第9話 天高く
お昼を過ぎた頃、僕は目を覚ました。欠伸をしながらリビングへと向かうと、そこにはなぜかキッチンに立つ怜奈の姿が。忙しいせいもあってか、彼女は普段料理はしない。休日もたまに僕が作るかデリバリーだ。驚きのあまり呆然と立ちすくんでいると、エプロン姿の怜奈が振り向いた。
「あっコーヤ起きた。ご飯できてるから食べて」
「えっと、うん……」
僕が驚いていることに気が付いたのか、彼女は少し照れ臭そうに笑った。
「なぁにそのリアクション? 私だってたまには料理くらいするよぉ」
学生の頃はお互い一人暮らしで、彼女もよく料理を作ってくれていた。同棲を始めた当初も仕事が休みの日は必ず温かい料理を出してくれてた。
テーブルの上にはたまごのホットサンドが載っている。フライパンで作る怜奈のホットサンドは僕の好物のひとつでもあった。
「マヨネーズあんまりなかったんだね。ぎりぎりだったよ」
彼女はそう言って笑いながらエプロンを脱ぎテーブルに座った。一体どうしたんだろう? 今日の怜奈はやたらと笑顔を振りまいている。なにかいいことでもあったんだろうか?
「宝くじでも当たった?」
食卓の椅子に腰をおろしながら僕はそう訊いてみた。彼女は一瞬きょとんとした後、すぐにくすくすと笑いだした。
「コーヤは相変わらず斜め上の発想だね。冷めないうちに食べよ」
二人でいただきますと手を合わせホットサンドにかぶりついた。久し振りに食卓を囲んだからか、彼女はとにかくよく喋った。仕事の話や、上司や部下の愚痴。最近見つけた美味しい居酒屋さんや友達が飼っているペットの話まで。僕の相槌が追いつかないくらい喋りまくった。
「こうやってゆっくり話すのも久し振りだね」
ようやく話のネタが尽きたのか、彼女はすっかり冷めたコーヒーを一口飲んだ。心なしか少し目が潤んでいるようにも見える。
「なんか私コーヤのことほったらかしにしてたね……ごめんね」
彼女はうつむきながら小声でそう呟いた。僕は小さく首を横に振った。
「怜奈は仕事が忙しいんだからしょうがないよ。僕の方こそ……いい加減ちゃんとしなくちゃね」
実際、生活面では彼女に甘えっぱなしだ。身の回りのことは自分でなんとかしているが、家賃や光熱費など半分も出せていない。普通なら、そんな甲斐性なしの僕を彼女がとっくに見限っててもおかしくない。
いっそ理由は告げずにひっそりと彼女の元を去ることが、僕が最後にできる怜奈への恩返しかもしれない。メアリーは怒るかもしれないけど。
長い沈黙が二人の間に流れていく。その静寂を破ったのは怜奈だった。
「今日はコーヤも休みだよね!? たまにはお出かけしない?」
「いいけど……怜奈は昨日も出掛けてたし、今日は休んだ方がいいんじゃない?」
「いいのいいの! 丁度買いたい物があるの。メイクしてくるから、コーヤも準備して!」
怜奈はささーっと食器を洗い終えると、ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら部屋へと入って行った。
結局、彼女の勢いに負け僕らは出掛けることにした。空は予想通りの秋晴れ。天高く雲一つない真っ青な空だった。こうやって二人でお出かけなんていつ振りだろう?
「こうやってデートするのも久し振りだね」
どうやら彼女も同じことを考えていたようだ。つないだ手が少し照れ臭かった。しばらく街をぶらぶらしてから、怜奈のお目当てのショップへと二人で入った。
「だいぶクタクタになってたからね~新しいの欲しかったんだ」
彼女が買いたかったものは仕事用のバッグだった。虫の知らせか、それとも僕の怨念でも宿ってしまったのか。どうやら『ナクト』を使ったあの黒革のバッグはお役御免になるようだ。秘密を共有した仲だ。いつか丁重にその労をねぎらってあげよう。
買い物を終えた頃にはすっかり日も暮れ、今日は外食して帰ろうということになった。
「ここで食べるのも久し振りだな~」
怜奈がディナーに選んだのは、窓からレインボーブリッジが見えるオイスターバー。昔はデート終わりでよく来ていた。
席に着くと、彼女はさっそく白ワインをボトルで注文した。ぐびぐびといい飲みっぷりでグラスを傾けていく。お昼の時と同様、彼女はとても饒舌だった。懐かしい店に来たからか、昔話に花が咲いた。
そういえば初デートの時もこの店だったな、と僕も少し懐かしさを覚えている時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「久し振り、兄さん」
今日は「久し振り」って言葉を良く聞くな、と思いながら僕は声がした方を向いた。
「天助くん……」
それまでニコニコと喋っていた怜奈の顔が一瞬で青褪めていた。
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