第24話 ナクトはなくとも
スーツ姿の男性が僕の腕をぐいぐい引っ張りながら次の駅で降りようとした。
「ちょっと待って! 僕はやってない!」
「うるさいっ! 早く降りろよ!」
もの凄い剣幕で男が怒鳴った。痴漢をされた女性はすでに電車を降り、僕を指差しながらホームの駅員と何やら話をしている。周りの乗客たちも僕をジロジロと見ながら、早く降りろと言わんばかりの顔をしている。
まったく身に覚えがないのに僕は額から変な汗を流していた。女性と一緒に駅員がこっちへ小走りでやってきた。
「お客さん、とりあえず降りてもらっていいですか? ドアが閉められないので」
僕が痴漢ということが確定事項なのか、駅員の態度と表情に苛立ちが見て取れた。僕は電車を降りると掴まれていた手を無理矢理引きはがした。心拍数が上がり呼吸が荒くなる。
「だから僕じゃない! 僕は触ってなんかない!」
「おれは見てたんだよ! 観念しろやっ!」
男が僕の胸倉をぐいっと掴む。駅員が慌てて割って入り、僕と男を引き離した。その間、痴漢をされた女性は怯えと
「とりあえず駅員室まで来てもらっていいですか?」
僕はすでに三人の駅員に取り囲まれていた。背中を軽く押され、歩くよう促された。僕は渋々先頭の駅員の後をついて行く。ところがなぜかスーツ姿の男は僕らとは逆方向へと行こうとしていた。
「あっ、お客様も来て頂いてよろしいでしょうか? 警察の方に証言して頂きたいので」
「え? ああ……はい」
男は少し焦ったような表情を浮かべる。その時ふと、僕はその男の顔をどこかで見たような気がした。駅員室へと向かう間、僕は必死に男の顔を脳内で照会にかけた。
つい最近見たはずだ……スーツ姿、電車……。そうだ! あいつは怜奈のYシャツをナクトで見た時、ずっと胸ばかり見ていたあの男に間違いない。薄ら笑いでニヤついていた顔を今はっきりと思い出した。
最初から怪しいとは思っていたがおそらく真犯人はこいつだろう。痴漢がばれそうになり僕に罪を擦り付けたんだ。だけど証拠がなにもない。もちろん向こうにもないはずだが、現状では僕がやった流れになってしまっている。
ナクトが使えれば一番いいんだけど、おいそれと人前で使えるようなもんじゃない。いい方法はないかと考えているうちに駅員室へと着いてしまった。
「まずは何が起きたか話してもらえますか?」
中に入ると駅長らしき男性が被害女性にそう尋ねた。彼女は少し怯えた様子で、戸惑いながら話始めた。
「三つ前の駅あたりから、その……ずっとお尻を触れてて。それが段々エスカレートしてスカートの中まで手が入ってきたんです。私……怖くなって思わず声を上げました」
女性は僕の方をちらちら見ながらそう言った。駅員の何人かは睨むような顔で僕を見ている。駅長が今度はスーツの男に話を振った。
「おれはそいつの手が彼女の下半身を触っているのを見ました。だから咄嗟に腕を掴んでやったんですよ」
「ということなんですが。あなたがやったということで間違いないですか?」
駅長は声を荒げる事もなく、冷静な態度で僕に問いかけてきた。お陰で僕も少し落ち着くことができた。
「僕じゃありません。いきなりその人に腕を掴まれたんです。そもそも僕があの電車に乗ったのは二つ前の駅です。しかも彼女の真後ろにずっと立っていたのはあなたですよね?」
そう言って僕が手のひらで男を指すと、被害女性の口から「えっ?」という声が漏れた。すると男の顔はみるみる青褪め、明らかに動揺し始めた。
「おれが痴漢したって言うのか!? 証拠は? 証拠はあんのかよ!」
「そっちだって証拠はないでしょうが!」
売り言葉に買い言葉。僕も思わず大声で言い返し駅員室は騒然となった。男が怒声を上げて僕に掴みかかろうとした、その時だった――
「映像を見たらいいんじゃないでしょうかー?」
三つ編みをして眼鏡をかけた女子高生が、良く通るはきはきとした声でそう叫んだ。場が一気に静まり返る。皆の注目が一斉に集まったが彼女は臆することなく、もう一度同じ言葉を口にした。
「映像を見てみればいいんじゃないでしょうか?」
僕は一瞬ドキリとした。まさかナクトのことを言っているのか、と思わず彼女の方を見る。すると彼女は僕を
「防犯カメラ。車内についてますよね? それで確認すればいいのでは?」
駅長がなにかを思い出したかのようにはっとした。
「そうだ車内カメラがあった! おいすぐ手配しろ!」
駅長がそう指示すると、一人の駅員が走ってどこかへ向かった。それとほぼ同時だっただろうか、スーツの男が突然駅員たちをかき分けるようにしながら逃げ出した。
「うわーーーっ!」
「おいっ待て! 捕まえろ!」
男は駅員室を飛び出す。しかしタイミング良く到着した警察官とぶつかりすぐさま取り押さえられた。そして男はその場で犯行を認め警察署へと連行されて行った。
その後、僕は被害女性と駅長さんから謝罪を受けた。駅長曰く、車内の防犯カメラは先日導入されたばかりだったらしく、すっかり失念していたとのこと。女性は何度も僕に頭を下げ泣きながら謝っていた。是非なにかお詫びをと言われたが、一番の被害者はあなたですからと、僕はやんわり断った。
ようやく解放されて駅員室を出るとちょうど目の前をさっきの女子高生が歩いていた。
「あっちょっと! ちょっと君!」
僕が声を掛けると彼女はくるりと振り返り、眼鏡を持ち上げながらじっとこちらを見た。
「ナンパですか? 私未成年ですよ?」
「ち、違う違う! さっき助けてもらった者だよ。まだお礼を言ってなかったから」
「あぁ先程冤罪をかけられそうになってた方ですね。別にお気になさらず。私は捜査の穴を指摘しただけですから」
「え、ええ……でもよかったら何かお礼をさせてもらえないかな? なんか甘い物とか?」
「やっぱりナンパですか? 条例違反で今度こそお縄ですよ?」
「いやほんと純粋にお礼がしたくて……」
彼女はまた眼鏡をくいっとしながら、何かを確認するようにちらりと僕の全身を見渡した。
「わかりました。じゃあ、あそこで一杯だけ奢ってもらっていいですか?」
そう言って彼女は駅近くのカフェを指差し、「奢ってもらって」のあたりで中年サラリーマンのようにお
本当に女子高生だろうか? コスプレ好きのOLさんとかじゃなかろうか?
そんな疑問を抱きつつ僕は彼女とカフェへと向かった。
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