第11話 ある日、聖剣が迎えに来た件

「まあとりあえず触ってみるか」


 為せば成る、為さねば成らぬ、なんて武士のような固い覚悟とまでは言わないが、ごくりと唾を呑み込むとなるようになれとスクリーンへと手を伸ばした。ドキドキして僅かに指先が揺れる。

 本当に帰れるなら心底嬉しい。本望だ。……なのに俺は一瞬躊躇するように動きを止めてしまった。


「駄目だよヒタキ君!」


 刹那、触れる直前のその手をウシオが掴んで止めた。だから誰も俺の躊躇いには気付かなかっただろう。

 何となく気まずくて、邪魔するな添い寝券一枚やっただろと敢えて睨んだ俺だったが、意外にもウシオはその凛々しい眉尻を下げ焦った様子でいて毒気を抜かれてしまった。


「ウシオ……?」

「あ、ほらほら~、まだそれヒタキ君の雷撃が表面でバチバチしてるしさ、触ると危ないよ」

「元々俺の攻撃なんだし平気だよ」

「念のためだよ念のため!」

「……」


 うーん案じると言うより隠し事をしてるようで何か怪しいんだが?


「マ、マスター、これは一体何なのですか?」


 横では、気になったらしいブイがスクリーンへと手を伸ばし、怪我もなく手が弾かれた。


「何だ、平気そうじゃん」

「……余計な真似を、ウサギ蟻」


 ぼそりと何かを言ったウシオを見たら、あははと空笑いされた。何なんだか。

 だが、へえ~、ブイも弾かれるのか。

 ならウシオやセロンはどうだろう?

 と、言うわけでタッチを勧めてみた。

 結果はブイと同じだった。


「うーん、これは俺もやっぱ駄目元と触ってみるべきだよな」

「だからヒタキ君は駄目だってば! 万が一があったらどうするのさ!」


 何と今度は羽交い締めで止められてしまった。


「万が一って、ウシオ、あんた何か知ってるな?」


 間違ってもこのままプロレス技をかけてくれるなよ、と内心ハラハラしながらも肩越しに睨むと珍しく狼狽えた。肯定も同然だ。


「おおっ、なるほど。風の噂で魔お、とととヒタキ様も異世界召喚者と聞き及んでおりますぞ。故に触れてもしも生け贄共のように消えてしまってはこの世界の一大事ですからな!」

「「異世界召喚者!?」」


 驚きにブイとセロンが叫んで俺を凝視する。ああそう言えば話してなかったな。魔王と繋がりそうな情報はなるべく伏せておきたかったのと話す必要性を感じなかったからだが、二人は水臭いとか何とか呟いて何故か拗ねたような目で見てきた。そんな目で見られてもなあ。俺だって命は惜しいから。

 二人を煩わしそうに一瞥するだけにしたドラゴンは尚も言葉を続けた。


「おそらく、先の雷撃で不足していたエネルギーが足りたとすれば、世界各地や新作アニメもまた見放題、ああいえ、向こうの世界での望む地点への転移も可能となっているのではないかと」


 え、なになにじゃあこのスクリーンは俺の破格な雷撃で充電完了したから過去のように使えるかも、と?


 で、不準備な召喚とか転移あるあるな、どこかの海中とか山中とか砂漠とかの危険地帯に出るリスクはなくなって、ピンポイントで日本への安全な異世界転移ができる公算が高い、と!?


 やはりこれは絶対触るべし!


 ウシオを振り解き思わずガッツポーズからのサムズアップまでをしていると、懲りないウシオから今度はぎゅっと右手を握られた。しかも両手で。

 意外にも、駄々を捏ねる幼子のようにむつけた顔をして。


「行かないでよヒタキ君っ。僕は二度とヒタキ君と会えなくなるなんて嫌だよっ」

「ウシオ……」


 ははっ、何だか今だけはこいつがちゃんと年下に思えた。

 勝手に召喚んでおきながら、なんて責めの文句は引っ込んでしまった。


「マスター、今の二度とってどういう意味ですか!?」

「そうです蚊帳の外にしないで下さいよ! ヒタキでもウシオさんでもどちらでも、きちんと説明して下さい!」


 ウシオの訴えにブイもセロンもぎょっとしてこっちに迫ってくる。

 うぐ、そんな必死な形相をされてしまうと、元の世界に帰り辛いな。俺もなるべく重く考えないようにはしてたんだ。

 会えなくなったら寂しいだろうって、そんな気持ちが俺の中にあるのを。

 だが俺は帰らないとならない。

 向こうには大切な家族がいる。


「放せウシオ。何も起こらないかもしれないだろ」

「だけどっ」

「それに、こんな物騒なものを放置もできない。異世界転移できないならできないで、それよりは構築が簡単そうな、魔族の地に転移できるような仕組みに改造されたら大変だろ」


 もし魔王城に転移先が固定されたら大変だ。仮に俺がまた魔王城に戻る羽目になって、魔王討伐だーっと人間達に一気にそこまでワープされたらおちおち昼寝もできなくなる。


「具体的にはどうするつもりなの?」

「使えなくする」

「壊すってこと?」


 いや、壊せるかは知らないからエネルギーすかすかにして動かないようにするつもりだが、ドラゴンはウシオ同様に勘違いしたのか慌てて立ち上がってスクリーンの前に巨体姿に戻ってドスーンと陣取った。


「ヒタキ様でもこれを破壊させるわけにはいきませぬーっ!」


 主張はわかったが、それよりドスーンが効いたドスーンが。

 だって直後にゴゴゴゴゴって地鳴りがし始めた。別に真のラスボスが姿を現したわけじゃない。

 洞窟の強度が限界を超えたんだと悟ったのは天井からの亀裂音とパラパラとくる無数の細かな落下物だ。

 じきに大きな塊も落ちてきて全体的な崩落へと至るだろう。

 何してくれとんじゃあああーっ!

 内心キレる俺だけではなく、もうこの場の全員が異変に気付いていた。


「崩れる前に皆外へ急げ!」


 俺は即座にレトロ通路へと皆を促した。

 しかしドラゴンだけはその場を動かない。無事に逃げてもどうせ討伐されて無駄とか思ってるのか?

 生憎俺は死んでおしまいにはしてやらないよ。どんな方法かは決めてないがやらかした罪は償ってもらう。


「おい何してるんださっさと来い!」

「マスター!?」「ヒタキ!」「ヒタキ君早く!」

「あんたらは先行っててくれ!」


 俺を案じた三人も振り返ったが、俺は叱責染みて言ってやると後は彼らが逃げると信じて背を向けた。

 引き返してきた俺をドラゴンは切なそうに見てくる。


「ヒタキ様、折角のアニメの続きが……っ」

「だあーーーーっ、そんな理由!? だったら尚更ここで死んだら元も子もないだろーに!」


 何なんだこいつは! 悪逆非道な奴かと思いきやエロでオタクで迷惑野郎なだけだったせいか討伐し損ねたどころか、俺は助けようとさえしてしまっている。全く以て調子が狂う。


 あーっ、それに俺自身でスクリーンに触るのを忘れてたしっ!


 皆に触らせて肝心要な自分はやってないとか、はあぁ~、どうしてくれる……っ。


 その上更に逃げ遅れたらどうしてくれるっ。

 まあその時はテレポート魔法使うが…………なら最初から使っとけ自分って今思った。ああもう頭がしっちゃかめっちゃかだ。


「いいから逃げるんだよ!」


 ドラゴンへと駆け寄って拘束魔法で引っ張っていこうとした時だった。


「なっ!? 兄さん!? 一体何し――――マスター危ないっ!!」


 まだ逃げていなかったブイの切迫したような叫びが耳に届いた。近付く誰かの足音も。

 半身を振り返らせる俺の目に、ブイの感情に比例して光を放つ聖剣の眩しいばかりの輝きが入って一瞬視力が奪われ目を細めた。


 あー、聖剣の事すっかり頭になかったよ。


 ブイではない誰かが気付いて拾ったようだが、その誰かは――狂喜に歯茎までを見せて笑うブイ兄だった。関係ないがその顔はちょっとホラーだ。


 一部の光景だけを切り取れば、タイミング良くもあたかもブイ兄が勇者かのような剣の光りっぷり。ブイ兄はこりゃー本気で自分勇者って勘違いしてるかもなあ。


「ハハハハッ! お前ら魔族は一匹残らずブイじゃあなくっ、この真の勇者のオレが討伐してやるぜっ!!」


 あー案の定……。

 ブイは止めようと彼を追いかけ、セロンとウシオもまだ残っていたようで驚愕の面持ちで駆け戻ってくる。

 ブイ兄の矛先は勿論俺……ではなく魔物姿のエロドラゴンへと向いていた。

 きっとウサギ耳でしかと会話を盗み聞いていて俺もウシオも魔族だとは把握しているはずだが、功名心に逸っているブイ兄は言うまでもなく、見た目っ重視っ!

 嗚呼こればかりは仕方がない、この場で最も大物に見える相手を狙ったんだろうからな。

 その野心と言うか強者に怯まない気骨には素直に感心できるが、真面目な話彼が勇者ではなくてホント良かった~。相手するの億劫だもん。


「んのおおおっまた聖剣!?」


 ドラゴンはドラゴンで不意打ちに思い切り動転していて避けるって発想もないようだった。

 正直迷った、どうすべきかを。

 あの光の強さの聖剣を受ければおそらくこいつの命はない。

 当初の思惑通り願ったりだし、いっそ討伐された方が村のためにも――


「何をボサッとしてるんだっ、――っよ!」


 気付けばブイ兄との間に割って入り剣撃回避とドラゴンを蹴り飛ばしていた。あ、加減がっ……。頼むからこれでは死ぬなー?

 切っ先は迫り俺は真剣白羽取りいいいっと気張った。


「いっ……、つっ!」


 バチバチジジジと掌には予想通りの痛さが。同時に俺の反発の雷が聖剣の光と拮抗する。

 は、ははは、やっぱりこの聖剣腹立つ。

 思えば一番初めから……――と、その時だ。

 急激に背中がぬるま湯に浸かったみたいに感じた。


「マスター! スクリーンにっ!」


 へ? スクリーン? ――って、あっ、ブイ兄とやり合ってるうちに知らぬ間に触ってるううう!?

 しかもこれ、転移魔法が発動しているじゃああーりませんか!


 弾かれなかったって事は……俺は有効なのか!


 ブイ兄も画面に呑まれ始めた俺を見て驚愕の眼差しだ。

 一度転移魔法の領域に入ると魔王の絶大な魔力でも抗えないようで、否応なしに引き込まれるのを感じつつ俺はこの隙にとブイ兄を聖剣ごと魔法で弾き飛ばした。無論ブイ兄が死なない程度に加減してだ。


「マスター! 嫌ですっ! マスターッ!!」


 兄と入れ替わるように接近したブイが手を伸ばして俺の手を掴む。

 必死過ぎる彼を見た瞬間、咄嗟に俺も腕を伸ばしていたからこそ届いた手と手だった。


「今引っ張りますからねっ!」


 されど、転移魔法の前では無駄な足掻きだ。俺はもうこの世界には留まれない。感覚と言うか本能がそう確信していた。

 他方、洞窟内部は確実に崩壊を進めている。


「ブイ、引き留めようとしてくれてありがとな! だがあんたは皆と一緒にここから絶対に生きて逃げてくれ、そして立派な勇者になれ! ――最後のマスター命令だ!!」


 言うや俺からブイの手を放した。

 赤と金のオッドアイが悲しげに大きく見開かれる。


「まっ待って下さいマスター、離れるのは嫌ですマスターッ!」


 ブイは諦めずに再度手を伸ばした。

 セロンとウシオも俺の名を叫びながら手を伸ばしてくれたが、彼らも含めてスクリーンから揃って弾かれた。


 ごめんな。バイバイだ。


 予期せぬ別れに胸が痛い。

 この世界から俺の存在が薄れるように視界も薄くなる。

 皆の悲痛な顔が辛い。俺がそうさせたのも。


 ああ、俺。


「俺さっ、楽しかったよっ」


 あんたらが――


「――大好きだっっ」


 最後が俺まで悲しい顔は嫌だった。

 どうせなら笑顔の俺を覚えていてほしかった。

 視界から世界が消える間際、俺の満面の笑みを見た三人はハッとしたように見えた。


 さっきはスクリーンに触れて試すのを忘れていたなんて言ったが、俺は心のどこかでは触れたくないと思っていた。彼らと別れたくないって気持ちがいつの間にか育っていたからだ。


 場合によっては、過ごした時間の長さは関係ないんだな。


 俺の心はとっくにちゃんと、この互いに嘘だらけな仲間達を大切に思っていたんだ。


 我が愛しき異世界よ、さらば。……なんてな。


 ドラゴンがピンポイント帰還が可能かもと言及していたように、俺は元の世界の実家近くの公園に立っていた。

 スケスケ浴衣姿で。

 空は暗くて遅い時間だったおかげか人目はほとんどなかったがブランコにカップルらしき組が居てぎょっとされた。魔法収納に入れていたこっちから着てった服なんかも一緒にその場にあったからマジで助かった。そそくさと着て通報されないうちにソッコー家に帰ったよ。


 浦島太郎状態だったらどうしようと実は結構ドキドキしながらいたが、何の事はなかった。


 元の世界での俺の不在はおよそ半日だった。


 帰りが遅いと家族からはとても心配されていたっけ。


 二つの世界で時間の流れ自体が異なるのか、それとも単に帰還時間を調整できるのか、そこはわからない。


 わかるのは、もう俺は異世界の魔王ではなく一高校生連城ヒタキなんだって現実だ。


 眠い目を擦りつつも俺を心配して起きていてくれた弟妹達に抱き付かれ、ごめんごめんと苦笑して安堵と愛しさと共に頭を撫でてやった。


 少しだけ、もうあのモフモフが恋しいなんて思いながら。






 それから、受験も無事終わり俺は大学生になった。


 半年いやまだ五ヶ月くらいか? ともかくそれくらい通えば大学生活にもだいぶ慣れた。


 約一年前のあの異世界の日々が全部夢だったみたいに何でもない日常を送っている。


 今日もまだ大学は夏休みでたまたまバイトや予定もなく、俺は近くのコンビニからの帰り道を歩いていた。

 近道にと往路同様に近所の公園を突っ切っている途中だ。因みにスケスケ浴衣で帰還した公園だ。

 妹から持たされた可愛いウサギ柄のエコバッグには自分のと弟妹達のスナック菓子がパンパンだ。もっと足を伸ばしてスーパーに行った方が懐には優しいが、早く菓子を買って帰ってやりたかった。


「はあ、あれ本当に夢だった、とか?」


 ブイも、セロンも、ウシオも、他も、何もかもが。

 そんな風に思いたくないのに、俺の中の記憶や感覚は小さな穴から水滴が滲み出してひたひたと落ちていくかのようにどんどん薄れている。


 こっちには当然だが魔法はない。


 故にこっちでの俺にも魔法は使えない。召喚時に強制的に得た知識だけは不思議と消えていなかったが、魔王なんてものから程遠いただの人間だ。ま、単に元の人生に戻っただけなんだよな。


 志望校に入れたし、弟妹達は元気で可愛いし、この生活に不満はない。

 ない……はずなんだと、俺はそう思わなければならない。


 でないと、堪らなくなる。


 仲間に会いたくて。


 皆は、ちゃんと無事だよな?

 一切の情報が得られない以上そうポジティブに思うしか俺にはできない。

 マスターと、そう叫んだブイの顔が未だに脳裏に苦い記憶としてこびり付いている。


 ブイ、あんたは今どうしてる? 虐められてないか? 一人寝は寂しいってメソメソしてないか?


 或いは、俺の言葉に奮起して立派な勇者になって華やかに暮らしているのかもしれない。そうなら幸いだ。


 ああ、添い寝にしても結局果たさないままだった。無責任でごめんな。そう罪悪感に駆られつつ公園内をぼんやりしながら歩いていたのが悪かった。

 道路への出口で誰かと肩がぶつかってしまった。


「あっすいません!」

「いえいえこちらこそ余所見をしていました。申し訳ない」


 相手を見ずに慌てて頭を下げた俺は、返った物腰柔らかそうな声に顔を見るより先に安堵した。ほ、好い人そうで良かった。ヤクザなおじさんとかヤンキーな兄さんだったら最悪だった、と顔を上げた。


「――!?」


 空からの陽光にスキンヘッドが輝いて、その反射光がジャストで目に入って眩しっ。よーく磨いておいでで。頭と首に外国ギャングみたいなデザインのタトゥーが見える。


 ……こっこの見覚えのある強面男性は、手違いスルーされた本当の魔王候補じゃないかあああ!


 何故にこのエンカウンター? 遭遇?


 いちゃもんを付けられ殴られたらどうしようと、俺は思わず

瞠目したまま絶句する。

 すると、対照的に男性は柔らかに表情を緩めた。つまりは優しげににっこりとした。笑うと目がなくなってまるで別人だなー、なんて頭の片隅で思っていたのが悪かったのか、相手は何か重大なものに気付いたように突如ぐわっと両目を見開いて俺の肩を両手でがしりと掴むと、顔をぐんと近付けて真正面から覗き込んでくる。

 俺は当然ビクーッとなったよ。心臓バクバクだよ。


 な、ななな何事? 何か気に障りました!?


 男性は尚も俺を睨んだままわなわなと震えた。くわわっと見開かれた血走った眼に、漫画じゃあるまいし普通この角度まで吊り上がりますーってくらいに斜めった眉。いやもうさ、犯罪級に顔が怖い。怒ってますよねこれ!

 蒼白な俺がただただ彼の出方を窺っていると、相手の様子がまたガラリと変わった。

 今度は目がキラキラして星が散り出した。

 え、え……?


「あなたは……あなたはあの天使様ではありませんかっ!」

「へい……? あっいやっ、はい? 何ですって?」


 意味不明な勘違いをされて困惑しかない。天使呼びされるような神々しさだってない。


「い、いえあの人違いではないですか?」


 男性はふるふると左右に首を振った。あたかも誤魔化しは不要、全てわかっていますとでも言うように。


「いいえ、あなたはワタシの天使様です。あなたに命を救われてから、ワタシの人生は一変しました。こんな見た目ですが、昨日よりも今日、今日よりも明日、自分がより善い人間になれるようにと心掛けています。人生一度きり、なるべく後悔のないように生きたいと思ったのです。それもこれもトラックから身を挺して助けて下さった天使様のおかげです。あなたはまた人に身をやつして救いを与えておられるのですね!」

「え……ええ?」


 無難に俺は愛想笑いを浮かべた。話の内容はよくわからないが更に話を聞けば、彼は悪事からはすっかり足を洗い、現在は真っ当に生きて人生充実していると朗らかに語ってくれた。普通にいい話だった。


 ただ、周りから見れば俺が恫喝でもされているように見えたらしく、誰が通報したのか警官が二人歩道の向こうからやってくるのが見えたところで、余計なトラブルを好まない俺は用事があるからと慌てて話を切り上げた。別れの口上と共に、どうか達者で暮らしてくれと願った。この後職質受けたらごめんなさいとも。


 それにしても人生わからないもんだとしみじみとして、足早に帰路を進みながら何となく空を見上げたら、今さっきまで晴れていたのが嘘のように怪しくなっていた。ついつい気が早いと空に言いたくなる遠雷までが聞こえてくる始末。


「これは降られないうちに早く帰ろう」


 そう言えば魔王だった時は雷を怖いと感じたためしはなかった。遠くの空が光ったのが見えて魔王城を思い出し、少しくすりとした。

 もう二度と会えない面々がまた脳裏を過る。

 我知らず下唇を噛んでぐっと堪えて駆け出した。上空の風で飛んできたのかポツポツと頬に雨粒が落ちてくる。

 雲の流れが速く、家の前に着いた途端に本格的にゲリラ豪雨になった。


「ふう、セーッフ!」


 少し頭と肩が濡れただけで済んだ。一度菓子入りエコバッグを玄関に入れてから、すぐに玄関先の軒下へ取って返して白く筋に見える雨を眺めた。雷も。

 人間時に荒ぶる自然を目にすると、無駄に見ていたくなったりするもんだ。


「ホントすげっ。これじゃ台風だな」


 刹那、近くに雷が落ちたのか、耳を劈くような轟音と同時に視界一面が白くスパーク。


 俺は反射的に目を瞑り、めっちゃびっくりしたあ~と思いながら目を開けたら、何か知らないが目の前に聖剣がいた。


 うん、聖剣が。


 あ? わざわざこっちまで俺に喧嘩売りに来たの? やんのか?


「――って、はああっ!? 何で聖剣が!?」


 白昼堂々何してんの? こんなのすぐに目撃した誰かに「怪奇! 空飛ぶ発光剣!」とかネットにアップされるって。俺にまでとばっちりが及んだらどうしてくれる。

 周囲は変わらず雷光が激しいが、しかし不思議と音はなく、無声映画の中にぽーんと放り込まれた気分だ。

 え……そうだよ音がない、マジで。

 ここは現実なのか? まさかの白昼夢?


 何故なら今も言ったが聖剣がいるからだ。


 地球にはないはずの存在が堂々と。


「…………ふぅ、一旦落ち着こうか俺」


 ベタだが、これが夢ならと頬を抓る。


「痛い……から現実か。ふぅー………………いや何で!?」


 加えて、魔法の気配も濃厚だ。

 さて、どうして俺は魔力を感じ取れるのでしょうか? 実家では恥ずかしながらも試しにはああーっと少年漫画みたいに手を突き出して集中してみたが全然微塵も無理だったよ? しかもそこを弟妹にバッチリ見られて大きな精神的ダメージを負ったよ?


 ならたぶん、ここはもう地球じゃない。


 雷の白い光に包まれた時点で別世界と言うか別次元に転移した。魔法陣光はそれよりも強い雷光に負けて目視できなかったんだろうと、そんな結論に至った。

 とりあえず、正面にいる聖剣をじっと見つめる。

 それは勇者不在でも淡く青白く光っていた。


 ついぞ誰にも言わないままだったが、俺は聖剣を初めて見た時から何となーく感じていたものがある。


 聖剣には勇者選定時以外でも意思があるんじゃないかって。


 間違いなく魔王の俺は嫌われていた。

 剣にとっては主たる勇者が俺に懐いてたから尚更面白くなかったに違いない。ジェラシーだジェラシー。

 そしてここにきて、俺はそうなんだと確信した。

 本当にこの剣には自由意思がある。


『久シイナ、魔王』


 だって話しかけてきた。剣が。


「これは聖剣、あんたの仕業か。俺をこんなどっちとも知れない半端な場所に召喚して、何が目的だよ。俺を倒したいのか? 地球に置いておけばそんな面倒もないだろうに。ああ逆恨みならお断りだ。地球に返してくれ」


 ブブンと剣は小刻みに震えた。それが音の波を発生させるのかは知らないが言語として俺の聴覚に届く仕組みなようだった。にしても機械音声みたいな声だな。


『サカウラミ? 我ハソノヨウニ狭量デハナイ』

「そうか、ならいいが」

『ソレニ、我ノチカラダケデハナイ。魔王、貴様ノチカラダ』

「はい?」

『貴様ノ願望ガ、コチラノ世界ノエネルギート、共鳴シタノダロウ』

「いやしかし俺は魔法を使えないんだが?」

『……ソコハ、勇者ガ毎晩毎晩毎晩毎晩貴様ヲ恋シガッテメソメソト煩ワシイノデ、トリガーヲコチラデ引イタ。貴様ガ強ク望マナケレバ、ケッシテ発動ハシナカッタガナ』

「勇者って、やっぱりブイ達は生きてるんだ? 無事に脱出したんだな!?」

『アア』

「そっか、あ~良かった~~。ずっと気になってたんだよな」


 しかしじゃあ何か、聖剣が敢えて魔王を呼び戻す画策をしたってわけ? たとえそれが勇者のためだとしても、聖なる剣としてそれってどうなんだ?


「いやいやいや、あのさ、魔王がいない方が平和だろ?」


 尤もな俺の指摘に聖剣はうんざりしていた様子が一転し、るんと得意そうに揺れた。

 その後の某聖なる剣の談によれば、魔王が不在では勇者の活躍の場が限られてしまう。世界で悪事を働く魔族を片付ける事も勇者に箔を付けるのは確かだが、やはり勇者としては最終的に魔王と対峙するのが王道、世の常、テンプレート。最大の敵に立ち向かい撃破する姿が最も勇者が勇者として輝く瞬間だろうから、だから魔王がまた必要なんだそう。

 聖剣の存在意義にも関わるとか何とか。まあ、確かにな。


「……とは言え、意気込んでるところ悪いが、俺は平和が一番だと思う」

『貴様ッ、魔王ノクセニ正論ヲヌカスナ! ボケカスガ!』

「ははは口悪いなー。ほのぼの悪役も需要あるぞー」


 聖剣は口煩いタイプなのか。ブイ御愁傷様。


「ところで、向こうではどのくらい時間が経ってるんだ? 以前はそっちで一月半くらい過ごして帰って半日経過だったから、その時と比率を同じように考えると結構時間が経ってると思うんだが? 俺嫌だよ、ヨボヨボなブイと戦うのは」

『双方ノ世界ノ時間経過ニ定マッタ基準ハナイ。ヨッテ以前ノデータハ当テニナラナイダロウ』

「へえ、そうなのか」

『ソウイウワケデ、向コウデハオヨソ一年ガ経過シテイル』

「一年か。意外にも俺の方と同じくらいしか過ぎてないんだな」


 何だそれなら安心だ。

 正直いきなりおっさんになったブイ達に会ったら振る舞い方に悩んだだろうから。


「ならほら、いつまでもこんな中途半端な場所にいるよりはさっさと転移完了と行こうか」


 向こうに行ったらもしかして、また逆召喚の手掛かりを探す羽目になるのかもしれないが、今更地球に戻れそうにもないから諦めた。そもそも聖剣にはその気がないだろうし。


『魔王ヨ、逃ゲラレルトハユメユメ思ワナイ事ダ。精々覚悟シテオケ』

「はん、一つ言っておくと、お望み通り魔王はやってやるが、倒されてはやらないよ。魔力を感じ取れるんなら……クククこの俺もまた魔法が使えるようになってるんだろうしな!」


 わざと挑発するように口の片端をくっと吊り上げた。まさに悪の親玉がしそうな表情だろ?


『……』

「あ、何だよそのビミョーな沈黙! 乗った俺が恥ずかしーだろ!」

『マア行ッテミレバワカル』

「は、どういう意味? ――ってうおお眩しっ……! 目があ~っっ!」


 その反応はとても気になるんですが!?

 だがしかし、聖なる剣はもう何も答えてはくれず、目映い光の本流と共に俺の記念すべき第二回異世界転移は無事完了した。

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