントだよ! 私なんてクラスでは大曲くんと最もかけ離れた存在なのに、めちゃくちゃ事情聴取長かったんだから」


 二人で話していると、俺の後ろの席の一之瀬 愛(いちのせ あい)がいつものように話に割って入ってくる。茶色の長い髪を垂れ流し、顔には薄化粧を施している。制服を着崩している姿からあまりいい印象を受けない彼女だが、根はいい奴だ。


「一之瀬も災難だったな。飯塚はまだ来てないみたいだな」

「おそらく、今日は来ないと思うわ。自分の友達が酷い目に遭った上に、自分が目をつけられているのだもの。まともな神経をしていたら、来ないわよ」

「それは、暗にここにいる三人がまともじゃないって言っているのか」


「違うわ。大曲くんは友達とは無縁の存在だから、何も思っていないだけ」

「もっと酷いな。その様子だと誰が死んでも平気そうだな。相賀って、友達と思っている人間いなさそうだし」

「そんなことないわ。あなたのことは友達だと思っている。今回の件でより一層ね」

「嫌な友情の深まり方だな」


 相賀と会話をしていると、ホームルームを告げるチャイムがなった。同時に先生が教室のドアを開けて入ってくる。表情はいつものような晴れやかなものとは異なり、曇っている。

 生徒たちはすぐさま静かになった。いつもなら先生が注意するまでうるさいのだが、今日は違うらしい。先生は名簿を教壇に置くと皆へと顔を向ける。


「おはようございます。突然でずが、皆さんにお知らせがあります。もう知っている方もいるとは思いますが、一昨日の土曜、大曲くんが亡くなりました。現在警察が捜査を進めております。もしかすると、皆さんに警察の協力をお願いする可能性がありますので、どうかご協力お願いいたします」


 そう言って、先生は深々と俺たちに頭を下げた。

 一昨日の土曜、大曲 扶(おおまがり たすく)が亡くなった。部活帰り、校舎近辺を歩いていたところ、上から花瓶が降ってきて彼の頭に直撃したらしい。花瓶は窓近辺に置かれており、何らかの形で花瓶が倒れ、空いていた窓から落ちたようだ。


 なぜ俺がそこまで知っているかと言うと、俺は容疑者候補の一人として警察に事情聴取を受けたからだ。大曲とは無縁の関係ではあるが、なぜ俺が容疑者候補となったかというと先週の金曜日、アイと名乗る人物から謎のメールが来ていたらしい。


『出席番号8番。大曲 扶。空に注意してね』


 メールの受信者は同じクラスの榎本 杏(えのもと あんず)。

 後ろにいる彼女の様子を見ると瞳は潤い、目尻は赤く染まっていた。メール内容を少しでも気にしていれば大曲を救えたと、自身を責め、泣いているのだろう。とはいえ、送ったところで大曲自身が気にしたかと言われれば、否だろうな。


 兎にも角にも、アイという送信者名をヒントに警察は捜査を進めているらしい。それで俺や相賀、一之瀬や飯塚に事情聴取がなされた。俺と相賀は氏名に『アイ』が入っているから。一之瀬と飯塚は氏名のイニシャルが『アイ』だからだろう。特に一之瀬は名前が『アイ』のため、特に目をつけられている。


 ただ、もしそんな理由でアイという名前を使ったのなら、逮捕してくださいと言っているようなものだ。仮に俺が犯人であるならば、絶対にしない。


「では、これでホームルームを終わります。あと一つ、山越くんと萩原くんは私のところへ来てください。読書感想文についてお話があります」


 ホームルームが終わっても、生徒たちは静かなままだった。

 教室には先生の悲しくも怒りに震えた声が響く。


「山越と萩原は何をしたんだ?」

「さあ。流行りのチャットに読書感想文を書いてもらったんじゃないかしら?」

「ああ、なるほど」


 疑問が晴れたところで俺は席を立ち、教室を出ていった。

 流石にあんな異様な教室にずっといるのは気分が悪い。授業が始まるまで渡り廊下で涼むとするか。


「藍沢くん、ちょっと待って」


 廊下を歩いていると後ろから小さく声をかけられる。廊下は閑散としていたため小さくも聞き取りやすかった。見ると、前髪の長い生徒の姿があった。背は俺よりもやや低め。だが、本人の性格ゆえかとても小さく感じる。


 頬には湿布が貼られており、痛々しい様子が伺える。本人に聞いたところ階段で転けた際に擦ってしまったとのことだった。見た目どおりといえば偏見になるかもしれないが、ややドジな面がある。


 九頭 雄大(くず ゆうだい)。クラスの中で唯一の男友達だ。


「どこへ行くの?」

「ちょっと涼みに」

「僕も一緒に行っていい?」


 俺は静かに頷く。すると九頭はパッと晴れやかな表情になり、俺の横についた。


「昨日は大変だった?」

「いや、別に。ただ自分の手元にある事実を伝えただけだから疲れることもないよ」

「そっか。災難だったね。アイなんて名前つけられたために。ねえ、何でアイは榎本さんにメールを送ったのかな。普通だったら、大曲くんじゃない?」

「さあ。大曲と榎本に恨みがあったんじゃないか。だから、一人には死を、一人には生き地獄を味合わせたとか」


「藍沢くんって、ほんと変わった考えしているよね。でも、そういう所が好きかも」

「お前もかなり変わっているやつだぞ」

「だから僕たちは友達になれたのかもね。類は友を呼ぶってやつかな」


 俺たちはおかしな会話に花を咲かせながら渡り廊下へと歩いていった。

 この時はまだ、これが美醜な惨劇の始まりであることを知る由もなかった。いや、もしかすると俺だけは気づけたのかもしれない。

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