第35話 セカンドコンタクト
南から冬の冷たい潮風吹いてくる。潮風が孕んだ磯の香りがマスク越しでも伝わってきた。ここは名古屋港、ガーデンふ頭。かつては精緻に敷き詰められていたタイルの床は、一部がはがされ無理やり樹木がうえつけられていた。西側には大きな建物がありボロボロで今にも崩れそうだったがそれはまだドローンに解体されていない。
(まだ来ないのか…)
ここはアオキのリークにあった俺の体の受け渡し場所。ここで成功したら全てが終わる。だが失敗したら俺の体は二度と戻ってこない、民生デイ・プレイグ抗ウイルス剤も…そんな焦燥に身を焦がしながら木陰に隠れナイトウを待つ。体の左側についた生命維持装置が大きな駆動音をあげる、奪われた心臓の代わりを果たそうとするかのように。
「1000!そんな約束は出来ない!!せめて200にしてくれ!」
「我々とて命をかけるのだぞ、200では明らかに割が合わない。最低でも700は必要だ。何をそんなに気にしている?コストか?製造コストならほぼ無料、薬の料金の殆どはライセンス料の筈」
「あの…」
「コストの話をしているのではない!!違法性の話をしている!この薬にとって最も重要なことは合法であることだ!お前たちはそもそも地下街では違法な存在なのだ。それと関わったとあっては薬自体の正当性が疑わしくなる!ここでこうやって話しているだけでも危険だということを忘れるな!大量の物品をお前たちに届けては、いかなる手段を用いたとしても当局に感知されるリスクが高まる!!そうなっては元も子もない」
「もし、わたくしに何か…」
「んなこと言って作戦が失敗したらそれこそ元も子もねぇだろうが!!ここに来てる時点で違法云々は覚悟の上のはずだ!!」
「…もういいです」
パイン、ウルシノ、そして民生デイ・プレイグ抗ウイルス剤の製造を請け負ってくれる製薬会社のCEOの三者が激しく言い争っている。クサマキ胴体奪還作戦の利害調整に関して揉めているのだ。パインが協力への見返りとして要求したのは、俺の遺伝子から製造される民生デイ・プレイグ抗ウイルス剤だ。現状の政府ががちがちに規制している状況ではヒバシリは十分な量の、いや全く薬を入手することが出来ない。それを求めるのは当然だろう。しかし、この薬の真価は合法であること。法の穴をついてはいるが何らやましいところのないものだからこそ、政府の利権を奪えるというもの。それがここで損なわれたとあっては意味がない。3者の折り合いはなかなかつかなかった。
俺も当事者なので一応は会議に参加しているのだが、こういうバチバチとやりあうビジネスの交渉に慣れていないので完全に蚊帳の外だ。なんともはや…結局最初に前金として民生デイ・プレイグ抗ウイルス剤200包をヒバシリに提供、のちにウルシノ経由で入手したものを定期的に流すとのことで一応は落ち着いた。そんなこと可能なのかとウルシノに聞くと。
「どっちみちナイトウを倒さんことには薬を作っても妨害されるだろうがよ。だが今回の件で大ポカしたらナイトウの組への影響も陰るってもんだぜ。うちの組も一枚板じゃねえからな。そうすれば今回の件にも絡めるようになる。その方が儲かるからな。だがそのためには奴の“首”を見つけないといけねえ。まあ、大体目星はついてんだけどよ」
とのこと。ともかく作戦の成功が俺たちの目的の達成には必須だということだ。
「ゴクリ…」
緊張で思わず唾を飲み込む、この作戦が無事に成功したら液体物だけでないものが食べられるようになる。
「ヤマブキ様から通信です。ナイトウを発見したとのこと。位置情報を共有します」
(ついに来た…!)
俺は万が一ナイトウに悟られないようはやる気持ちを抑え身を隠しながら、ヤマブキの連絡に示されていた場所を伺う。北から荒れ果てたガーデンふ頭に向かって一台の車が近づいてくる。それはいかにもといった感じの黒塗りの高級車でナイトウの乗り物と考えると余りにも似合い過ぎたが、奴がここに訪れた目的を考えるといささか疑問が残る。
(乗用車だと?なら俺の体はどこに?)
俺の体は大型の保存カプセルに入っているはずだ。首がない状態ではそうしなければ腐ってしまうのだから。だがそれを運ぶための十分なスペースが明らかにあの車には無い。人ならば4,5名乗せれるだろうが、保存カプセルはどんなに工夫しても積載することは出来ないだろう。すぐさまヤマブキに連絡しフリダヤにも保存カプセルを探索させるが、付近にそれらしいものは見つからない。
(このままでは作戦が…)
今回の作戦の概要はこうだ。ヤマブキの義体の索敵能力でナイトウを先に発見。それを待ち合わせ場所で潜伏していた俺が奇襲する。その隙に乗じて重機並みの運搬能力を持ったヤマブキが俺の体を奪取。協力してくれた製薬会社が用意した救急車に載せて搬送。念のためモモイ、ウラジロ、パンジー、ウルシノは救急車にて同行。救急車はそのまま熱田区方面にある製薬会社へ向かう。当然救急車にナイトウの注意が向くので、俺は北へ向かう体とは別に西に向かって逃亡。西にはヒバシリが用意した船があり、そこで待機しているヒマワリ、パインら数名のヒバシリとともにそのまま大江ふ頭へ逃亡する。そしてのちに合流して俺は元通りの体になる。
肝心の薬だが、製造に際して技術的な問題は全くなく。胴体が間違いなく俺のものであり、心臓に残されたレトロウイルスの遺伝情報が確かにデイ・プレイグ抗ウイルス剤の製造に適合できることが証明できた場合、ものの数秒で作成出来てしまうとか。ならば事前に俺の首の遺伝情報と心臓の遺伝情報を使用することの合意を証明する念書を製薬会社に渡しておく。そして道すがら救急車で遺伝子を採取しそれを製薬会社に送れば、それで薬は完成だ。認可は数秒とはいかないが、既存のデイ・プレイグ抗ウイルス剤との分子構造の比較で薬効や安全性が保障できればジェネリックとしての販売はそこまで時間のかかることではないとのこと。つまり俺の体を救急車に乗せた段階で9割がた勝確定だ。
だが、その為には俺の体を見つけないことにはどうにもならない。ナイトウがここにきている以上絶対に近くにあるはず!必ず見つけ出さないと…そんな俺の焦りをよそに、ナイトウの車は待ち合わせの場所である広場に到着する。この期に及んでもまだ俺の体らしいものは現れない。運搬するトラックが後から来るということもない。
(どういうことだ…?やはりアオキの罠だったのか?)
俺はヤマブキ、フリダヤに再度確認するがやはり両名とも否の返事しか返さない。どうする?ここは引いた方がいいのか?いや…
次の瞬間、俺はナイトウの車に向かって走り出していた。
「ちょ…何やってるのよ!作戦はどうしたの!?」
驚いたヤマブキが通信で俺を制止しようとするが、無視して進む。
「ここまで来て悠長に様子見なんてできるか!これを逃したら俺の体は二度と取り戻せないんだぞ!!ナイトウが目の前にいるんだ、在りかがわからないなら、力ずくで吐かせてやる!!」
俺はリミッターの外された人工筋肉の瞬発力で駆け出すと一瞬にしてナイトウの車まで肉薄する。
「フリダヤ!」
俺はそう叫ぶと渾身の力でナイトウの車に向かって跳躍、それと同時に俺の胴体の右側のスリットから血のような真っ赤な霧が噴出される。赤い霧は義体から発せられる特殊な音波によって空間中にいくつもの“赤い槍”の形に成形されると真っ黒な高級車に向かって勢いよく穿たれた。赤い槍はいささかの抵抗もなく頑丈そうな車の装甲を寸断する。これはヤマブキが作戦のために用意した秘密兵器、特殊なナノ素材でできた研磨剤を使った特性のフォノンマニュピレーターの媒質。触れた物を削り取り鋼鉄さえ切断する音の剣だ。
(抗獣性法規防壁のせいでフリダヤは人を傷つけることは出来ないが、俺を“この状況”に追い込み、今も体を奪っている“サイボーグ”であるナイトウだけは例外だ!シン・ゼン・ビューティが俺たちに介入できるように特例が作用する!!)
ここまで俺の生命を脅かしている存在であるナイトウに対しては生命を脅かさない限りどんなこともできる。そしてサイボーグはたとえ手足をもいだところで死ぬことは無い。一切の矛盾なくこのまま“赤い槍”が車諸共助手席に座ったナイトウを加害すると思われた。
「一人で突っ込んでくるとは、なめられたもんだな」
あきれたようなニュアンスのこもった男の声の声とともに“半透明の何か”が後部座席から伸びてきた。それはナイトウを守るように赤い槍との間に割って入る。そして“赤い槍”と“半透明の何か”が触れ合った瞬間、まるでお互いに中和しあったように双方解けて打ち消された。後部座席にいる何者かによって必殺である筈の一撃が防がれてしまった。
「な!?」
俺が驚愕していると、ナイトウを守ったそいつはゆっくりと後部座席の扉を開けその姿をあらわにした。それは長身の人型で身長は約180㎝程度、すらりとした痩せ型で全身を真っ黒なボディスーツで包んでいる。そして…そして、何より特徴的なのは…
「そ…その首はまさか…」
そいつの頭は人のそれをしていなかった。長く伸びたマズルにとがった耳。一見すると犬のようだが毛皮の代わりに基盤のような文様のある透明な表皮でおおわれており内部の銀色の骨格と灰色の人工筋肉がよく見えた。そしてその“犬のような頭部”と人型の胴体は見覚えのある“首輪のようなパーツ”で接合されている。見るも面妖なそれは例えるなら“サイボーグ犬面人”。そしてこの状況でこんなものが現れるということは…
「ナイトウ…お前…俺の体を改造しやがったな!!」
「感謝しな、病気は治しといてやったぜ。…いけ、“クサマキ改”」
ナイトウの命令とともに“クサマキ改”は背部のバックパックから半透明の霧を噴出する。それは特殊な音波で固められ、半透明の物体で構成された五指を持つ、ローポリゴンの一対の腕となった。狗面四臂の怪物になったそいつは、俺に向き直ると高らかに吠える。
「ぐるるるるる…ばうわう!!」
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