第3話 汚(けが)れた日
朝日が、だいぶ上まで昇ってきた。周りはすっかり明るい。
おにぎり屋や弁当屋、飲食店等が両サイドに所狭しと並ぶ大通りの坂を、私と山本さんは上っている。
時刻は6時半頃になったのだろうか。通勤・通学するであろう人々や車で町は満たされ始めていた。
しばらくすると、向こうに自宅が見えてきた。彼女に家の方を指さして伝え、一緒に向かう。
自宅の前に立ち、山本さんに話しかけた。
「私の家はここ…」
「なるほど。昭和レトロで良い感じね!」
と彼女は悪意のこもっていない純粋な笑顔で私の家を評価した。
「ってか、”いろかわ”さんって言うんだ」
彼女は私の家にかけてある標識を見てそう言った。
『色川』それは、母の旧姓で今の私の苗字でもある。
それを聞いて、私は自分がまだ彼女に名前を伝えていないことを思い出した。
「名前、言い忘れてたんやけど、私、
「あっ、ごめん。”しきかわ”って読むのね」
彼女は、申し訳なさそうに眉尻を下げ、そう言った。
そして、ある方向を指さし、こう続けた。
「私の家はあれ!」
その指先には、ひどく古びた、築15年以上は経ってそうな、5階立てくらいのマンションがあった。
天女のような見た目の彼女とは、月とスッポン程かけ離れた場所だ。
彼女は話を続ける。
「ぼろいと思った?そうよね。まあ、私は親元から離れて1人で住んでるから…経済的にね…仕方がないの」
まさか1人暮らしとは思ってなかったので、少し驚いた。私が通っている高校は私立ではあるものの、山の上の辺鄙な位置にあることや偏差値も、部活動の成績も中途半端なこともあってか他府県から人気がなく、通っているのは高校の近所で生まれ育った生徒が大半であり…1人暮らしをしている生徒には初めて会ったのだ。そういや、彼女のイントネーションも、話し方も、関西の”それ”ではない。そのことは彼女が遠くから、わざわざ私の通っている高校に転入してきたということを暗に示している。何か家の事情があるのだろう。
「じゃあね。お腹すいたから、朝ごはん食べないとだし。また、今日、学校で。」
彼女はそう言って、私に向けて手を振るとすぐ、マンションの方へ体を向け駆けて行った。走り去る際、風によって、彼女のロングの黒髪が、今朝、湖岸で見た波のようになびき、日光を反射させ、照り輝いていて美しかった。
彼女の姿が見えなくなると、私は体を翻し自宅の方を向いた。そして、恐る恐るゆっくりと、音をたてないように、鍵を開け、ドアを開き、家に入った。昨日、祖母と母にバレないように、私は夜中にひっそりと家から抜け出したのだが…もしも、私が出て戻る間にどちらかが目を覚ましていたら、私の愚行がばれてしまうのだった。
果たして…大丈夫であった。私の祖母も母も、朝が弱く、7時頃までは、寝ぼけ眼で寝て起きてを繰り返しているので、難を逃れたのだろう。
私は忍び足で自分の部屋に入った。
今朝、湖に入った際に着ていた、ロングTシャツとスウェットパンツで構成された私の寝巻きは、山本さんが一旦家に帰った時に彼女が持って行った。その際に、彼女は自分が洗って、明日、学校に持っていくと言っていた。本当、彼女には迷惑かけっぱなしである。
私は、彼女から貸してもらった体操着をゆっくりと脱いだ。
嫌でも、ブラジャーとショーツが見える。
ショーツには、昨日…あの時できた傷から漏れだした血が薄くついていた。
私はそれを見て、昨日の出来事や、そこに至るまでの、今までの高校での日々を思い出した…
私は高校生になっても、人間関係がうまくいってなかった。
私の周りの生徒は、私が3年生で転入した
前の席の女子たちが、小学5年生のとき、違う学校だったが「うみ〇こ」という船で一緒に過ごし、仲良くなった相手と再会を果たした、という話題で盛り上がっていた。しかし、私はそもそも、その「うみ〇こ」とやらが分からない。あの大きな水の塊は湖だから、「うみ」ではないと思うのだが…
それは置いといて。つまりは、私は彼ら彼女らとは同じ地域のコミュニティに属しておらず、中学からの友人も1人もいなかったので、周囲で既にできている”仲良しの輪”に入り込むことも、輪を作り上げることもできなかったのである。
私が勇気を出して、彼ら彼女らに話かけさえすれば、輪に無理にでも入れはしたかもしれないが…私にはそんな勇気も無かったし、中学時代の地元の友達(と思っていた人)から裏切られた経験から、人間というものを信じられなくなっている節もあった。そのため、無理に人に関わるよりかは、人との接触を避けて生きる方が無難だと思っていたのだ。
だから、私は部活動にも入らなかった。授業の合間の時間は机の上で顔を両腕に
そんなある日、図書室で読んだ小説で京大生の主人公が何度も自分の人生をやり直すというものがあった。私もこの主人公のように、人生をやり直せたらな…と何回も思いながら読み進めた。すると、書かれている内容はギャグ満載で泣ける本でもないのに、その本を読了したとき、私は涙が止まらなくなった。情緒不安定にも程がある。
私は結局、そういった独りぼっち生活を半年間ずっと続け、昨日に至った。
昨日、私が屋上の端でいつものように弁当を食べていたときのことだ。
突然、同じクラスではあるものの、一度も話したことのない男子生徒が私のもとに近づいてきた。彼は何故か目を泳がせており、また、ひどく怯えた表情を浮かべてもいた。
「あの~色川さんですよね。僕んこと知ってます?」
声も少し震えている。一体どうしたのだろうか。
私はその男子生徒の顔は知っていたが、名前を知らなかったが、とりあえず頷いておいた。
「そうなら良かった。もうちょっとで文化祭あるじゃないですか。そんで、一応、色川さんも僕と一緒で、文化祭の実行員じゃないですか…なんで、突然なんやけども、今から一緒に話し合いませんか」
私は、誰もやりたがらない文化祭の実行員に多数決で勝手に選定されていたことを、それを聞き、思い出した。正直、話し合いは面倒くさいと思ったが、明日以降に伸ばすのも更に面倒くさいと思い、彼に大人しくついて行った。彼は挙動不審に周りをキョロキョロ見ながら歩き進めており、少し不気味だった。
彼は、話し合いの場所としてここを使う、と言って学校にある多目的室の前に私を導いた。そこは、学校の最上階である3階かつ最端にある角部屋であり、生徒たちの普段いる教室からは、かなりかけ離れた場所にあった。
多目的室のドアを男子生徒が開ける。ここは常に鍵がかかっていないのだろうか。鍵を開ける
部屋に入ると、その暗さに驚いた。奥にある窓全体に遮光カーテンがひかれているのだろう。日光の入る出入口のドア付近以外は真っ暗で何も見えなかった。私は部屋のスイッチの場所も、カーテンの位置もわからないので、ドアの前で呆然と立ち尽くした。私の後に続いて彼が入ってきた。
すると…入るやいなや、彼は、ドアの方を向き、ドアを思いっきり閉めたと思ったら、すぐに鍵を掛けた。そして、再度、内側に体を翻し、まるで鍵を守るかのように、ドアの前に体を大の字にして、立ちはだかった。
部屋の中には、ドアの上部にあるすりガラスから、ぼんやりと入る自然光しか、明かりがなくなった。ほとんど暗黒に近い。
私は突然の状況にパニックになり、彼の方に向かって体を向け叫んだ。
「どういうことなん!?何がしたいん!?」
彼の表情は周りが暗いのと、ちょうど顔の辺りがドアのすりガラス付近で逆光になっているため、よくわからなかった。しかし、彼が手を震わせながら、恐る恐る私の背後の方を無言で指さすのが見て取れた。
パチッ、という音がして電気が点く。
いきなり、明るくなって目がチカチカしてビックリしたが、彼の指さす方を見た。
部屋の隅には、恰幅の良い男子生徒が1人立っていた。その
私がその異様な姿を見て、ドアの方に向き直し逃げようとすると…突然、男は無言で私のもとに走りかけてきた。そして、両手で私を羽交い締めにし、押し倒しそうとした。私は逃げるために男の両手を振り払おうと必死で抵抗を繰り返すも、結局、ガタイの良い男性に力で
私は悲鳴をあげ、両手両足をばたつかせ抵抗したが、男は、左手で私の胸元をぎっちりと抱え込み、右手で私の口元を覆い隠す姿勢を取り、悲鳴は打ち消されたため、部屋の外には届かず…
男が果てるまで、その行為は続いた。
果てたとき、男から快楽を伴う吐息が漏れた。男は私の体を全身で味わって、ひどく気持ち良かったのだろう。対して、私は腹を殴られたような痛みが男が腰を振る度に続き、死にたくなるほど痛かった。
男は
ドアの隙間をゆっくりと抜け、廊下に出た後、男子生徒は私の方を向いた。廊下は明るく、その顔の様子をようやく拝むことができた。男子生徒の顔は、ひどく眉を吊り下げ、唇を震わせ、目が泳ぎに泳いでいる、そのような状態だった。その顔からは謝っても謝り切れない私に対する後ろめたい気持ちが表れていた。
彼の方を、じっと眺めていると、一瞬、目が合った。すると…
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
と彼は、ぶつぶつ、ぶつぶつと後悔の念の籠った声で平謝りし始め、私に一礼してドアを閉めて去っていった。
部屋はまた、暗闇に戻った。
暗闇に1人残された私は、涙を自分の制服の袖で拭き、腹部に感じる痛みに耐えながら、のっそりと立ち上がり、最初にあの上級生が居たあたりまでなんとか行き、電気を点け、自分のショーツを履き直した。
ショーツは先程の男の行為によって出血した血で赤く染まっていた。
それは、例の膜が貫通した際だけの出血ではないと思われた。
私が抵抗しているにも関わらず、男が無理やり行為に挑み続けたため、恐らく、交接器の内部に傷ができ、出血が起こったのだろう。
私は、痛みや疲れと戦いながら、なんとかドアを開け、家の鍵と財布を制服のポケットに常に入れていることもあって、そのまま逃げるように学校を抜け出した。そして、母も祖母も夕方まで仕事があるため、誰もいない家に駆けこみ…自分の部屋のベッドの上で声にならない声を出し、泣き始めた。
私の脳内から様々な感情が沸き溢れる。
私は
しかも、それは、母親がお金をもらってやっていたあの行為と同じで、ただ男相手に快楽を与える…愛の無い性行為によって…
私はそのことがひどく悔しく、ひどく情けなかった。そもそも、あの男子生徒が話しかけてきた時点で彼は挙動不審で既に怪しかったのに、彼にすんなりついて行ったのが間違いだった…
現実とは残酷なもので、私の読んだあの青春タイムループ小説のように、過去に戻って人生をやり直すことはできない。
その考えに辿り着いたとき、ついと、私に次のような決意が浮かんだ。
やり直しがきかないなら…
ならば…
自分の手で、自分の人生を終わらすしかない…
1時間程、泣いただろうか。
泣き止んだ後、涙を袖で拭き、部屋の天井を見ながら、がらがらになった声で、私はこうボソッと呟いた。
「こんな世の中腐ってる…世界からさよならしいひんと…」
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