第7話・その頃『聖女』アイラは

 アルノーツの聖女・アイラは苛立っていた。


 花の国、神の国、アルノーツ。昨日は建国祭の日だった。

 聖女であるアイラはメインイベントである『開花の儀』に臨んだ。樹齢数千年と言われている神木に祈りを捧げ、神木に花を咲かせて、今年一年間の豊穣を願うのだ。


 毎年行う行事である。だが今年、アイラは花を咲かせることができなかった。

 集まった民衆は例年にない事態に大いに騒めいた。


 いくつかのつぼみと、小さな花が少しだけ咲いた。神官長はそれらをめざとく見つけ、もっともらしい含蓄を垂れてなんとか民衆を落ち着かせた。


 ――その後、アイラは満足に花を咲かせられなかったことを誰からも責められることはなかったが、非常に憤慨した。真の聖女である自分があんな姿を晒したことが我慢ならなかった。


「……全部姉様のせいだわ!」


 いつもだったらうまくいくのに! 姉の愉快な前座を見て大笑いするいつものルーティンができなかったから、うまくいかなかった。

 アイラはそう結論づけて、姉に怒りをぶつけていた。


 去年までは、姉が小さな鉢植えの木に祈って木を枯らせるのを見てから満を辞してアイラが神木である巨木に祈りを捧げて満開の花を咲かせるという演出をしていた。『厄災』の力を持って生まれた聖女のできそこない、おちこぼれ。だが、真の聖女たるアイラさえいれば、この国アルノーツに滅びの日など訪れやしないのだ、と。姉の忌まわしい滅びに向かう力と対比させることで、神に愛されたアイラの豊穣の力は際立った。


 貧しい雪国に厄介払いができたと思っていたのに、アレはアレで必要な存在だったなんて、とアイラはますます憤った。


「……あ、あの、アイラさま……」

「なによ! あたし、今休憩中なんだけど!」

「ひっ。も、申し訳ありません。その、休憩時間はそろそろ……聖女の癒しを求める来訪者が列をなしております……」

「ああもう、めんどくさいわねえ!」


 たどたどしく要件を伝える女官の肩を押し退けて、バンと扉を開き、肩を怒らせながらアイラは控室から出ていった。


 神殿の謁見の間には、女官が言ったとおりアイラの救いを求める民が集まっていた。アイラは目を眇めてそれを見下ろす。


(……フン。こいつらみんな、どうでもいいような擦り傷とか、打撲とかでも来るんだから。そのくらいの傷、放っておいたって治るのに)


 イライラしながらもアイラは一人ひとりの話を聞き、そして訴えられた傷を癒した。なかにはひどく傷を膿んだ人や骨を折っている人もいたが、やはり大部分はつまらない傷とささやかな身体の痛み程度で聖女の力に頼ろうとする軟弱者だった。


(あたし、暇じゃないのよ。本当にどうしようもない怪我をした人だけが中に入れるように新しくルールを制定するよう神官に言い聞かせようかしら)


「あ、ありがとうございます! アイラさま……おかげで明日からまた働きに出れそうです!」

「……まあ。当然のことですわ」


 今まさに聖女の奇跡を使って傷を癒した青年がぱああと顔を輝かせてアイラに礼を言った。彼は腕に大きな裂傷を作っていた、目鼻立ちがしっかりしている顔立ちで体つきも精悍な、爽やかな美男子だった。アイラの好みの男だったので、アイラは苛立ちを隅に追いやり、上機嫌で彼の笑みに応じる。


(こういう顔のいい男だけ来れるようにできないかしら!)


 姉がいたときはつまらない怪我をしている奴らは全部姉に押し付けて、どこにでも売っているような傷薬の軟膏を塗って誰でもできるような手当をさせていたのに。姉は聖女の癒しの奇跡を使えないから。でも、たいしたことない怪我の連中なんて、それでちょうどいいのだ。アイラの奇跡の力をわざわざそんなものに使うのはもったいなさすぎる。

 たまにそれで「俺は聖女の奇跡を受けにきたんだぞ!」と言って暴れる男や「バカにしてるの!?」とヒステリックに叫ぶ女もいたが、いい頃合いを見てアイラが仲裁に入り、「さすがは聖女様だ」「アイラ様こそ真の聖女にふさわしい」と賛美を受けるのも心地よかった。


(あーあ、お姉様がいなくなったら、こんなに面倒になるなんて……。……!?)


 ぐわり、とアイラの視界が不意に歪む。


「アイラ様!?」


 神殿内が一気にざわめきに包まれる。

 アイラは力を使っている途中でフラリと意識が遠のき、その場に倒れたのだった。


 ◆


「――なんなのよ、コレ!」

「ひっ、ひい!」


 倒れたアイラの世話をしていた女官が、突然のアイラの叫びにびくりと震える。女官の怯えた姿にアイラはまた一段と腹が立った。


「力を使っている途中に……倒れた?」

「……は、はい。アイラ様はお倒れになって、治療の儀は中断とし、控室にお連れした次第で……」

「わかりきっていること繰り返し言うんじゃないわよ!」


 アイラはベッドのサイドボードに置かれていた水を女官にぶちまけた。

 アイラの苛立ちは最高潮に達していた。なにしろ、気持ちが悪い。ぐわんぐわんと世界が揺れていた。


 力を使いすぎて倒れる? 目が回る?

 ……おかしい。今までなら、そんなことなかったのに。


「なんなのよ、お姉様。まさか、『厄災』の力であたしを呪ってるの……!?」


 アイラは震える手でローブの胸元を握りしめた。


 アイラにこの変化が訪れたのは姉が嫁いで行ってからのこと。間違いなかった。そして、日増しにアイラは疲れやすくなってきている。

 いざ倒れたことこそ今日が初めてだったが、姉の姿がなくなってから、務めを終える頃にはひどい疲労感に襲われる日々が続いていた。


 姉の嫁入りから、はや一ヶ月。そろそろティエラリアに姉には聖女の力はないのだと気づかれてもよい頃だが、報せはなにも来ない。姉は姉なりにうまいことやっているのだろうか。

 それとも、単に愚か者の集まりの国だから姉の持つ『厄災』の力を「聖女だ!」とでもありがたがっているのか。雪ばかりのあんな国、姉が枯らせる草花すら最初から生えていない。本当に気づいていないのかもしれない。


 ふふ、とアイラは鼻を鳴らして笑った。

 しかし、依然として目眩は治らないまま。姉と、姉が嫁いで行った国の愚かさでも頭に思い描いて愉悦に浸るくらいしか、気晴らしはなかったのだ。


 ――アイラは認めたくなかった。

 自分の持つ、『聖女』の力が弱まっている――かもしれないとは。

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