第13話 よかった

 戦いは、あまりにも一方的だった。


 ブゥンと剣にしては重すぎる風切り音を残して、大剣の切っ先が翔理の胴を掠めていく。翔理は身を逸らして回避すると、持ち前の身軽さを利用して後方に跳ね返った。距離を取る。しかしそれも一瞬で詰められ、気が付いた時には眼前に将軍が迫っていた。


 その巨躯からは想像できない俊敏さ。身の丈ほどもあるという大剣を振り回しているというのに、一切の隙がない。


 その雷のような一撃一撃を、翔理は回避するだけで精一杯だった。


 刃でまともに受け止めれば、刀が折れるのは必至。しかしそうして避け続けている合間に、巨木のような腕や足が翔理の身体を強かに打つ。その度に翔理は吹き飛ばされ、地を転がった。


「翔理兄……」


 観客席に揃った札役の面々の中から、藍梨が不安げな瞳で見ているのが視界に入る。自分を一蹴した翔理が、赤子のようにあしらわれているのが信じられないのだろう。


 だがそれが雷公将軍・文月威鳴という男だ。


「立て、翔理」


 翔理の前に仁王立ちして、将軍が手招く。


 合札決闘において、命の取り合いは禁止されていない。相手の命を奪えば、そこで勝敗は決し、相手札は黒く染まって当代の王位戦聖戦より除外される。


 勝とうと思えば――トドメを刺そうといつでもできるというのに、将軍はそうしない。


 それが何故だか、どうしてだか無性に腹立たしかった。


 立ち上がり、地を蹴る。躱し方は、どんどんとギリギリになっていった。


「お前の力はそんなものか」


 再び倒れ伏した翔理の前に立ち塞がり、将軍は問う。


「姫様の花守たるお前の決意はそんなものか」


 その問いに、翔理は応えられない。応えるだけの余力がなかった。


 歯を食いしばる。

 吹き飛ばされては立ち上がる機械のように、翔理は漫然と立ち上がる。


 闇雲に振り回した一撃は、あっさりと躱される。そうしてまた足蹴にされる。今度は闘技場の壁まで飛んで、翔理は強かに背を打った。


 崩れ落ちる身体。その上に、怒声が降る。


「みすみす姫様を攫われておいて、お前に花守としての矜持はないのか!」


 霞がかった意識の隅で、翔理はその罵声を聞いていた。


 ……分かっている。

 ――分かっている。

 分かってる!


 自分のふがいなさなど、翔理自身が誰よりも分かっている。


 才霞が攫われたのは、翔理の落ち度だ。


 花守としての役目を受けながら、何を犠牲にしてでも主を守らなくてはいけないはずなのに、一緒にいて、傍にいて、隣を歩いていながら、翔理はみすみす才霞を奪われた。


(『――翔理』)


 脳裏で呼ぶ声がする。

 彩華であって、才霞ではない声。


 もう二度と、翔理は『サイカ』を失わないと決めたのに――

 打ち据えられた身体は、もう指先すら動かなかった。


「……失望したぞ、翔理」


 落胆の声と共に、将軍が一歩、また一歩と翔理に近づく。振り上げた大剣。その影が、翔理に落ちる。


 それは師の恩情だった。


「これ以上の生き恥をさらす前に、引導を渡してやろう」


 空気を切り裂き、振り下ろされる一撃。しかし――


「やめて」


 その瞬間響いた、花のような声に。


 ピタリと、将軍の動きが止まった。


「待って。やめて。そこまでよ」


 懇願なのか、命令なのかすら分からない。

 どこか上擦った舌足らずな声に、翔理は半ば反射的に目を動かす。


 フィールドの端、闘技場の出入り口。

 そこに、才霞が立っていた。



   * * *



「待って。やめて。そこまでよ」


 気付けば才霞は、闘技場に立っていた。


 張り詰めた静寂が、耳に痛い沈黙に変わる。

 決闘に割り入った才霞を、杜岐と舜夜が、十二氏族のみなが、将軍が、翔理が見ていた。


 胸が痛かった。脈打つ心臓が、まるで骨と皮膚を破って出てきそうなほどに脈打っていた。観覧席を飛び出して、走ってきたせいだろうか。分からない。息が荒い。呼吸ができない。それでも才霞は必死に空気を吸って、口を開いた。


「雷公将軍、あなたの『否』を受け入れ、札取りを、諦めます」


 言葉に詰まりながら、たどたどしくも申し入れる。


 そんな才霞を、雷公将軍はじっと見つめていた。まるで刃のように鋭い視線が、才霞に突き刺さる。


「何故ですか?」

「そ、れは……」


 淡々とした将軍の問いに、舌がもつれる。


 考える。どうして。何故。胸が痛いから。どうして痛いのか。どうして、どうして――


「……翔理を、殺さないで」


 答えは出なかった。


 代わりに出てきたのは、懇願にも似た掠れ声だった。

 絞り出すような、声だった。


「翔理、だけなの。わたしには、翔理しかいないの。もう、残ってないの。だから……」


 瞬きをする。地に伏せる翔理と目が合った。


 服も顔も、髪も砂まみれ。身体のあちこちにできた切り傷からは血が滲み、砂と混じって、翔理はどろどろに汚れていた。


 それでも翔理は、才霞を見ていた。


 ――お願いよ。



「お願いだから、わたしに翔理を殺させないで」



 シンと、沈黙が満ちた。

 乾いた風が吹いて、才霞の髪を攫った。


 どれだけの時が過ぎたのか、やがて将軍が言った。


「分かりました」


 と剣を下ろし、


「是である!!!!」


 朗々とした宣言が、闘技場に反響した。


 あまりの声量に、一瞬耳が麻痺したのかと思った。それほどに、才霞は将軍の発した言葉の意味を理解できなかった。


「……はい?」


 ぐにゃりと首を傾げる才霞に、将軍は満足げに頷く。


「ですから、この勝負、翔理の勝ちです。いや、姫様の勝ちですかな。翔理はこの通り、ぼろぼろですので」


 そう言って将軍はがっはっはと大口を開けて笑う。

 いや、ぼろぼろにした張本人はあなたなんですが。思わずそう言いたくなる。


 大笑いが止む。事態を飲み込めず、ぽかんとする才霞に、将軍はふっと微笑んだ。


「大切な人が危険にさらされるのは、怖いでしょう。姫様」

「……え……?」

「怖いのは、翔理も同じなのですよ」


 頷いて、目を翔理に向ける。先程までの殺気欠片もない穏やかな眼差し。その視線を、才霞も咄嗟に追ってしまう。


 突如話の矛先を向けられた翔理は、拗ねるように顔を背けた。


「確かに、とっさに智仁を庇ったあなたの心の有り様は美徳であると言えましょう。しかし、迷わず御身を盾にするのはいかがなものかと思いまして」

「あ……」


 才霞は八津山の屋敷での行動を思い出す。

 そして同時に、将軍が何を言わんとしているのか、理解する。


「もちろん、あなたと同じ立場であれば、わたしもそうしたでしょう。ですが、あなたはあまりにも迷いがなさ過ぎる」

「…………」


 才霞は返す言葉もなかった。

 智仁を庇ったことを、後悔はしていない。きっと彩華でも、咄嗟にそうしただろう。


 でも、すべきではなかったのだ。


「将軍は……もしかして、それをわたしに教えるために……?」


 おずおずと尋ねる才霞に、将軍はにかっと歯を見せて笑う。まるで子供のような笑みだった。


「じ、じゃあ、翔理を殺す気は――」

「あるわけないに決まってますとも! いくら不出来とは言え、自分の弟子です! その切れ味がなまくらであるなら、研ぎ直すのが師匠の役目というものよ! あまりのふがいなさに、本当に引導を渡してやった方がよいとも思いましたがな!」


 そうしてまたがっはっはと豪快に笑う。

 結局それはどっちなんだと言いたくなった。


 悔やんだり、戸惑ったり、呆れたり。動かない表情筋で一人百面相をする才霞に、にこりと将軍は笑う。


「怖かったでしょう? 翔理が殺されそうになるのは」

「……はい」

「あなたを大切に思う者もまた同じであることを、ゆめゆめお忘れなきよう」

「はい」

「不出来な弟子のためにも、よろしくお願いしますぞ」

「――はい」


 その言葉に才霞は俯いて唇を噛み締めた。

 すべきではなかったのだ。翔理を想うなら。


 ――翔理が死んでしまうかもしれない。

 同じ恐怖を、翔理もまた味わったのだ。


「……ひめさ……『才霞』」


 将軍に無理矢理引っ張り起こされた翔理が、才霞を呼ぶ。

 姫様ではなく、才霞を。彩華ではなく、才霞を。


 ゆっくりゆっくり、痛む身体を引きずって歩み寄ってくる翔理。

 その身体に、才霞はふらりと抱きついた。


「さ、才霞!?」


 八津山の屋敷でのような、包み込むような抱擁ではない。

 泥々の服を無造作に掴み、胸に額をこすりつける。


 それは抱きつくというよりも、縋り付くに近かった。


「……才霞」


 翔理がそっと、才霞の頭に手を乗せる。

 才霞はぎゅっと、翔理に身を寄せた。


「……よかった。よかった、あなたが生きてて」

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