第5話 ウサギとハムスター
「ぐすっ、ぐすぐすっ、マ、マスターは酷いですっ! ぼ、僕は……僕はっ、本気で悩んだんですよ!」
「あー、いや、だから悪かったって。あんたがそこまで思い詰めていたなんて思わなかったんだよ。だから少し落ち着けって、な? 泣くなって、な?」
「も、もう二度と他の従者を入れるなんて、ぐすっ、騙したりしません?」
「しないしない」
ブイをたーっぷり悩ませてから、俺はもういいかと真意を明かした。
その結果がこれだ。
涙目で嘆く彼の後ろの壁には、現在聖剣が立て掛けてある。彼の正面の椅子に腰掛け、さも偉そうに両脚を組む俺は、ぶっちゃけさっきから内心気が気じゃない。
「じ、じゃあずっと僕達二人だけの勇者パーティーでいてくれます?」
「あーそれは無理。俺はさっさと抜けるわ。勇者頑張れよー」
「そ、そんな、マスターッ!」
泣き止みはしたものの、嘆いたブイが叫ぶと同時に聖剣が明るく光った。
魔王の俺にはその光はちと眩しいぜ。地肌にヒリヒリくる。
言うまでもなく力の種類が究極に真逆な聖剣と俺との相性は抜群に悪い。
どこでどうリンクしているのかは知らないが、剣を握っていなくても勇者の強い意思と言うか心と言うか感情一つで聖剣はその秘めたる力を解放するようだ。
だがしかし、その少年漫画みたいな能力発揮が大問題だ。まだブイには制御できていないから所構わず光ってしまう。はあ、集中トレーニングは必須だな。
「ブイ、俺は安眠妨害レベルの眩しい光は苦手なんだ。だからこれ以上感情的になってビカビカその剣を光らせ続けるなら、それごと俺の前から消えてくれ。いや、俺がもうあんたを置いてさっさと出てく」
「――っ」
鋭い言葉は効果
彼は俺の冷たい表情にごめんなさいと消え入る声で肩を竦めた。気持ちが沈んだからか聖剣から光が消える。
今のこの部屋には俺とブイだけだ。
カリフラワー神官長や他のウサギ獣人達はいない。
まあ、出て行ってもらったからいないのは当然だ。
さっき俺からの促しで自分の他のウサギ獣人を嫌々ながらも何とか選ぼうとしたブイは、眉間に深くシワを寄せて同族達の顔をしばらく見つめた。見つめて見つめて見つめ続け……とうとう『マスター、僕には無理です』とさめざめと泣き出した。
そこまでは想定内。
だがしかし『あなたの命令を聞けないこんな不甲斐ない従者を、……っ、ど、どうかお許し下さいっ』と勇者ブイが土下座して感情的になった途端に聖剣が力を放出した。
ポジティブネガティブの別はなく感情強さレベルが一定値を超えるとそれに呼応するんだろう。たぶん血圧200とかではない。たぶん。
想定外にも皆のいる前で急に強く光り始めたもんだから、言うまでもなく一同はぎょっとしてざわついた。どこか近くに魔物が出たのかってさ。いやさ、聖剣は魔物探知器じゃないって。
他方、俺は柄にもなく……はないが兎に角焦った。このままにしておけば俺が偽勇者だって誰かが気付くだろう。何しろ剣は明らかにブイに合わせて反応していたんだから。
『ブイ』
俺は短く呼んで顔だけを上げた彼と真っ直ぐ目を合わせた。彼はいつにない俺の淡白な眼差しに明らかに狼狽えた。
聖剣から光が薄れたのを認めた俺はもう後は何も言わずに彼から視線を外す。
はーーーーっ焦ったーーーーって内心思ってたな。
偽物とバレて袋叩きは勘弁だもん。ま、そうなったら叩かれる前に逃げるが勝ちだけど~☆
『あー、ところでウサギな諸君ら、もう家に帰ってくれて構わない。今更で申し訳ないがこれ以上従者は必要ないからさ。あと、ウサギはもうこいつで間に合ってるから』
『ゆ、勇者様!? しかしそれでは……』
俺はじっと神官長の厚い白眉の下の目(のあるだろう位置)を見つめた。
『俺の仲間は勇者たる俺が決める。ああいや違うな、――旅の仲間は自ずと聖なる導きによって俺の下へと集うだろう!!』
『おおおっなるほど確かに……! わかりました。皆の者、下がりなさい』
へっチョロい~な神官長の言葉にウサギ獣人達はガッカリしたようだが誰も文句を言わず従った。もしも不満があったらカリフラワーでも自棄齧りしておくれ。ブロッコリーでも可。
部屋に残ったブイが戸惑いを浮かべながらも床から立ち上がる。
『あ、あの、マスター、本当に全員返して良かったのですか?』
『なら戻ってもらうか?』
『ダダダダメですっ』
『冗談だよ。最初からその気はなかったからな』
『え? 最初、から……?』
同族達がいなくなってホッとしたようにしていたブイの顔が絶望的になる。俺の寝不足の意趣返しと捉えたかは知らないが、俺の意地悪だとは気付いたようで、彼は赤と金のオッドアイにうりゅ~っと小さな子供が泣くみたいに涙を盛り上がらせた。
聖剣をまた光らせたから、そこで連動を指摘してやったりして自覚させ今に至る。
「――ブイ、そのつもりはなかったんだろうが、もう冗談抜きに嘘パーティーだってバレかねないボカはするなよ? 俺だって我が身が可愛いんだ。念を押すが、もしやらかしたら即刻主従解消でバイバイな」
「わ、わかりました。本当にごめんなさい」
「わかればいいよ。俺ももう意地悪はしないって約束する」
項垂れて足元を見つめていたブイは喜びの表情でぱっと顔を上げる。
「じゃ、じゃあ一緒に眠っても……?」
「どうしてそこ行くん!? はー、馬鹿言うなって」
「で、でも意地悪はしないって……」
「ああん? いつも拒否ってるのは意地悪してるからとでも!? 単に従者の非常識を注意してるだけだ」
「え? 非常識? 自分の主人と同衾するのは当然なのでは?」
「言い方! なあずっと疑問なんだが、どうして、いや何がしたくて夜に俺の部屋に来んの?」
寝首を掻くためか? そうなんだろう? ここは二十文字以内で正直に述べよ。
「折角マスターができたのに独り寝する必要が?」
「は? どういう意味?」
俺がキョトンとするとブイは合点したようにポンと手槌を打った。
「ああそうですよね、失念していました。僕達ウサギ獣人は家族や仲間内なら集団で寝るのが習慣なので、仕える主人ができた時も同じようにその方と一緒に眠るんです」
「へえ、そんな習慣があるのかー。なら俺は適用外で」
「なっ何でですか! マスターは僕が嫌いなんですか?」
「あんたは別に嫌いじゃないが、その剣を持って近付かれるのは生理的に嫌だ」
「生理的に……。で、ですけど目を離して大事な聖剣を盗まれたら一大事ですし」
「別に良いだろう? むしろ好都合」
「え……?」
ハッまずい、人間なら聖剣を嫌ったり雑には扱わない。ひれ伏して崇める。こんな態度だと俺が魔族だってバレるかもしれない……っていや実は既にバレてるのか? 違うのか? 本当に真実はどうなんだ? ええいわからんっ。だからとりあえず誤魔化っす!
「い、いやさあ俺は偽勇者だから、やっぱり自分の物みたいに扱うのは心苦しいんだよ。良心が痛むんだ。だからなるべく傍に置きたくない。わかってくれ」
「そう、ですか……すみません、そこまで考えが及びませんでした。でしたら、――この聖剣を誰かに売り払いましょう!」
は?
「それで僕の物でもなくなります。その上で勇者旅には必要なのでその相手から剣をレンタルしてもらえば問題解決です! マスターも心置きなく振るえますよね!」
レンタル聖剣の勇者とか、
「駄目だろうそれは。
「なるほど! マスターはさすがですね! 僕は色々と不備を見落としていました。じゃあ早速募りましょう!」
「おう頑張れよ。あんたの好きにするといい。俺はどの道抜けるしな」
「マスタ~~!」
「はは、なんてのはまあ冗談だ」
今のところは。
神殿を出てある程度離れたら、俺はさっさとどこかに消えるつもりなのは本当だ。勇者は勇者の、俺は俺の旅路を行くがベスト。今すぐ逃げられないわけでもなかったが、できるだけ穏便に不審を抱かれずにここを去りたい。魔族とバレて追手を差し向けられるのは御免だからな。ま、滞在の最大の理由は前にも述べたが快適だからだけど~。
「ブイ、安心しろって、他の従者は本当に取らないからさ。あとこれは何度も言ってる事だが、もう夜に忍び込んでくるなよ。今度もししたら即刻主従解消な」
「そんなっ」
「従者が主人の安眠を妨げるつもりか?」
「そ、れは……。はい、わかりました。なら今晩はすぐ外の廊下に居る事にします」
「ははははわかってねえ! もう部屋帰れ。夜はあんたの部屋から一歩も出るな。マスター命令なこれ」
「うう……はい」
夕食を共にしてブイとは今後の偽パーティーでの冒険旅についても真面目に話し合っておきたかったんだが、それは延期しよう。笑顔でぶん殴りそうだ。無論聖剣ごとご退室願った。
主従解消だって宣言が効いたのか、その夜ブイは出会ってから初めて忍んで来なかった。
因みに夜が明けたら秒でやってきたからうかうか朝寝坊もできない。朝一で首と胴が離れたら大変だもんっ。
即刻察知して飛び起きた俺は半ギレで教育的指導だよ。朝ごはんの頃にまた来いと、とっとと部屋から追い出した。
はあぁ、あいつ、マジで曲者だ……。俺は頭を抱えた。
強制的に早起きするしかなかったおかげで妙にスッキリした頭の俺は、本日も漏れなく三ツ星の朝食を頬張りながら何故かでっかいハムスター……じゃなかった、眼鏡の若手オメガ(仮)神官の面倒を見ていた。
栗色のふわふわ癖っ毛の彼は俺の毛布を被って食卓とは別の長椅子の隅っこに丸まっている。そうしていると本当にでっかいハムスターみたいだ。
意外にもまだブイは来ていない。朝ごはんの頃にって言ったが彼ならかなり早目に来るかと思ったらそうでもなかった。読めない奴だよ。
「うぅ……」
でっかいハムスター君が苦し気に呻いた。
ハッキリ言って、彼をどうすべきかわからない。
誰も呼ばないでくれと言われたし、だからと言って俺は苦しむ彼を楽にはしてやれない。
だからもどかしくも手を拱くしかできないでいた。
「あのさ、辛くても頑張って何か食べた方がいいと思うぞ。一応二人分の朝食を用意してもらったしさ」
悩んだ末に促してみれば、もそりと毛布が動いた。
美味しそうな匂いにそそられたのか、相手の腹の虫がくぅるるると小さく鳴いた。
「はは、体は正直だな」
「いっいえ勇者様のお食事を減らすなどとんでもございませんっ。恐れ多いですっ。私などに構わずどうぞ食事を続けて下さい」
「いくら俺でも朝からこんなに沢山は入らないって。残したら勿体ないだろ、遠慮するな」
勿体ない精神なのかは知らないが、彼は丸まっていた長椅子の上から毛布のままいそいそと寄ってきた。あ、悪い、ひまわりの種は頼んでなかったな。
程なく、食卓に座った彼が食べ始めたから、俺は少しだけ胸を撫で下ろした。
何がどうしてこうなったのか?
俺は朝早くに起き(ざるを得なかっ)たのもあって、暇だった。時間潰しにもなるからとどうせなら神殿の敷地内を歩いてみようと思いそうした。
神官からは出歩くなとは言われていないから結構自由に動けるんだよ。普通なら勝手にうろつくなって注意されそうなもんだが、寛大と言うか緩いと言うか、或いは勇者特権なのかもな。
で、この国の中央神殿は敷地が結構広くて日本の屋外テーマパークくらいはある。当然庭も充実している。
俺は魔法を使わずに抜けられる無難な逃走経路を見繕うのが目的で、純粋に庭園を散歩したかったわけじゃない。
だから死角になりそうな生垣の裏とかを覗いて回っていたんだが、そのせいで神官の彼に見つかってしまった。
いや、この場合は俺が見つけてしまったと言った方が適切か。
以前初見で思ったように彼は、オメガだった。
そうだよ(仮)じゃなくて本物だったんだ。
しかも、よりにもよってヒートしていた。
発情期ってやつだ。故にこそ、遊歩道から離れた誰も来ないような隅っこまで来て隠れていたんだろう。
蹲って震えていた神官は、気まずい顔で見下ろす俺を涙目な赤い顔で見上げて気の毒なくらいに絶望の表情になった。
髪の毛より少しだけ濃い黒目がちな茶色の瞳が見開かれ、それがまた小動物っぽさを強めている。彼は獣耳も尻尾もない人族、つまり普通の人間なのに不思議なものだよ。
俺には想像もできないが、ヒート中のオメガはその強い衝動を堪えたい場合は相当苦しくて大変らしい。その手のフェロモンを俺は全く感じないので何とも思わないがオメガバースな人々は影響を受けるから、彼のように隠れていないと要らん相手を誘ってしまい貞操が危うい時もあるようだ。
うーん、と悩んでから俺は一応問い掛けてみた。
『あのさ、お宅さ、このままだとまずいのか? それ、ヒートだよな?』
ぎこちなくもこくりと彼は頷いた。
『そうか。オメガって周りは知ってんの?』
これにもこくりと頷く。
『なら自分の部屋に籠ってないと駄目な期間なのに、どうして出仕してんの?』
『ほ、本当はヒートになる期間ではなかったのですが、夜に聖堂で祈りを捧げていたら、何故だかなってしまいまして……。近くに強いアルファがいたのかもしれません。私は人よりも敏感なもので、それでその方のフェロモンの影響を……』
はい、謎は全て解けた!
アルファって、絶対ブイだろ。
言い付け通りに部屋で大人しくしていたと思ってたら、別のとこで迷惑かけてたのか。アルファフェロモン垂れ流しながら夜にほっつき歩くとか不品行だな。
『へえ、そうか。何か御免なハムスター君』
『ハムスター?』
『あ、いや、気にするな。それじゃ今日はこれからどうするんだ?』
『宿舎に帰るにも、他の神官に見つかると少々まずいので、夜までここに隠れています。幸いここはほとんど誰も通りませんし通ったとしても花壇の花の匂いが強いですから平気かと。勇者様も影響を受ける前にもう行って下さい』
『へ? いや俺は――』
そんな時だ。
『お、なんかいい匂いがする。花の匂いも交じってるけどその匂いじゃないよなこれ?』
『あっ、オメガのヒートの匂いじゃないか?』
『……そうかも。どうする? もしかしてセロンか? でも確かまだヒート期間じゃないはずだよな』
『なら別の新手のオメガがいるのかも。どこか近くだな。探してみようぜ。隔離してやらないと』
『ああ……って、お前興奮して羽目外すなよ? 神殿を放逐されるからな?』
『わ、わかってるって。そっちこそな!』
他の神官か或いは常駐の兵士だろう声が向こうから近付いてきた。姿はまだ見ていないからどちらかはわからない。
『ど、どうしよう……同僚には見つかりたくないのに』
『ならもしかして、お宅がセロン?』
『はい……』
セロンと言う名のオメガ神官は明らかに恐怖のようなものでガタガタと震えた。大貴族や王族に見初められたり金持ちがパトロンだったりするオメガは栄華を極めるが、彼のように神殿などで地道に働いて暮らしている社会人オメガもいる。性格もあるだろうが身分なんかも関係するようだ。とは言え神殿にいるなら外の暮らしよりは安心だろう。神官達なら弁えているだろうし。
しかし彼の不安を拭えない様子を見るに、密かに嫌な目にも遭ってきたのかもしれない。
これがアルファだと下剋上や成り上がりもよくあって、元奴隷が一国の覇権を握ったりもするようだから、オメガみたいな苦労とは無縁だろうな。
……そう考えると、謙虚なブイは珍しいアルファだよな。
『ええと、知り合いだけど見つからない方がいいんだ?』
『で、できれば、ですが……ヒート姿を見られるのは気まずいので』
あー、だろうな。好きでもない相手にも変な気分になったりなられたりするんだろ? 俺なら羞恥で死ねる。
『なああんた、俺を信じるか? 助けてやる』
『え……?』
意外な申し出だったのか、一瞬ヒートも忘れたように彼は眼鏡の奥の両目をぱちくりと瞬いた。
何も知らない彼からすれば俺も向こうの奴らと同じに見えているんだろう、困惑の色が強くなる。だがしかし、説明していたら確実に見つかる。
鼻が利くのか勘が良いのか偶然か、向こうからの声が一段と近くなったせいか我に返ったようだが、藁にも縋る思いだったのかこくりと頷いた。
そんなわけで俺は少し屈んでひょいっと彼を肩に担ぎ、颯爽とひとっ走りして自分の部屋に連れてきたってわけ。これでも一応は魔王体だからこそ難なくできた芸当だ。
床に下ろして長椅子を勧めたが、彼はフェロモンの影響無しな俺を怪訝そうにしていたからフェロモンの効かない体質だと教えると目を丸くしたっけ。
そして、タイミング良くもその時ちょうど盛大に俺のお腹が鳴った。
あの後すぐにベルを鳴らして朝食を用意してもらって今に至る。
料理を運んでくる相手に悟られないようにと、セロン神官は少しでもフェロモンが拡がるのを抑えようと毛布を被った。それでも嗅覚の鋭い者は気付くだろうとは言っていた。
だから敢えて料理は部屋の入口で受け取った。運び手は何も気付かなかったようで良かったよ。
俺が片付けのベルを鳴らすまであとは誰も来ないだろう。一先ずは落ち着いた。
時々強まるらしいヒートの波で苦しそうにはしながらも、白パンを手に取ってパクついている彼の姿にやっぱりでっかいハムスターっぽいなと俺が勝手に和んでいると、廊下の方から騒々しい足音が近付いてきた。
トントントントンとノック音もかなり切迫している。誰だ?
おいこらハムスター君が緊張に固まっちゃったじゃないか。
「マスター、起きていますか? いますよね、マスター!」
あー、誰かと思えばブイか。すっかり忘れてた。
「何だよ騒がしいな。今鍵開ける」
セロン神官がいるから念のため鍵を掛けておいたんだよな。その彼はビク付いて部屋の扉を見つめている。
「ま、まさか外にいるのってアルファですか? あのオレンジ髪のウサギ獣人の」
「え? ブイ、俺の従者がアルファだってわかってたんだ?」
「それはもう初見でわかりました。どうして勇者様は全然平気なのか不思議に思ったものです』
「俺? 何で?」
「だって勇者様も見るからにオメガっぽいですし。クールビューティーなお顔立ちです」
「あーはは、そうなんだ? それはどうも。両親に感謝だな」
褒められているんだろうが喜んでいいのか複雑だ。それに綺麗な男ってのはブイみたいなのを言うんだと俺は思う。黙って立っていれば綺麗かつカリスマ的に目を惹く男だ。
「ですが、颯爽と私を救って下さった時の勇者様はとても格好良くて、実はアルファなのかもと思いました。だからこそ同じアルファと平気で居られるのかと」
「へえ、なるほど。だが生憎俺は違う」
「はい。フェロモンの影響を受けないレア体質と聞いて納得です。私は相手のフェロモンに鋭敏なので羨ましいですよ。今だって、従者の方は興奮状態なのか扉越しでもフェロモンが強烈で辛くて……うぅっ」
彼は少し落ち着いていたはずの顔をまた真っ赤にした。
「あぁっ……くっ、うぅ」
とか体を丸めて呼吸を荒くして変な声まで出す始末。
「おっおいしっかりしろ、今すぐ換気してやるからな!」
「お、おねっ、がぃ……しま、す」
「えっと悪いブイ、もうちょっとそこで待っててくれ!」
部屋の外からは「えっえっ何事ですかマスター!? 一体誰と何をしているんですか!?」とやや焦ったような声がする。
「いいから待ってろ!」
「ああっ……はあっ!」
セロン神官が身悶えして、座っていた食卓の椅子が傾いた。
「はっ、危ないっハムハムー!」
咄嗟に手を伸ばして何とか椅子の背を支えたが、ハムハムセロンと至近距離で見つめ合う形になった。
あたかも俺が彼に迫っているかのような体勢で。
更には最悪のタイミングで心配性というよりは堪え性のなかったブイが鍵開けして扉をぶち破るかのようにして入ってきた。
「はっ? おい何勝手に入ってきてんだよ!」
「なっ……ななな何をなさっているんですかマスターっ!? 顔を洗っていたら勇者が若い神官を担いで走る姿を見かけた、との証言を耳にしてまさか見間違いだろうとは思いつつも急いで駆け付けて正解でしたよーっっ」
彼はいつ何時も忘れずに抱えてくる聖剣をこっちに、正確にはセロン神官を威嚇するようにその切っ先を突き付けた。そうだよ聖剣は未だに抜き身なんだ。物騒にもな。
彼の感情に従って聖剣がブゥンと鳴って白く輝き出す。
「はー!? ちょっと待て落ち着けブイ! 聖剣っ聖剣~~っ」
「酷いですっ僕という従者がありながらーーーーっ!」
感情爆発と共にアルファフェロモンも増幅されたらしく、
「はうぅんっ……!」
発情期ハムハムが余計に悶え、衝動に耐えるためなのか俺にぎゅっと抱き付いてきた。
「ごっ、ごめん、なさ……っ」
「ああいや大丈夫。ハムハムこそ深呼吸して落ち着け、な?」
「は、はい」
「これは案の定ヒートオメガの……! 不埒なオスがっマスターから直ちに離れろ!」
いやいやいや。そう言ってやるなよ、可哀想だろ。
セロン神官のフェロモンがさも不快かのように顔をしかめ、珍しくも怒った顔のブイが近付いてくる。聖剣はより輝きを増した。幸いセロン神官はヒートのおかげで聖剣どころではなさそうだ。他の奴らに騒ぎを悟られる前にどうにか収拾をつける必要がある。
「止まれブイ」
従者は止まらない。
「落ち着けブイ」
従者は鎮まらない。
「聞いているのかブイ、おいブイ!」
従者は怒り心頭だ。折角大きくて長い耳を持っているのに聞く耳を持っていない。
白い聖なる湯気さえ漂わせる聖剣からは殺意をビシバシ感じる。これ以上強力になると俺も自衛のために魔法を展開させざるを得なくなる。肌ヒリどころじゃ済まないからな。
俺の魔法は魔族が使う魔法――魔族魔法だ。
聖剣の間の時のように普通の兵士の前ならともかく、セロンの――神官のこんなすぐ傍で使えば俺が魔族だって一発で露見する。
最悪だ。魔王とまではわからなくても魔族ってだけで当然のようにこの人間領じゃ殺される。魔物討伐を生業とする冒険者が蔓延っていて弱い魔物に限って言うなら討伐は茶飯事だ。
神殿なんてそもそも冒険者達の先頭に立って魔族殲滅を使命と掲げている組織。非常にまずい。
いっそ殺られる前に殺る? 目撃者消す?
いやいやいやいや、それ以前に最終決戦がこんな間抜けでいいのか? よくない。っつーか最終決戦なんぞして堪るか。
俺は平穏無事に地球に帰りたいんだっ!
「止まれブイ、冷静になれっ! ――添い寝してやるからっ!!」
ふ、と聖剣は蝋燭の火が消えるように光を失いカランと床に落とされた。
ブイのフェロモン放出も治まったからか、セロン神官も激しく悶えるのを止めて俺に抱き付いていた腕からようやく力を抜いた。とは言えまだヒートなのには違いないが。
「はいっ、マスターのお望みのままにっ!」
ブイはブイで嬉しそうに俺の前に跪く。いやその必要ある?
セロン神官はセロン神官で、ブイから距離を取るようにそっと俺から離れた。今はお疲れなのか聖剣を粗末に扱っても憤慨する気配もなかった。
「はー。良かったとりあえず。二人共大人しく席に着いてくれ。どうせだから三人で食べよう。量は十分だしな。その上でお互いに誤解のないようにきちんと話をしたい」
俺もドッと疲れた心地で椅子に座り直した。ブイとセロン神官は異論なく素直に従ってくれたから良かったよ。だが俺だけ割を食った感がするのは何でだろうな。
騒ぎを神殿の他の誰にも悟られなかったのは幸いだった。
そうは言ってもヒートはヒート。
同じ食卓にアルファがいるせいでセロン神官はいちいち小さく身悶えしていた。えーと、朝ごはん一緒は酷だった?
そんな彼はやっぱり職業柄なのか単なる片付けオカン気質が出ただけなのか、床に放置されたままだった聖剣に気付くと、
「ああっ何てことですか!」
激おこハムハムになって席を立つ。
聖剣を拾い上げて近くのテーブルに置こうとした。
「あ……え? 何故……」
「どうかしたのか、セロン神官?」
俺もブイも聖剣を手に持ったまま困惑して突っ立つ彼に目を向ける。
「ヒートが、治まっていきます」
「え? ヒートがって……あ、もしや聖剣パワーの一種とか?」
「ハッキリそうだとはまだわかりませんが、私の中の抗えない熱が冷めていきます。あ、あの勇者様、この剣をもう少し触っていても宜しいでしょうか?」
俺はちらりとブイを見る。本来の所有者は彼だ。
「どうぞ、マスターのお望みのままに」
状況を説明してセロン神官への誤解は解けたからか、ブイはもう彼を敵視する素振りもなく、むしろオメガの立場への理解を示しヒート原因になって申し訳なさそうにもした。もっと駄々を捏ねるようにいちゃもんを付けるかもしれないと思っていただけに感心だ。そんなブイからの了承に俺は小さく頷いた。
「いいよ、ヒートが落ち着くまでそうしているといい」
ブイよりもセロン神官が握っている方が安心だしな。
「ありがとうございます!」
ホッとしたように頭を下げるセロン神官は、しばらく手にした聖剣を興味深そうに眺めた。
たださ、食卓でも剣を膝の上に乗せていたから、俺は極力椅子を彼とは反対方向へと寄せたよ。
そして、俺達皆が朝食を何事もなく終えた頃、セロン神官は何か意を決したようにして一人椅子から立ち上がった。
俺とブイがキョトンとして見つめると、眼鏡の奥の瞳をキラリとさせて彼は大きく息を吸う。
「勇者様お願いします! ――是非私を勇者パーティーに加えて下さい!」
「…………か、考えてみるよ」
「マスター!?」
え、神官入れるとか無理ぃー……なんて、でっかいハムスター君が落ち込みそうな事は何か言えなかった。
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