第9話 聖女の涙
海洋に面したリンドルフ王国が貿易の一大拠点となったのは、国として宗教の自由を認めているからに他ならない。
別の大陸から移動してきた多くの船がリンドルフ王国に寄港することを望んでいるのは、数多の神を信奉することに寛容だからだ。
全ての国々が聖宗教を信奉しているわけではない。国を離れて遠くへ行けば行くほど、その国が信奉する全く別の神の存在を知ることになるわけだ。
聖宗教への宗旨替えを強要したり、聖宗教を信じない者とは取引しないと言い出す国が多い中、リンドルフ王国だけが宗教への寛容さを示している。
一重に、王家の人間が神よりもより現実的なものに傾倒しがちな性質だったということになるし、リンドルフ王家の総意としては、
「正直、カケラも関わりたくない」
というのが宗教問題に対しての本音でもあるのだった。
「アレックス、何処でこんなものを見つけたわけ?」
「マルーシュカの私物の中に入っていたのですよ」
「マルーシュカ嬢、何故、君の私物の中に聖遺物が入っていたのかな?」
「全く分からないんです」
マルーシュカは首を静かに横に振りながら言い出した。
「普段から伯爵家の人間に蔑まれて生きてきた私が、ひょんなことから姉の遺体を発見することになったのですけれど、きっと姉の死亡は私の責任ということにされるだろうなと思ったわけです。結局、伯爵も夫人も私が姉を殺したと主張しているようなのですが、私は身の危険を感じた為、身の回りの物をまとめて逃げ出すことにしたわけです」
マルーシュカは大きなため息を吐き出しながら言い出した。
「その革袋の中には小銭がかなりの量入っていたのです。その小銭が全部無くなり、その代わりとでもいうように、このキラキラ光る石が入っていたのです。誰が小銭とキラキラ石を入れ替えたのか知りませんが、私の小銭を返して欲しいと、切実に、願っています」
マルーシュカ嬢としては、聖遺物である『聖女の涙』よりも、無くなった自分の小銭の方が重要らしい。エルンストが思わず自分の眉間を揉んでいると、アレックスが間に入るようにして言い出した。
「とりあえず、ヴァーメルダム伯爵の私室から『聖女の涙』が発見されたということにいたしましょう」
マルーシュカ嬢の私物の中からではなく、伯爵の私室から出たと言い出すのであれば、ヴァーメルダム伯爵家の終わりを意味することになるだろう。
「フレデリーク嬢の死体が聖女の泉で発見された為、伯爵家内の捜索を行うことになったところ、伯爵の私室から『聖女の涙』らしき(・・・)ものが発見されたとするわけです。そうすれば、伯爵夫妻を貴人牢に入れている理由づけにもなりますし、何故、フレデリーク嬢が殺されたのかを十分に調べることが可能となるわけです」
「つまり、この『聖女の涙』らしきものは、一旦、王家で預かる形とするわけか?」
「聖宗会も改革派も同様に『聖女の涙』は手に入れたいと考えているでしょうし、上手く使えば王家を優位にする宝ともなりましょう?」
エルンストはソファに腰掛けると、目の前に座るマルーシュカに笑みを浮かべた。
「この聖遺物らしきものを王家で預かることにしたとして、令嬢はそれでも構わないだろうか?」
「それについては全く問題ないのですけど、誰が、どうやって、私の私物の中にこのような物を潜り込ませたのか疑問が残るばかりなのですけど」
マルーシュカはアンバーの瞳を伏せて、考え込みながら言い出した。
「我が家は聖女の末裔とも言われておりますし、聖女と全く関係ないかと言えばそうではないと言えるでしょう。それは理解できるのですが、何故、そんなものが私の小銭と引き換えに送り込まれてきたのかが理解出来ないです」
「おそらく、君の私物の中に『聖女の涙』を潜り込ませたのは、フレデリークではないだろうか?」
「姉ですか?」
マルーシュカが眉を顰めると、アレックスは楽しくて仕方がないといった様子で笑みを浮かべた。
「君の姉は、いや、君の家族全員がと言ったほうが良いと思うのだが、全員が全員、君を追い落とそうと考えているように私には見えるのだ。おそらく、恋人から貰ったプレゼントが『聖女の涙』だと最初は分からなかったフレデリークは、新聞か何かを見て、自分の持っているものが『聖女の涙』だということに気がついた」
枢機卿が聖女の涙を捜索するためにリンドルフ王国に入国したのは新聞でも大々的に報じられているし、肝心の聖女の涙がどういったものかということを詳細に絵柄付きで載せている新聞もそれなりにあったのだ。
「持っていることが怖くなって、妹である君の私物の中に紛れ込ませた。そうして、聖女の涙を狙った人物が伯爵家に潜り込み、君の姉を殺害した。実は、君が与えられた粗末な部屋は、完膚なきまでに荒らされていたんだよ」
「えーっと、どういうことですか?」
「つまりは、聖女の涙を回収しに来た男が、君の姉に何処にやったのだと問いかけたと思う。君の姉であれば喜んで、君の荷物の中に潜り込ませたと告白するだろう」
「私が荷物を取りに行ったときに部屋の中は荒らされていませんでしたけど?」
「間一髪で君は敵の手から逃れたのだろう。君が出て行った後に、犯人は君の部屋へと侵入し、聖女の涙を探したが見つからなかったということになるのだろう」
マルーシュカは本当に危険が迫っていたし、早々に逃げ出さなければ今頃殺されていたかもしれない。
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