プロローグ1「再会」
今思い返してみれば悪かったのは俺のほうだった。
高校三年の春先、大学受験期真っ最中。
勉強で忙しいとかこつけて、
彼女の優しさに甘え、
そして会話すら疎かにしていた俺に。
彼女は痺れを切らして恋人の関係を辞めようと提案してきた。
勿論、俺は動揺した。
その子は俺にとって人生初めての彼女だったのだ。
学年は一個下で、出会いは体育祭。
彼女がなんとなく見に来ていた二年のサッカー決勝で俺がたまたま決勝点を決めたところを見て一目惚れしたと後から知った。
容姿は特段可愛いと言えるわけでもなかった。
顔は好みじゃなかったし、体目当てでもなかったが男としては気になる胸も大して大きいわけでもない。
よく言えば清楚で、悪く言えば地味。
黒いフレームの丸眼鏡のほうが目立ってるほどだった。
そんな地味な女の子が体育祭の閉会式の花火の最中に告白をしてきた。
「あの……わ、わた、私っ……先輩に一目惚れしましたっ。つ、ちゅきあってください!!」
噛んだのはとてもかわいかった。
ただ何度も言うが好みではなかった。
それなら断るのが礼儀ってものだろうが、今となっては若気の至りというか。
あの頃の俺は後輩の彼女なんていうくだらない憧れで、彼女の告白を「はい」と答えた。
でも、住めば都と言うように付き合ってみれば可愛く見えた。
そして、何より彼女の性格の良さに俺は惹かれていった。
優しさというか健気さというか。
言葉では簡単に言い表せないほどの真っすぐな心に俺は惹かれたんだ。
何でもかんでも一生懸命な、あからさまなくらいに真面目で、可愛いくらいのひたむきさに魅力を感じた。
幸せだったと今では思う。
—―でも、そんな日々は数か月の間だけだった。
俺は慢心していたのだ。
好いてくれた、だから気にしなくていいと、彼女のこと蔑ろにしても分かってくれる、大丈夫だと。
何より俺の辛さは理解してくれるだろうと、馬鹿みたいな根拠のない確信を持っていた。
移り変わらないものなどこの世にはない。
少しでも支えているネジが外れたら、それは連鎖していく。
当たり前だった日々、それは俺の怠慢さで少しずつ瓦解していき、そしてその皺寄せはやがて自らの首を苦しめるとも知らずに。
「—―もう耐えられません。別れてください」
その一言を聞いてから、俺の毎日は彩られることを忘れたのだ。
◇
「あぁ……今日もこの時間かぁ」
時刻は夜十時、駅ホームのベンチに座りながら俺—―
冬が少しずつ顔を出してきた肌寒い秋の季節、世間は食欲だのスポーツだの読書だのと現を抜かす中。
我が会社の研究室ではこの時期には研究員が総出となり、実証試験や修正を繰り返す忙しい時期、いわば繁忙期真っ最中だった。
普段ならここまで忙しくはない。
ましては定時で帰る日ばかりだ。
しかし、時期は時期。
この業界は常に流動的であり、不規則。
それも学会や国際発表を控えたこの時期はとてもじゃないが楽はできない。
勿論残業の分の給料はでるがこの期間の仕事時間は労働基準法など無も等しいほどだ。
今日はリーダーが徹夜で実験すると言っていたな、来週は俺の番かもな、なんて想像をしながら数分で来るであろう電車を待っていた。
「そっすね~~。僕のところも今週は忙しいっすよ」
「へぇ……変わんねえんだな」
そんな疲弊しまくった俺に声をかけてきたのは同僚で同期の
誰にでも笑顔を振りまき、まさに今時の女性が好きそうなイケメンの男である。
黒髪マッシュってやつだな。
似合うのが余計に女性たちを恍惚と刺せるのだ。
ちなみに、なぜ俺のほうが年上かと言えば大学院卒か大卒かの違い。
出会い方も会社では一般的な配属された研究部の班は違うが、最初に行われた新入社員の合同研修会で俺から声をかけたことからだった。
「変わんないっすねぇ~~来週はリーダーがドイツに行くらしいんすよ。ひゃぁ、怖いってもんすよ。ドイツ語なんてまったく分からないすもん」
「そっちのリーダーはエリートだから安心しとけよ。それに、今はAIが進歩してるんだから翻訳で事足りるだろ」
「なんだか遠回しに否定されてる気がするんすけど?」
「どうだかなぁ」
ぶっきらぼうに言うと博也はむすっと口を突き出した。
こんななりだが大学は俺よりもいいところを出てるし、人生で一度しか付き合えたことがない俺に比べて女性経験も多い、人生経験では先輩にあたる。
そんな彼には敬語はしなくていいと言っているんだが、「僕は後輩プレイが好きなんすよ」と意味わからない理由を突きつけてくるので最近は気にしなくなった。
駅のスピーカーから「前の駅を発車しました」とアナウンスが鳴り、そろそろかと立ち上がる。
「—―っていうか、あれっすよ哉さん。変わらないって言ったら、僕の彼女! この前急に別れを切り出してきたんすよ」
「ほー急だな。んで、どうしたんだ?」
「僕も嫌なんでこっちから願い下げだって言ってやりましたよ」
「ノリノリなんだな」
「だって、あれすよ? あっちは働いてもいないのに少しの家事もやってくれないんすよ? 僕が料理までしてるのに家に帰ったらぐーたらスマホ見てるし。んま、最初も締りが悪かったんでそうだと思ってましたけどね~~」
「……そうか、災難だったなぁ」
ちなみに、博也の言う「締り」というのは行動がしっかりしてるとか正規の意味ではない。
意味的にはそう、女性のあそこだ。
繁殖を司るあれだ。
まぁ、ある意味では性器の意味ではあるだろうがな。
「うぅ~~さむっ」
「っ」
「ん、どうかしましたか?」
「い、いや。別に」
そう、こいつはさっきも言った通りに女性経験が多い。
多いと言ったが多いなんてどころではなく、めちゃくちゃに多いのだ。
大学時代には言い寄ってくる女性や気になった女性は口説き落としてワンナイトをしまくったらしく、そこでの経験か、締りがいいといい女とのことらしい。
全く意味が分からないが、彼には彼なりのプライドがあるようだから気にはしていない。
「—―てか、彼女作らないんすか?」
「あぁ、まだかなぁ」
「っぶ。できないの間違えじゃ?」
「うっせ」
—―だが、こんな風に自分がいいからってできない人をからかうのはやめてほしいがな。
「にしてもそうだな、家事はそうだな」
「哉さんやってくれます?」
「やだよ、俺もめんどい」
「ひぃ~~、いっそのこと家政婦さんでも雇っちゃいますかね?」
思えば、帰ってから家事はたんまり残っている。
今の仕事についてからはロボット掃除機にドラム式洗濯機、そしてAI搭載機器を使って自動化を図っているがそれでも食事を作ったり洗い物を片づけたりとやらなくてはいけないこともたんまりとある。
「家政婦かぁ」
「んま、雇って帰り際にそのまま~~」
「馬鹿言うな」
「っちぇ。それができないならぁいらないっす」
「……何のための家政婦だよ」
「無論、エッ――」
「はいはいそこまで」
横にいる性欲馬鹿はおいておいて。
家政婦を雇うのはないことでもなかった。
むしろありかもしれないと思った。
◇
そして、翌日。
俺は玄関の前でドキドキと胸を躍らせながらぐるぐると歩き回っていた。
「ふぅ。安心しろぉ、別にそんなことないからなぁ」
そう、俺は家政婦を雇うことにしたのだ。
インターネットで調べ、近いところでやっている家政婦宅配サービスで予約をし、週末の午前中に設定。
それであっという間に予約した時間になり、待っているのだが胸がそわそわして止まらない。
どうやら来る人は女性らしく、別に期待しているわけでもないが博也のせいで妙に緊張している俺がいたのだ。
「って、さすがにこれはきもいな。普通にしよう」
立ち止まり、数秒間。
—―ピンポーン。
インターホンが鳴った。
体がびくついた。
「ふぅ……」
ため息を吐き、生唾を飲み込んだ。
緊張を胸に仕舞い、俺は落ち着きながらゆっくりと鎖を外して鍵を解除する。
「は、はい……お待ちしてましたぁ」
そしてドアノブを捻り、扉を開ける。
—―その瞬間だった。
扉と
燦燦と輝く秋の太陽の逆光に照らされて、目を細める俺の前に頭を下げる彼女が顔を見せる。
顔は全く違った。
亜栗色の艶やかな長髪に、どこかで見覚えがあるエメラルドブルーの瞳。
色白で滑らかな肌に、すらっとした体型で目の前の女性に俺は突き刺さるものを感じる。
一言でいえば美しかった。
よく言えば清楚で、悪く言っても垢ぬけた超絶美人。
完全無欠の美人。
私生活では確実にモテないわけがないほどに綺麗な女性だった。
「—―本日、家政婦宅配サービスで参りました。
頭をゆっくりと上がっていく中、途中で目と目が合った。
「え」
予感が確信に変わる。
「あっ」
そう、俺の目の前に立っていたのは何を隠そう――俺の元カノ、高校時代の時に告白してきたあの地味な後輩の女の子だったのだ。
あとがき
新作2です。
どうぞよろしくお願いします。
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