30話・このためだったのさ!
どうしたものかとソニアが思ったその時、高い遠吠えが聞こえた。フェンリルの遠吠え、この声は、ラァラだ。
シリウスが呼応するように素早く鳴き返す。どどどどと獣の足音が辺りに響き、敵兵らをなぎ倒していった。
魔物討伐に出かけていたフェンリル隊が帰ってきたのだ。
「――ソニア! 無事か!」
「シャルル様――!」
自分をまっすぐと見つめるオリーブグリーンの瞳にソニアは歓喜する。
「シャルル様、魔物は……」
「ああ、大丈夫だよ。それよりも、こっちのほうが大変だろう」
シャルルがソニアの頬をそっと撫でる。その下ではラァラとシリウスが顔を擦りつけ合っていた。
フェンリル隊が合流し、ソニアを負っていた敵の一団も、街を侵略しようとしていた敵兵たちもそろってあっという間に殲滅された。
「……これで全部、か」
「ああ、そんなに大きな兵団でなくて助かった」
避難民を先導していたウロボスがシャルルを見つけると近寄ってきた。
「ここに住んでる連中はみんな無事だ。兵の反応も早かったからな、いくつかダメになっちまった家はあるが……」
「人が生きていれば問題ない、また建て直そう」
ウロボスは重たげな眼を細めて壊れた家屋を見つめる。
「アルノーツ兵がいる時でよかったわねっ。感謝してもいいのよ」
「ああ、助かった。ありがとう」
「ふふふふんっ、まあ当然よ。アンタがいないときにこんなことになるなんて想いもしなかったけどね!」
アイラは少し頬を赤くしながら腕を組んで、頭を振った。
「そうですよね、まさか、シャルル様たちがいないときを狙ってなんて……」
「タイミングが良すぎておかしいだろ。手引きしたやつがいるに決まってる――」
「やあやあだいじょうぶ?」
ウロボスが険しい声を出したそのとき、ソニアの背中から、軽い調子の声が投げかけられる。
なんでか理由は謎だが、どこかにいなくなっていたエリックだ。姿を認めると、ウロボスはきつく彼を睨んだ。
「おい、てめえ、まさか変なこと……」
厄介つけようとしたウロボスに、エリックは薄く目を細める。
怪しい笑みのまま、エリックはゆっくりと口を動かした。
「敵は僕の国のお隣さん。ティエラリア北部と面している『リゾルカ』だよ」
「リゾルカぁ?」
ウロボスは怪訝に思うのを隠そうともしていない声をあげた。
エリックは目を細くしながら、ゆったりと頷く。
「僕、どうも彼らが怪しい動きをしているのに気がついてさ。最近はべったり張り付いて様子を見てたわけ。それで行軍開始してるのをバッチリ見つけたから、シャルルに報告して、辺境領近隣に待機させていた小隊をここに派遣させてたの。だから、奇襲に対応できたのは僕のおかげ♡」
「……え……」
「なんだと?」
ぽかんとソニアはエリックを見つめる。
ウロボスは納得いかない様子で変わらずエリックを睨み続けた。
「わざわざノヴァにくっついてティエラリアに来たのは、このためだったのさ!」
「はあ!? じゃあこんなことになる前にどうにかすることもできたでしょ!?」
ドンと胸を張ったエリックにアイラが素早く噛みつく。エリックは「いやあ」と軽く頭をかいた。
「国際問題だからさあ。実際に向こうが動くまではどうとも言えないし、なんともできないんだよ。『気をつけて』とは言っておいたよ? カイゼル陛下には」
「なんでここで暮らしている人たちにはなんにも言わなかったのよ!?」
「何か事件が起きるかもしれない、起きないかもしれない。確証がないのなら、不用意に不安の種はばらまけないという判断なんだろう」
納得いかない様子のアイラをシャルルがなだめる。
「実際、辺境領のすぐそばにティエラリア騎士団の小隊が待機していた。……この程度の被害で済んだのは、事前の用意があったからだ」
「……『国際問題』ねえ……。面倒くさいわね、外交って」
「そういうのが得意な婿殿が見つかるといいな」
「ふん、言われなくても死に物狂いで探すわよ! あたしには絶対無理だもの!」
アイラはなぜか胸を張って威勢良く答える。
「これはイレギュラーな部分だが、これだけ迅速に事態が解決できたのはアルノーツ兵が活躍してくれたおかげだよ、改めて、ありがとう」
「……しょうがないわね。まあ存分に感謝するがいいわ」
シャルルがそう言うと、アイラは少し溜飲が下がったようだった。
「ソニアさん。こんなわけで……怖がらせちゃってごめんね?」
「あ、い、いえ、こうして私も、みなさんも無事だったわけですから……」
エリックが申し訳なさそうに眉を下げながらソニアに謝罪をする。その間を割るように、ウロボスがぐっとエリックに近づいた。
「てめえがコイツらを招いたわけじゃねえのか?」
「僕が友好国にそんなことするわけないじゃない! あっはっは、疑われて悲しいね」
「エリック、お前のその態度が原因だ」
「シャルルもつれないなぁ。僕のおかげで助かったのに」
シャルルはまだ怪訝な顔をしているウロボスに、ゆっくりと深く頷いてみせる。
「……本当に信用していいのかよ」
「ああ、エリックはこういう面倒くさいところがあるだけで、悪いやつじゃないから」
「はっ。わかったよ、今はお前が『長』だ」
「ありがとう、ウロボス」
ウロボスはボリボリと髪を掻き、シャルルに免じて仕方なく溜飲を下げたようだった。
ソニアはやりとりをぽーっと眺めていたが、ハッとして、エリックに向き直った。
「よ、よかったです。エリックさんが悪い人じゃなくて」
「お人好しな感想どうも。ふーん、君は僕を疑わなかったんだ」
「はい! だって、エリックさんはノヴァくんとシャルル様のことを大事に思ってくださっている人ですから!」
ソニアが笑顔で応えるとエリックは眉根を寄せて不快な表情を一瞬浮かべたが、すぐににこやかないつもの飄々とした表情に戻した。
「ここまでお人好しだと、それも一つの武器だねえ」
「……? は、はい。ありがとうございました、エリックさんが、色々と警戒してくださっていたんですね」
そういえば、エリックは今までも意味深になんらかの注意を促してくれていたなあと思い出す。
「どうして辺境領が狙われたのでしょうか……」
「はあ? それ、本気で言ってる? 君がいるからでしょ」
なぜだか今までよりも少しとげのある言い方をするエリックを不思議に思いつつ、ソニアは手を振った。
「あ、い、いえ、でも、私だけを狙っているならまた少し違うやり方があったのではないかと思うのです。このように軍隊を連れてこないでも、隠密に私を攫った方が戦略としては楽だったのでは……」
ふん、とエリックは細い眉をつりあげた。
「……まあね。チャンスだと思われたんだよ、まだ復興の途中で防御力が低いであろうこと、そしてここを攻略してしまえば、アルノーツにも侵攻しやすいということ、アルノーツが戦に弱いのはティエラリアとの戦争で把握済み。辺境領を足がかりにアルノーツを先に攻略して、そしてティエラリアを挟撃しようとしていたんだろう」
エリックの言葉をそばで聞いていたアイラも、眉をピクリとあげた。
「……アルノーツも、狙いの一つだったのですね」
「アルノーツはねえ、やっぱり魅力的だよ。大神が最も愛した土地神の眠る土地。王の娘に、奇跡の力が宿る国。……支配できるならそりゃ支配したいさ」
エリックはなんだか皮肉っぽい笑みを浮かべる。
その物言いにか、アイラは少しイライラした様子で「ふん」と鼻を鳴らした。
「……あたしだって、わかってるわよ。今まで聖女に甘えっぱなしのこーんなポンコツ弱小国がヘラヘラしてられたのは、ティエラリアを乗り越えてまで侵攻するのが厳しかったからでしょ」
「アイラ……」
「お姉様のおかげでティエラリアからは魔物が減った、長く厳しい冬が緩やかなものになってきた、『蓋』の役割をしてくれていたティエラリアの厳しい環境が、なくなっちゃった……」
「そういうことだね、お嬢さん」
「ナメられたものよね、全く」
アイラは長い金髪をサラッと後ろにかきあげる。
「ティエラリアも、アルノーツもそう簡単には侵略できない国なんだ、って教えてやんなきゃ。ね、シャルル。さすがにアンタにアルノーツまで来いとは言えないけど、今度は教えるのうまい人何人かアルノーツに紹介してちょうだい」
「……そうだな。でもアイラ、兵を強くしようとするのはいいけど、欲張って他国侵攻とかはしないようにね」
「しないわよ! アルノーツからしたら
「君のお父さんはティエラリアを支配しようとしてたけどね」
「お、お父様が愚かだっただけよ」
勝ち気な態度のアイラに、シャルルは優しく微笑む。
ソニアはそんな態度のアイラに、なんだかホッとしたような気がした。
「……アルノーツは、これからは大丈夫そうだな」
シャルルがぽつりとつぶやく。
「そうですね……」
ソニアもいっしょに頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます