第11話・フェンリル厩舎訪問

「では、行ってくる」

「はい、行ってらっしゃいませ」


 これもすっかり馴染みの風景になってしまった。夫婦の部屋を発って仕事に向かうシャルルを見送るソニア。

 だが、いつもはこのまま立ち去るシャルルが今日はなぜだか不意に振り向いた。


「そうだ、君も暇だろう。ついておいで」

「えっ!!!」


 驚愕のあまり、「よろしいのですか!」という一言すら出てこないでいるソニアにシャルルはもちろんだ、とにこやかに返した。


「そのうち君を連れて行きたいとは思っていたんだ。今さっき、なんとなく思いついただけだから特に歓迎の準備もなにもできていないんだが」

「そそそそそそ、そんなっ、歓迎だなんて、とんでもない!」

「フェンリル達と職員数人がいるくらいだからそう緊張しないで大丈夫」


 恐縮しきりのソニアだが、実はずっと噂のフェンリルを見てみたかった。

 ソニアが浮き足立っているのが、見てわかるのか、なんとなくシャルルの目線がひどく微笑ましげに感じられた。

 それに対して気恥ずかしさを抱えつつも、ソニアはフェンリル厩舎へと向かうシャルルを追いかけた。


 ティエラリア王城は広大な敷地を持っている。シャルルとソニアが暮らす王城のメイン棟の他に主に政を行う棟や使用人達が暮らす複数の棟があり、以前シャルルが案内した温室や、このフェンリル厩舎も王城の敷地の中に存在している。


「さぁここだ」


 シャルルが大きな小屋の扉を開ける。と、その瞬間、白い塊たちが特攻してきた。

 でかい、大きい、狼だ。


「わっ、わっ、わわぁっ!?」

「こらこらお前達、落ち着け」


 三匹くらいにあっという間に囲まれたソニアはあっけなく背中からゴロンとその場に転がった。仰向けになったソニアに容赦なく毛玉は襲い掛かる。ハッハッ、と息をはきかけながら顔を寄せた一頭にべろりと顎を舐められた。


「ひゃー! ひゃー!」

「ああこら、こいつらに安易に腹を見せないほうがいい。ナメられるぞ」

「もうすでに舐められてますがっ、ひゃ、ひゃあ!」

「ほら、起き上がって。お前達は少し後ろに下がって」


 シャルルに手を差し伸べられて、腰砕けになりつつもソニアはなんとか立ち上がる。


「大丈夫か?」

「は……はい……すみません……」


 また情けないところを見られてしまった、とソニアは赤い頬を手のひらで隠した。シャルルはクス、と笑うと傍らにいる一頭の首あたりを大きく撫でながらソニアに言った。


「君も撫でてみてごらん。みんな大きい身体をしているが、撫でられるのが大好きなんだ」

「はっ、はい! 失礼します……!」


 シャルルの見様見真似で恐る恐る、首を撫でる。思ったよりも毛が深くてソニアの手のひらが白銀の体毛に埋まった。表面は硬い毛質だが、その内側は非常に柔らかいふわふわの毛が生えていて、ソニアの手のひらを優しい温もりで包み込む。なんと素晴らしい感触だろうと感激しながらゆっくりと首を撫でると、フェンリルは目を細めて「もっともっと」とねだるように頭をソニアの脚に擦りつけだした。


(か、かわいい!)


 ソニアの脳天に電流が走った。かわいい。フェンリルは大の大人が背に乗れるほどの大きさがあって、正直少し恐ろしさもあったのだが、もはやかわいいのほうがまさった。


「フェッ、フェンリル……もふもふですね……!」

「君はどうも懐かれやすいようだな。フェンリルに懐かれる人間は幸運の持ち主と言われている」

「…………こう、うん……?」


 耳慣れない言葉にソニアは一瞬思考停止する。幸運、自分には一番縁遠い言葉だ。なにしろ『厄災』の奇跡しか持たなかった、聖女のできそこないとして生まれたのだから。


「まあ、言い伝えだな。厳しい冬の寒さと魔物の脅威があるティエラリアの暮らしにフェンリルは欠かせない。そのフェンリルとすぐに仲良くなれるというのは貴重な才能だ、ということだ」

「な、なるほど」


 そういうことかとソニアはうんうん頷いた。


 フェンリル厩舎の中には、シャルルが言った通りフェンリルの他、フェンリルを世話をする数人の職員たちがいた。彼らにも簡単に挨拶を交わし、そしてシャルルはフェンリルたちをひとつの場所にまとめて、言った。


「みんな、前にも少し話したな。俺の妻のソニアだ。話した通り、きれいな人だろ?」

「ええええっ!?」

「すごい声を出すな……」

「い、いえっ、お、驚いて……」

「……俺は以前からずっと君のことは妻扱いしていたと思うが……」

「そそそそれもそう、なんですけど、それと、その、き、きれい……とか……」


 シャルルは曇りなき眼で小さく首を傾げた。


「君はきれいだろう。何を言っているんだ」

「ひ、ひえっ」


 淀みなく真っ直ぐに言われ、ソニアは卒倒しそうになる。シャルルからキラキラの眩い何かが発射されているような気がする。眩しくてソニアは目の前に手をかざし俯いた。


 するとシャルルたちとフェンリルの集会を少し遠巻きに見ていた職員達も何やらクスクスと笑っていることに気がつく。


(わ、私みたいなできそこないが『きれい』なんておだてられて調子に乗ってるから笑われてる…!)


 ソニアは赤い顔のまま、ますます身を小さくした。


 チラ、とシャルルを見上げると、やはりシャルルは爽やかな顔をして微笑んでいて、目が合うと小首を傾げてきた。


(ああっ、やっぱり眩しいっ!)

「ソニア。ちょっとこっちに来てくれ」

「は、はいっ」


 不自然にバッと顔を背けたからだろうか、シャルルはソニアを手招きした。シャルルから発せられる後光のごとき眩いオーラにクラクラしながらもソニアはシャルルの元によたよた向かう。


 シャルルはニコ、と笑うと、彼の腰に頭を擦り付けている一頭のフェンリルをソニアに示した。

 

「……俺の相棒、ラァラだ」


 他のフェンリルと比べても大きな体躯で、そして美しい白銀の毛並みを持ったフェンリルだった。ただ、右眉から右目にかけて大きな爪痕のような傷跡があるのだけが目立つ。しかし、そんな傷跡があってなお美しく気品のある雰囲気をしている。


「顔に傷があるが……メスだ。もう三匹の子を産んでいる」

「お母さんなんですね……」

「メスのフェンリルは一度出産を経験させてやった方が年老いた時に身体が悪くなりづらいんだ。だから、メスはみな適齢期を迎えたら子を産む」


 へえ、とソニアは感心しきりでシャルルの話を聞いていた。


「元々はフェンリルさんたちは魔物……だったのですよね。それを家畜化されたとか……」

「そうだな……ティエラリアとフェンリルの歴史は遠く過去まで遡る。それこそ神代の時代から、だから起源は少し嘘くさいところがあるんだが。その時代、フェンリルの神が貧しいこの大地の人々を憐れんで自分の子どもたちを人間に分け与えてくださったのだと伝えられている」

「じ、人為的に造られたのではないのですか!?」

「いつから彼らが我々の生活に寄り添ってくれるようになったのかはハッキリしていないんだ。すまない」

「い、いえ……気性のおとなしい子たちを掛け合わせて……とかそういうのかと思っていまして……」

「実際のところはそうだったのかもしれない。だが、そういう伝承が残っている以上、それを信じないのは神様に悪いだろう? だからティエラリアの人間はみな、その神話を信じて心優しきフェンリルの神を祀り続けている」


 そう話すシャルルの瞳は優しく細められていた。きっと、シャルルはこの地に宿る伝承を愛しているのだろうとソニアは感じた。伝承と、それから、このフェンリルたちのことを。


「フェンリルは魔物との戦いでも活躍してくれるし、荷物の運搬、他の家畜の監督役、とにかく色々やってくれる」


 相棒だと話したラァラの大きな身体を撫でながら、シャルルは言った。

 確か、シャルルはフェンリルライダーなのだとリリアンが言っていたとソニアは思い出していた。ライダーというからには戦いの時にはこの大きな背に跨って戦うのだろう。

 勇ましい姿を想像し、ソニアはにわかに胸が高鳴った。


「……命を全うしたときは、牙と毛皮を使わせていただく。牙はナイフにもなるし、加工して判子にしたりする。寒いティエラリアではフェンリルの毛皮は大事な防寒具だ」

「あ……シャルル様のお首の白いもふもふも……」

「ああ、フェンリルの毛皮だ。フェンリルの毛皮はへたれないから、何代も引き継いで使われる。俺のこの毛皮は亡き母の持ち物だった」


 シャルルは「そうだ」と白いフェンリルの毛皮のマフラーを取って、ソニアに差し出した。


「君にあげようか」

「えっ!? そんなわけには!」

「この国で一番あたたかいのはこのフェンリルの毛皮だよ。寒さに慣れていない君がつけているのがいい。俺は寒いこと自体は慣れているから。本当はこの間、温室まで出掛けていった時も君の首にかけてやろうかと迷っていたんだ」

「そそそそそっ、シャルル様! そんな大事なものを、とんでもない!」


 シャルルはオリーブグリーンの曇りなき眼を大きくし、首を傾げた。


「君は俺の妻だろう。妻に亡き母の形見を預けることの何に問題がある?」

「ひ、ひー!」


 ソニアの悲鳴をかき消すようにフェンリル達がウゥーと細く高い声をあげた。

 どうも、シャルルとソニアを「イチャイチャしてますね!」と冷やかしているらしい。

 ウゥー、ウゥーという鳴き声に囲まれたソニアがオロオロとしているのを見て、シャルルは「こら」と囃し立てるフェンリルたちを諌めた。

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