第36話・聖女アイラは膝をつく
(――ふざけんじゃないわよ!)
アイラは白濁とした意識の中、悪態をついた。
アルノーツの東の港町、カイトン。賑やかな港の面影はなく、今はただただ魔物に蹂躙されている。
いくらかの犠牲を出しつつも、住民たちはすでに避難を終えて、聖女アイラが海から上陸する魔物の群れを食い止めているというところだ。
アイラは力を使うたび、自分の身がすり減るのを感じていた。
咽せて、咳き込んだら血痰が出た。
足はガクガクと震え、立っているだけでもつらい。
だけれど、自分がやるしかない。この国にいる聖女はアイラだけ、この国の人間で魔物に対抗できる存在はアイラだけなのだから。
(アルノーツに、魔物なんていなかったのに。なんで、どうして。アルノーツは、世界で唯一の……魔物が存在しない恵まれた土地だったのに、どうして)
ふと、頭の端に弱音が浮かんできて、アイラは目の端に涙を浮かべた。
(
魔物にとっての脅威である聖女を襲おうとする魔物ならばいままでもいた。でも、こんなふうに群れで来ることなんてなかった。
この群れの有象無象とは違って、聖女を狙う魔物はもっと恐ろしく、強大な力を持っている高位の魔物ばかりだった。
雑魚の魔物は聖女に近づくことすらできないはずなのに。
いまアイラに迫り、アイラを脅かしている魔物はいわゆるそういった『雑魚』の群れだった。
なんで、どうして。
あたしみたいな、優秀な聖女がこんな雑魚に追い詰められて、聖女の力も底をつきそうになっている?
(なんか、もうイヤ。なんであたしばっかこんなに頑張ってるの? 治療会もそうよ、あたし、あんな辛い思いして頑張ってたのに。なんなの、なんでこんな辛い思いして『聖女』やらなくちゃいけないのよ)
アイラは不意に、意識が遠のくのを感じた。
このまま、ふわりと浮かんできたひとときの心地よさに身を委ねて、膝をつき、瞳を閉じた――そのとき。
「――アイラ! 大丈夫!?」
出来損ないの落ちこぼれの、姉の声が聞こえた。
◆
「は、はあ!? お姉様!?」
咄嗟に意識を揺り戻されたアイラは目を見開き、姉・ソニアを見つめる。
ソニアは見慣れない小綺麗な白い装束を身にまとっていた。ティエラリアで作らせた聖女装束だろうか。
「こんなにボロボロになって……」
「きゃっ」
背の高い姉に上から抱きしめられる。
憔悴しているアイラには抵抗もままならず、ソニアにされるがままになった。
「……魔物は私とティエラリアの騎士団がなんとかします! アイラはここで待ってて」
「はあ? 何言ってんのよ……って、お姉様は魔物を滅するのだけは得意だったわね……」
それでも、自分がお荷物のように言われたことにはムッとする。
ソニアは長い金色の髪を煌めかせながら魔物の群れのもとにかけていった。
その横にはフェンリルに跨ったティエラリアの王弟シャルルもいた。
(か、彼氏連れで来てんじゃないわよ……!)
アイラの頭にふつふつと怒りが湧いてきた。
そのおかげで、なんとなく、身体に力が戻ってきた。
アイラはゆっくりと立ち上がり、そして深呼吸する。
(……?)
もう枯れたかと思われた聖女の力が身体に湧き上がるのを、アイラは感じていた。
アイラは姉の背中のその向こうの魔物に対して、ボールを投げるかのように聖女の破魔の力を放った。
「……えっ? アイラ?」
きょとんと姉が振り返る。
そんな迂闊な姉のサポートにシャルルはサッと動いて魔物の爪を槍で弾く。
「アルノーツの聖女はあたしよ! 魔物退治が得意だからって調子に乗らないで!」
ふん、と大見栄を切って見せれば、ソニアはキラキラと目を輝かせアイラを見つめた。
「アイラ……! すごい、こんなにボロボロになってもまだこれだけの力を発揮できるだなんて……やっぱりアイラは間違いなく聖」
「この状況で素面でそれを言えるのが君のすごいところだよな」
槍で魔物をグサグサしながら爽やかな笑顔でシャルルが言う。
姉の言葉もシャルルの言い方も微妙にアイラの気を逆撫でするものなのは、気のせいだろうか。
だが、今は非常事態である。
気に入らないが、魔物退治だけは得意だった姉の存在は――ありがたい。
それに、なぜだか姉の姿を目にしてから聖女の力がまた湧き上がっていた。
(今ならお姉様なんていなくても一人でなんとかできそうだけど……早く終わったほうが楽だものね)
アイラは金色のロングヘアを後ろにたなびかせ、改めて魔物の群れに対峙した。
姉はどうやら、彼氏以外にもティエラリアの騎士団も連れてきてくれたようだ。アルノーツのへっぽこ騎士たちと違って、ティエラリアの騎士は魔物との戦闘に慣れている。くわえて彼らはフェンリルを扱いこなしていた。
こう思うのも癪だが――もはや魔物の群れなどに負ける気がしなかった。
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