第10話 フルーツミックス(3)

 移動教室の行動班が決まった後、二年七組は秘かに荒れていた。


台風の目は、愛美だった。愛美が、七組の人気者男子の二人をかっさらっていったせいだった。サッカー部の二人。小佐田おさだたくと遠野岳斗がくと。ベビーフェイスのイケメンではないが、男っぽい二人で、女子生徒には魅力的な面白さを持っている。


 そんな二人を巡って、女子は慎重になっていた。すなわち、誰が彼らを誘うのか。下手をうてば、作り始めている七組女子の友情にひびが入る。抜け駆けはタブーである。ところが愛美は、そんな女子の暗黙の了解のようなものを見事にすり抜け――というよりも利用して、自分の行動班のメンバーだけは先に決めていた。


 愛美は、この件に関しても抜かりが無かった。


 仕掛けはすでに、先週から始まっていた。尾瀬教諭と、ちょっとした意見交換をしていたのだ。もし好きな者同士で組むことになったらどうするか、ということについて、愛美は、尾瀬教諭の意見を覗った。愛美は、二年七組が、〈好きな者同士〉で班を決めようとするクラスだろうと、その時にはすでに見抜いていた。


 愛美が意見を覗った時、尾瀬教諭は、班の男女比に制限をかけるつもりはなかった。しかし愛美はそこで、尾瀬教諭に意見したのだ。ただ好きな者同士で組んでしまったら、交友関係は広がらない。移動教室の目的を考えれば、男だけ、女だけという班分けじゃないほうが良いのではないか、と。尾瀬教諭は愛美の意見を受け、「確かにそうだな」と答えた。


 あとは、愛美にとっては簡単だった。


 まずは、遠野岳斗を呼び出して話をした。


 岳斗という人物の事を、愛美は少し知っていた。彼は、可愛い女の子に目が無い。いわゆる、面食いだということを。そしてもう一つ――岳斗と小佐田拓は、相性が良い。いつも仲良く一緒にいる二人、というわけでは無いが、二人でいる時には、本当に信頼している者同士の作り出す、特有の空気感を醸し出している。そのあたりを、愛美はしっかりと見ていた。


 そこで愛美は、岳斗にお願いをしたのだ。


 もし行動班が好きな者同士になったら、一緒に組もう。小佐田君も誘っておいて、と。


 かくして愛美の、岳斗と小佐田拓の関係に関する見立ては正しかった。岳斗は拓を誘い、拓は岳斗と組むことを早々に決めた。先週末時点ではすでに、愛美の班に岳斗と拓が入ることは、決まっていたのだ。


 女子の方はというと、これも愛美は真っ先に、行動班を共にする友人を決めていた。


 牧田望という、サッカー部のマネージャーだ。狸っぽい愛嬌のある女の子で、拓に想いを寄せている。そのせいで、この新しい七組で発言力を持っている女子の一人――宇川夏果と一方的な対立関係になってしまった。宇川夏果と小佐田拓は、一年の時も同じクラスで、夏果は拓のことを好きなのだ。


 すでにクラスには、夏果が幅を利かせるグループができはじめていて、最初望も、その中に入りかけていたが、〈好きな人被り〉のために、そのグループにもいずらくなっていた。かといって、他のグループはというと、望を受け入れるだけの余裕も無かった。折角できた友達やそのグループには、よほど気が合うだとか、そういった特別なことが無い限り、新人が歓迎されることは無い。小さいコミュニティーの話だが、そのコミュニティーはすでに立派な社会性を持っていて、コミュニティー内の結束が強くなればなるほど、外部からそこに入るのは難しくなる。


その結果、望の立場は早速七組で、危ういものになっていた。


 望がクラス内での平穏を得るには、〈夏果と拓の仲を応援する〉という踏み絵を踏まなければならない、そういう所まで追い詰められていた。


 望はそこで、藁にも縋る思いで、愛美に近づいた。


 佐藤愛美の噂は、望もよく知っていた。〈モテる〉という一点の強みで、校内ヒエラルキーのトップ集団にいる一人である。彼氏を奪うだとか、浮気の相手になるだとか、そういった女子界隈での禁忌を犯しながらも、誰も彼女の椅子を奪えない。


 愛美に近づくのは、望にとっては大きな賭けだった。愛美は敵も多い。つるんだら、何を言われるかわからない。けれど、夏果やその派閥のために、拓への思いを封印するのも辛い。悩んだ末に、望は、拓への想いの方を選んだ。


 望が愛美にその話を打ち明けたのは、愛美が正孝にボールをぶつけることになる日の前日の放課後であった。その告白を受けて愛美は、岳斗に件の話を持ち掛けたのだ。




 行動班決めのホームルームが終わり、その日の昼休み、望は愛美を昼食に誘った。教室にいるのは怖すぎた。それに、一人でいるのも。そんな望をよそに、望よりも背の低い愛美は、堂々としていた。


 夏果とその一派の、女子ならわかる敵意の視線を受けながら、愛美はいつも通りの笑顔を崩さなかった。それどころか、いつもよりも二割増し位で、その笑顔は輝いていた。


 購買で弁当を買い、そのまま屋上に上り、二人はそこで、学校の横を流れる黒目川を見下ろすベンチに座った。愛美は、「これ好きなんだよねぇ」と言いながら、無邪気にエビチリ弁当の蓋を開けた。

怖い、と望は思った。そして、強い、と。


「マナちゃん、あの……ありがとね」


 望はそう言った。


 しかし正直な所、もし愛美が拓の事を狙っていたら、自分は百に一つも勝ち目はないだろうと、そういう新しい悩みの種が、望の中に芽生えていた。


 ふふっと、愛美は笑った。


 吸い込まれる様な大きい目。同性でも、引きずり込まれそうになる笑顔。大人っぽいような、子供っぽいような、そんな相反する二つの性質が同居している笑顔。佐藤愛美が〈魔女〉とあだ名される理由を、望は恐怖をもって体感した。


 それにしても、どうして愛美は、私の話を聞いてくれたのだろうと、今更ながら、望は疑問に思った。望は、クラス内における自分の立ち位置くらいは、把握していた。派閥を形成する夏果などの女子とは違う。そして当然、夏果と正面切って張り合えるような、存在感のある愛美のような女子とも。


 愛美に関して言えば、友人作りやグループ作りの苦労とは無縁の女の子である。なにしろ、ハブかれるということが、無い。それは男子が、愛美のことを放っておかないからだ。女子人気が悪かろうが、表立って愛美を輪から外そうとすれば、それをやろうとした方が、結局損をする。


 七組の女子の中心人物は夏果の他に二人いる。バスケ部の金森明日香とダンス部の立野緑だ。皆、夏果寄りではあるが、しかし愛美は、彼女たちのグループから孤立するわけでもなく、かといってその中にどっぷり浸かるわけでもない、不思議なポジションにいる。夏果と愛美の相性はわからないが、金森明日香と愛美は、昼食はよく、男子を交えて一緒に食べている。


 それなのに、今度のことで、その関係がどうなるかわからない。


 そんなリスクを負ってまで、どうして愛美は私を助けたのか。


 望には、全くわからなかった。


 まさか、愛美も拓のことが――。


 最悪の可能性が望の思考をぐるぐる回って、再び意識の上に浮上する。するとついに望は、質問せずにはいられなくなかった。


「マナちゃんも、拓のこと、本当は好きなの?」


 直球の質問。


 愛美は、ぱくりとオレンジ色のソースに包まれた海老を口に放り込んだ。それから、流し目で望を見やると、右手の人差し指で、唇に微かについたソースを取り、ちゅっと、嘗め取った。


 肯定も否定もしない、もったいぶった様な濃厚な笑み。


 望は、泣きそうになってしまう。


「望、トランプ好き?」


「え、トランプ?」


「私、ポーカー好きなんだ」


「ポーカー?」


 何の事か、望は戸惑いながら聞き返す。


 愛美は、望の困惑も構わず話を続けた。


「ちゃんとチップかけるヤツね」


「え、マナちゃん、ギャンブラー!?」


「うんうん、ギャンブラー。最近やってないけど、特にクローズドポーカーがね。ブラフに見せかけて、いきなりフォーカードで総取りみたいな、あの瞬間って堪らないんだよ」


「そうなの!? でも私、全然わからないよ。ポーカーは知ってるけど、そんな本格的なの」


 今度やろうよ、と愛美はそう言って、白飯を口に運んだ。


 望は、うん、と応えた。


結局答えをはぐらかされた望だったが、もう一度同じことを――愛美の拓に対する気持ちを訊く勇気は、望には出せなかった。代わりに望は、違う質問をした。


「でも、幸谷君は意外だったな。私喋ったこと無いんだけど、どんな人?」


「幸谷君?」


 愛美は一度そう聞き返すと、水色の空を見上げた。


 行動班の最後の一枠。


その空けておいた一枠に愛美が入れたのは、他でもない、幸谷正孝だった。偶然ボールをぶつけてしまった男の子。その場限りの偶然にして終わらせることもできたけれど、もうちょっとこの偶然を手元に置いておきたい気がする、そんな男子。


「詩人、かな?」


 愛美は、首を傾げながら応えた。


「え、シジン? どういうこと?」


「詩を書くのよ、幸谷君って」


「〈シ〉って、ポエムの〈詩〉?」


「そうそう。急に閃くんだって。才能だよね」


「へぇ、そうなんだ」


 望はとりあえず感心して見せたが、結局、愛美がどうして幸谷正孝というその男子を班に加えたのかも、解らずじまいだった。

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