第2話
僕の名前は
学業の持続さえ危ぶまれる危機的状況下において僕を追い込むのが性欲……すなわち異性であった。
女性の腕、女性の足、女性の首筋……とりわけ、女性の体という言葉には実物から得る以上のエロスが含まれているように思われる。これが男の体だとなんら興味が湧かないのに、女性という枕詞がつくだけで甘美な響きに早変わりするのだから不思議で仕方がない。
この不思議を解決せねば、僕は学業に集中できないであろう。
だが、同年代ではダメだ。僕より年上でなおかつ人生経験もあるお姉さんでなければならない。でもできれば若くて綺麗な人が良い。そして黒髪であれ。
僕は高校生である。成績も美醜も努力でどうとでもなるが時の流れだけは変えられない。僕が女性の不思議を解明するためにはまず高校を卒業する必要があると思われたが、あにはからんや、焦がれるだけで手は届かないのである。同い年のなんと軽佻浮薄な事よ。清も
だが、その苦悩も今日まで。僕は出会った。ゆめさんという素晴らしい女性であった。彼女ならばきっと、僕の苦しみを理解して解き放ってくれるに違いないのだ。
この世で何が最悪と言って、朝の教室ほど最悪なものはなかろう。同年代の子供たちの騒々しい話し声……女子のつんざくような笑い声に男子の野卑な大声。特に朝練に執心し遅刻しかけた野球部員の雄叫びなんぞは聞くに堪えないものがある。あたかもジャングルの動物たちを一つ所にまとめて閉じ込めたかのようだ。
よくもまあ、あれだけ騒げるものだと思う。毎日学校へ通って土日は部活をして、僕と似たような日々を過ごしているくせに僕にない話題をぽんぽん放り出せるのはなぜなのだろう? しかしよくよく聞けばテレビがどうの配信がどうのと、取り立てて話さなければいけない事ではないように思える。
やはり同年代は純粋すぎる。その点ゆめさんは年上らしい落ち着きがあって話題も豊富だ。ああいう人にこそ学ぶべきところがある。
「やっぱりクラスメイトには何も感じないなぁ……」
「何を?」
「魅力」
「お、喧嘩売ってる?」
僕の席は教室の喧騒から押し出されたような隅っこの方にある。そんなところにわざわざ声をかけに訪れるなどよほどの物好きと思われる。
「幼馴染だからって何を言っても許されると思うなよー? 女の子を怒らせると怖いぞー!」
その物好き―――
幼馴染を自称しているが語義としては腐れ縁と言った方が正しい。家が近いわけではなくこれといった交流があるわけでもない。もっと言えば仲が良いわけでも無いのである。小学生の頃は「なんかよく遊ぶやつ」だったのが中学生には「なんかよく一緒にいるやつ」になり、いまは「たいした絡みもないのに胸の内を明かせるやつ」になっていた。きっと社会人になるころには夜っぴて酒を飲み通す仲になっている事は想像に難くない。来栖といると居心地は良いのだけど楽しいかと聞かれたら楽しくはない。けれど一緒に過ごしてしまう。これを腐れ縁と呼ばずなんと呼ぶ?
僕は読み
「別に、君だから魅力が無いってわけじゃない。高校生とは微妙な年代だなと思ったまでさ」
「でた、けんジィの年上好き。はたから見たら子供なのに大人ぶってるのが好きじゃないんでしょ? ほんとに小学生みたいな趣味してるよね」
「うるさいな。別に大人に憧れたっていいだろう。子供っぽいことくらい自覚しているさ」
「子供っぽいというか……けんジィって、性欲を感じさせないよね。枯れてるわけでは無いんだろうけど、ショタの純粋さがあるわけでも無い。変な人だな」
「その、けんジィって呼び方やめてくれるか? 僕はまだ大人を経験していない」
来栖は小説を取り上げると眉をひそめる僕に向かって「だっておじいちゃんなんだもん」と言った。
「…………………」
「ぜったい興味ないじゃん? エッチな事。今だってそう。普通の男の子ならスカートが目の前にあったら目が移るもんでしょ。それか胸をチラ見するか。なんで馬鹿真面目に目を見つめられるのかね」
「ずっと見上げて首が疲れてきたからまじまじと見つめてもいいんだぞ」
「あはっ、前にそう言って見つめた時、飽きたって言いだしたのは誰かな?」
「…………………」
「やっぱり枯れてるんじゃん」
来栖はケラケラと笑った。
僕はむしろその事しか頭に無いのだけれど、同年代に感じないだけである。が、それを一々砕いて説明するのももはや面倒なのでしない。
栗色のボブカットを小説で払う来栖を忌々し気に見つめて僕はフンと鼻を鳴らした。
「いまいち想像できないだけだ。そんな紺色を見つめたって楽しくもないわい」
たしかに来栖のスカートをマジマジと見つめた事があった。あんな会話が僕達の日常茶飯事である。その流れで来栖がからかうもんだから意地になって眉間にしわをよせて睨んだけれど、どうしても鋼鉄の板のようにしか見えなかったのだ。
だらりと垂れさがるスカートなんぞは劇場のカーテンのように重いのである。
こんなトタン板……と僕がため息交じりに言うと、来栖はそれを聞いて煽情的な気分になったようだ。
ピラッとスカートの裾をつまみ上げて「これならどう?」と青年誌の表紙のようなポーズを取った。
「どう、と言われてもな………。まあ、可愛いとは思うけど」
「かわっ……!? ふぅん、ちょっとはやるじゃないの?」
「立場が逆転しとるが?」
「だが、けんジィはあの輝きに耐えられるか!」
なぜか頬を赤らめた来栖は話を強引に変えようとした。彼女はときおりこうした不整脈を引き起こすのであるが、僕にはいまいちその条件が分からない。
「こいつは天然ジゴロか……!」
と、口の中で早口に呟いたようであるが、何を言っているかさっぱり理解ができない。僕はただ思った事を口にしただけなのだがなぁ。
やっぱり女性は年上に限ると思う。同年代の女子がどれほど可愛かろうと、そもそも僕は人としての深みを求めているのだからステージが違うのである。
はやくゆめさんと話したいなぁと思いながら来栖の指さした方を見る。そこには一人の女の子がいた。
その女の子の登場で教室中の空気が一変した。束の間、空気がピリッと引き締まったような、無意識下で意識せざるを得ないとでも言おうか。馬鹿話を続ける男子グループもカースト上位の女子グループも、クラスメイト全員が彼女をそれとなく意識していた。
「ほら、学年1の美少女のお出ましだよ。さすがのけんジィもあの輝きには耐えられまい!」
「ああ……
氷月凛。触れれば血が出るような張りつめた美しさを纏うクラス1の……いや、絶世の美女だ。その美しさを説明するのはちょっと難しいのだけど、一言で言えば
容姿が整っている事は言うに及ばず、仕草も言葉遣いもすべてが凛として美しい。纏う雰囲気に近寄りがたさがあるのも彼女のブランドであった。
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