第5話 翔理vs藍梨
「我が名は卯月
少女・卯月藍梨は高らかにそう名乗りを上げると、翔理に突きつけていた指を才霞へと向ける。
「歳王彩華と言ったな、小娘! お前のようなポッと出の鉄面皮女に、この国の玉座を渡すわけにはいかない!」
そう言って薄い胸を張る。どうだと言わんばかりにドヤ顔で才霞を見下ろそうとするが、視線の高さは座る才霞とさして変わらない。
どうしたものか。そう思っていると、盛大な溜息が静まり返った空間に響き渡った。
「はぁぁぁ……ほんま、あの子は……」
深い深い、それは深い溜息だった。
見れば、藍梨と同じく藤色の髪を持つ見目麗しい女性が頭に指を突いて頭を振っている。と思いきや、勢いよく顔を上げずんずんと藍梨に向かって歩き出した。
「これ、藍梨! 何勝手やっとるん! うちらはおばばさまの方針に定める約束やろ!」
「し、したけどさ、光奈姉! 嫌なものは嫌だもん! 藍梨は杜岐さまが王になってほしいもん!」
「もん! やあらへん!」
女性・光奈は藍梨の後頭部に手を当てて力任せに頭を下げさせると、自身も嫋やかに腰を折った。
「ほんま、申し訳ありません、彩華様。うちの末娘が無礼を働き申して……」
「……別に、気にしてないわ」
ぐぎぎぎぎと必死に光奈の手に抗うが抗うきれてない藍梨を見て、一拍おいてから才霞は応えた。
実際、才霞は彩華ではないし、ポッと出なのも間違いない。藍梨の年頃なら、生まれた頃には既に城に彩華はいなかっただろうから存在を認知してもいないだろう。
鉄面皮、なのも、多分間違ってはいない。
突如始まった卯月家の小芝居にも、どう対応したらいいものか。
そう迷っていると、藍梨が光奈の手から抜け出した。
「やなものは、や!!」
まさしく駄々をこねる子供と言った様子で抗議する藍梨を見下ろして、光奈が嘆息する。
「……それがどういうことか、意味、分かってるんやろな」
「分かってるもん!」
「――いい度胸だ。なら話は早い」
背筋も凍るような、冷徹な声。
そう言って、藍梨に『ご指名』を受けた翔理は、才霞の傍から流れるように歩み出た。
腰に差した刀をすらりと抜く。差し込む陽光に、青みがかった薄刃がキラリと瞬いた。
降れば一瞬で命を奪うモノ。
しかし物騒な輝きを放つそれを目の前にしても、藍梨は怯まなかった。それどころか望むところだと言わんばかりに、藍梨はニッと笑って、腰の刀を抜く。
札取りへの合意を示すのが『是』。
では、『否』が示された場合はどうなるか。
――決闘だ。
否を示した対象札と主の剣たる花守が互いの意志を貫き、武を競う。対象札が勝てば否が認められるが、負ければその宣言は却下される。
札が意志持つ人であるが故の、ぶつかり合い。
それを眺めて楽しむ神様はというのは、なんとも意地が悪いものなのだなと思う。
「翔理」
才霞の呼び声に、翔理が振り向く。才霞は立ち上がると、翔理の傍に寄ってその服の裾を摘まんだ。そうすると翔理は、何も言わずとも顔を寄せてくれる。二人にしか会話が聞こえない距離。
「どうした。まさか札取りをやめるなんて言わないだろうな」
「まさか」
変わらず平坦な声で、才霞は即答した。
「札取りはやめないわ。初手から十点も取られたら痛手だもの」
ただ、と才霞は考えを告げる。
「ここであなたの力を見せてしまっていいものか考えているの」
翔理は少しだけ眉根を寄せる。
「あの子、翔理を舐めているのよ。『サイカ』を守れなかった水無月の生き残りだから。将軍を出せばあの子も引くんじゃないかしら」
武が試されるが故に、また絶対の味方であることから決闘の場には花守が出ることが多い。しかし何も、対戦カードが花守でなくてはいけないという決まりはない。既に『自分のもの』である取り札から代理を立てることができるのだ。
それもそれで、リスクは伴うが――
相手が王国一とされる雷公将軍であれば、さすがの藍梨も勝てるとは思わないだろう。戦わずして負けを認めてもらえるなら、それに越したことはない。
翔理は表情一つ動かぬ才霞の顔を見つめて、じっと考え込んだ末に言った。
「……最後に矢面に立つのは俺だ。遅かれ早かれ、その機会は訪れる。だったら、ここで実力を見せておけば、向かってくるヤツも多少減るだろう。少なくとも、あのチビのような。無駄な争いを減らせるなら、それも一つの策だとは思うが」
翔理は左手で鞘を撫でる。最終的な判断は、プレイヤーである才霞に委ねる。そう言っているのが分かった。
才霞もまた、考える。彩華だったらどうするか。彩華として、才霞は思考を巡らす。
数秒後、
「怪我は、なしよ」
拙くもそう結論を出した才霞に、翔理はしかと頷く。
「御心のままに」
* * *
玉座の間の中央では、木剣を構えた翔理と刀を構えた藍梨が相対していた。
「木剣とは舐められたものだな! あたしは真剣でも構わないぞ!」
「お前みたいな子供相手に舐めてかからなくてどうする」
「ムキー! あたしは将軍の弟子だぞ!」
「俺も弟子だった。兄弟子には敬意を払え」
「あたしの兄弟子は舜夜兄だけだ!」
あからさまに相手を煽る翔理に、簡単にも挑発に乗ってしまう藍梨。
その様子を、才霞は座卓の椅子に腰掛けたまま、姿勢正しく眺めていた。チラリと目だけで対面を窺えば、杜岐は足を組んで頬杖。どこか楽しげな雰囲気で、決闘の始まりを待っている。
そして、同じく始まりを心待ちにする者がもう一人。
「翔理がこの十年でどれだけ腕を上げたか、楽しみじゃのう!」
好々爺。翔理の師である雷公将軍だった。
「…………」
その好々爺然とした顔をじっと見つめ、それから才霞は視線を戻した。内心で小さく嘆息する。どうやら将軍に、末の弟子への心配はないらしい。それはあの藍梨という少女、その腕前への信頼の裏返しなのかもしれない。
翔理が木剣の重さを確かめるように、二度三度、空を切る。
怪我はなし。木剣は才霞のその命を受け、翔理が城の兵に急いで持ってこさせたものだ。故に怪我はないだろうが――本当に大丈夫だろうか。そんな一抹の不安が才霞の胸中をよぎる中、立会人として神官・琉聖が立つ。
「それではここに、合札決闘を始めます。双方、構え」
その指示に、藍梨は刀を正中に構え、一方の翔理は木剣を持つ右手をだらりと下げたまま、構えらしい構えを取らない。藍梨が面白くなさそうに眉根を寄せる。
琉聖がスッと頭上に上げた手を振り下ろす。
「始め!」
そして、勝負は一瞬で決まった。
「もらったぁ!」
その声と共に藍梨が踏み込もうと足に力を込めた瞬間、身を低くした少女は、既に翔理の眼前に迫っていた。藍梨が反応する間もない。
木剣が藍梨の刀を跳ね上げる。藍梨の手を離れた刀は高々と中を舞い、カランと乾いた音と共に、磨かれた大理石の床に転がった。
――勝負あり。
「フン……」
つまらなさそうに鼻を鳴らして、翔理は木剣を部屋の隅に控えていた兵士に投げて渡す。雷公将軍は楽しげにうんうんと頷き、杜岐は穏やかな表情のまま目を細め、兄弟子である舜夜は反応一つ見せず。
藍梨は何が起こったか理解できていない様子で、痺れて震える自身の両手を見つめていた。
だがそれも、僅かな間のこと。
やがて藍梨が、事実を認識する。
手も足も出ず、自分は翔理に負けたのだと。
「う、う……うわあああああああああああん……」
そして耳を塞ぎたくなる大号泣が、玉座の間に轟いた。
保護者代わりの光奈が、泣き出してしまった藍梨に駆け寄って抱き締める。
ハァと、今度こそ才霞は現実で嘆息した。
なんとなく、こういう結果になるのではないかと予測していた。だから気が進まなかったのだ。
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