第37話 結婚証明書
夜明けも近づいて来ているため、夜空に浮かんでいた星々が漆黒の闇の向こう側へと吸い込まれるように消えていく中で、
「アレックスが面会を求めている?すぐに通してくれ!」
不眠不休で執務室に篭っていたエルンスト第一王子は、アレックスの来訪を今か、今かと待ち構えていた。
エルンストの弟となるヘンドリックが、教皇カウレリア三世の密入国に手を貸した。しかも、アレックスの誘拐に手を貸し、激しい拷問まで行っていたという。
今の王家の在り方に不満を感じていたヘンドリックは、自分こそがリンドルフ王国の新しい王となり、聖宗会の指導の元、リンドルフの国教をより正しいものへと修正する。
その後は、帝国への属国化を進めるつもりであったらしく、
「バカが・・あいつはなんてバカなんだ・・」
エルンストは、自分の拳を机に叩きつけてしまうほどの怒りを感じていた。
優れた能力もなく、努力を嫌ったヘンドリックは、王太子のスペアとして決定となって以降、周りもとやかく言わないし厳しいことも言われずに育ったからか、二十七歳となっても大人になりきれないような男だったのだ。
国の命運を守るか守りきれないか、ギリギリの綱渡りをしているような状態で、
「スペアなんてつまらないものだよ〜」
と、言い出すヘンドリックを何度殴りつけてやろうかと思ったかわからない。
挙句の果てには謀反を企て、祖国を帝国に売り払おうと画策したのだ。公爵家によって高級娼館が摘発され、逐一、情報が王城まで運ばれて来てはいるけれど、タイムラグが発生するのは間違いのない事実。
しかも、王城の中には聖宗会のシンパが大勢潜り込んでいるような状態なのだ。まともな情報を得るためには、まずは当事者となったアレックスから話を聞かなければならないと待ち構えていたエルンストは、
「これは・・婚約届と婚姻届のように思えるのだけどね」
目の前に差し出された二枚の紙を受け取りながら目の前に立つアレックス・デートメルスを見上げた。
アレックスが八歳の時に自分の側近として引き抜いたエルンストは、幼い頃からアレックスを大人並みに扱ってきた。そのため、エルンストに重用されていると考えた数多の貴族が自分たちの娘を彼の元に送り込んでいたのだが、無愛想な上に、蝋人形のように動かない表情が恐ろしいと言って、大概の令嬢が逃げ出して行ったという男である。
その男がエルンストの前に二枚の届出書を持って現れた。
二枚の紙にはそれぞれ、デートメルス公爵家当主のサインと、ヴァーメルダム伯爵家当主のサインが記されている。
「ヴァーメルダム伯爵は牢獄に入っていたと思うのだが?」
「私がお願いしたら、喜んでサインをしてくれましたよ」
「そうなの?」
本当に喜んでサインをしたのかどうかは分からないけれど、寝ているところを叩き起こされたのは間違いないだろう。
「それで、何故、今結婚?」
側近が遂に結婚するのはとても喜ばしい話ではあるけれど、今する話ではないと思う。今現在、王国は問題が山積みで、側近の結婚とか、そんなものは実にどうでも良い話なのだ。
「殿下、人払いを」
「え?今?」
「そうです、今です」
あまりに真剣な眼差しで見つめられたので、エルンストが渋々人払いをすると、アレックスはマルーシュカと結婚しなければならない事情を、滔々と語ってくれたのではあるが、
「えええ?聖女?眉唾じゃなくて本物?ちょっと信じられないんだけど〜!」
と、自分の金色の髪を掻きむしりながら王子はうめき声を発したという。
◇◇◇
ガブリエルの前に現れたのは間違いなく聖女だった。
漆黒の外套を身に纏う少女は、背中から引っ張り出した木の棒を振るい、トントコ、トントコ、血塗れな上に皮膚が焼け爛れた小公子の体を何度も何度も叩いていくと、薄らとした光の幕に包み込まれた小公子が一つの傷も残さないほどの状態にまで回復していたわけだ。
「聖女様、我々は聖女様のお帰りを長い間お待ちしておりました」
すぐさま聖女の前にガブリエルは跪いたが、それを邪魔するように声が掛かり、あっという間に聖女は男の懐の中へと隠されてしまったのだ。
ヴァーメルダム伯爵家には人を送り込んでいたガブリエルは、マルーシュカについては詳しく知っているという自負がある。小公子とマルーシュカは、仕事を通じて接することがある仲間程度のものでしかなく、マルーシュカの姉のフレデリークがアレックスの婚約者だったことから、扱い的には将来の義妹程度のものでしかない。
「愛してまーす!アレックス様を本当の本当に愛しているんです!」
と、マルーシュカは言ってはいたが形ばかりのものでしかなく、心の底から愛して居るなどということがあるわけがない。
日が昇るのと同時に、今回の騒動の謝罪と今後の相談の為に、早急に王城を訪問したいのだとガブリエルが先触れを出すと、王城からは都合の良い時に来て貰えれば良いという内容の返書を頂くことになったのだった。
即座に出掛ける準備をしたガブリエルは、何時間でも待つつもりで王城を訪れると、まだ朝も早い時間だというのに、気さくな様子でリンドルフ王国の王太子であるエルンスト王子が現れた。
「この件については父王からも私が一任されて居るからね」
王子はそう言って柔和な笑みを浮かべたが、その王子の後ろからは側近として付き従う形でアレックス・デートメルスが入室してきたわけだ。
「小公子殿、お体の方は大丈夫なのですか?」
ガブリエルが挨拶もそこそこに問いかけると、アレックスは憎たらしいほどの笑みを浮かべながら答えた。
「ええ、全く問題ありませんよ」
二人はリンドルフ王国の王太子を全く無視した状態でソファに座ると、火花が飛び散りそうなほどの視線をぶつかり合わせていた。
「聖女の奇跡をその身に受けたのですものね?それは、お体の方も最高潮に調子が良いのではないでしょうか?」
「聖女?なんですか?聖女って?我が国には確かに聖女の末裔はいますけれど聖女様なるものは存在しないですよ」
「またまた、ご冗談を」
『ふふふふふふふふふ』と笑い合う二人へ、奇妙なものでも見るような視線を向けながらエルンストが座ると、にっこりと笑ってガブリエルが言い出した。
「殿下、ヴァーメルダム伯爵家は爵位を剥奪、伯爵家の令嬢は籍を失って平民身分になるとの噂を聞いたのです。であるのなら、是非とも我が方で保護をさせて頂ければと思い、無作法とは思いながらも早朝に訪問をさせて頂いた次第です」
ごくりとエルンストが唾を飲み込むのと同時に、ローテーブルの上に結婚証明書が置かれた。国王の玉璽まで押された証明書を置いたのはアレックスであり、
「公爵家の嫁を平民と呼びますか?不敬で訴えても良いのですがね?」
と言って口元に笑みを浮かべたアレックスの瞳が剣呑な雰囲気を孕んで物凄いことになっている。
アレックスが蝋人形を卒業して感情豊かになったのは良いけれど、睨み合う二人を眺めながら、エルンスト王太子は心の中で『怖っ!』と声を上げていたのだった。
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