第33話 それは気のせい
「聖女様、我々は聖女様のお帰りを長い間お待ちしておりました」
と言ってガブリエル枢機卿が跪くのと、
「息子よ!無事か!」
「閣下!ご無事ですか!」
階段を駆け下りてきた公爵と商会長であるデニスが大声を上げるのがほぼ同時だった。
アレックスはマルーシュカをあっという間に抱き上げると、二人の仲睦まじい姿を発見したとばかりに、
「アレックス!それに嫁も無事か!」
と、公爵は大きな声をあげた。
上半身裸状態のアレックスは未だに何も着ておらず、そのままの状態でマルーシュカを抱え上げているものだから、周りからは仲の良いカップルのようにしか見えないだろう。
「嫁って誰ですか?まさか私のことじゃないですよね?」
アレクシアの適当な発言から、デートメルス公爵の中ではすっかりマルーシュカは公爵家の嫁という扱いになっているらしい。
「都合が良いから話を合わせろ」
「話を合わせる?」
怪訝な表情を浮かべるマルーシュカを至近距離で見つめたアレックスは、彼女の耳元に唇を寄せながら、
「お前、ここで聖女扱いされたら帝国に連れ去られて一生、監禁状態になるぞ」
と、言い出した。
その言葉はガブリエルにも聞こえていたようで、
「いえいえ、帝国には帰りません。我々は今の教皇とは訣別をし、聖都ダウラギリに移動して新しくやり直しをするつもりでいるのです」
立ち上がった枢機卿は胸を張って言い出した。
聖都ダウラギリは聖宗教の経典にも載る場所であり、創生神が聖女へ予言をもたらした場所ともされている。
聖宗教を牛耳っている聖宗会がまともに機能していないのは間違いない事実であり、外から改革を進めようという改革派の他にも、内側から教団を変えていこうと集まる勢力はそれなりの数に上る。
古き因習を断ち切り、ここで新しい道を選ばなければ、聖宗教は神に背いた悪しき宗教へと成り果てることになるだろう。
「そもそも、聖女が帝国の初代王を助けた等という話からして全てがまやかしなのです。聖宗教は帝国の都合の良いように使われてきた歴史に終止符を打ち、正しき道を歩むことを決意しました」
女性と見紛うばかりの美しい顔に美麗な笑みを浮かべたガブリエルは、マルーシュカに手を差し出しながら言い出した。
「聖女様、常に我らを導く我らが光、貴女様とともに我らがあるのは時を違えども同じこと。聖なる都へ共に参りましょう、誠心誠意お仕えすることをお約束致しますので」
マルーシュカはアレックスに抱きかかえられながらゴクリと唾を飲み込んだ。
マルーシュカは実は生まれてこの方、一度として神様になど祈ったことがない無神論者なのだ。生家は確かに聖女の末裔と言われるヴァーメルダム伯爵家だったかもしれないけれど、伯爵令嬢としての扱いを受けていない上に、聖女とはなんたるかという話など、今まで一つも聞いたことがない。
そんな状態で「聖女様、我らと共にさあ行かん」みたいなことを言われたって、納得できないし、嫌な予感しかしない。
「無理無理無理無理!」
アレックスの首に腕を回したマルーシュカは、手に握ったままだった木の棒を放り投げてぎゅっと抱きついた。
その姿を見ていた公爵が二人を背で庇うようにして、
「うちの嫁は聖女の末裔ではあるが、聖女様ご本人な訳がないだろう!変なことを言わないで欲しい!」
大きな声を上げる。
嫁ではないが、聖女でもない。それでも、聖女か公爵家の嫁か、どちらかを今すぐ選べと言われれば、迷わず公爵家の嫁を選ぶだろう。
なにしろ聖女として聖都に連れて行かれれば、絶対に帰って来られないし自由もない。軟禁状態になるのは目に見えているけれど、公爵家の嫁であれば、いずれは離婚もあるわけだ。そもそも今は嫁と言っているだけで、本当に嫁になどなるわけがない。
「いや、ですが、ご子息の拷問を受けた怪我をあっという間に治していたのですよ」
「気のせいです!気のせい!幻!」
「ですが、小公子の枷を外したのはマルーシュカ様ですよね?」
「マボロシでーす!そんなこと出来るわけがありませーん!」
「枢機卿様でも、相思相愛の二人を引き裂くことなど出来ませんぞ!」
公爵が興奮した声を上げると、ガブリエルは小首を傾げながら言い出した。
「お二人はたまたま一緒に居るだけの仲ですよね?それを、いきなり相思相愛と言われても疑問にしか思えないのですが?」
マルーシュカはアレックスに抱きつきながら宣言した。
「愛してまーす!アレックス様を本当の本当に愛しているんです!」
マルーシュカの本気の叫びを耳にしたからか、アレックスはマルーシュカの背中に回した手を首元まで移動させると、マルーシュカの顔を固定させ、噛み付くようなキスをし始めた。
それは、周りの人間が呆れ返り、視線のやり場に困り、
「アレックス!こんな場所でイチャついているんじゃないぞ!恥を知れ!」
拘束されたヘンドリック王子が叫び声を上げるほどの長いもので、
「・・・・」
ようやっと濃厚なキスから解放されたマルーシュカは、そのまま気を失ってしまったのだった。
結局、アレックスは気を失ったマルーシュカを誰にも託さず、最後には上半身裸に外套を肩に引っ掛けた状態で、公爵邸へと帰って行ってしまったのだった。
娼館で拘束された教皇とその一派は、そのまま秘密裏に処分されることになったのだ。
半世紀以上に渡って教団を私物化し、自分の意に従わない者は『異端審問』の名の下、処分をし続けたカウレリア三世は神の裁きを受けたとされて、帝国の南方に位置するリヤド砂漠に放置された。
神に許されれば帰ることを許されると言われるリヤド砂漠に放置された教会の幹部たちがそのまま帰らぬ人となったのは有名な話であり、その遺体は燃やされることなく獣の餌となったという。
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