第2話 サービスエース(2)
呼び出しは体育館裏なんて、いつの時代の趣味よと、
昼食でも一緒に食べながら、なんて最初は言われたが、冗談じゃないと愛美はそう思って、四時間目が終わったらすぐ会いましょうと、相手にメッセージを返した。
体育棟と弓道場に挟まれた路地裏のような場所。
まだ誰も来ていない。
愛美は奥へと歩いた。奥の方にバレーボールが転がされたまま放置されていたので、何となく気になったのだった。なにしろ愛美は、中学時代は三年生の夏まで、バレーボール部に(部内では一番小柄だったが)所属していたのだ。
しかし、愛美がボールを拾おうとする前に、愛美の後ろから、女子生徒が三人現れた。
「佐藤さん?」
声をかけられて、愛美はゆっくり振り返った。
実のところ愛美は、その三人とはほとんど初対面である。
それなのに呼び出された。別に、先輩後輩という間柄でもない。ただの同級生で、部も違う。互いにヤンキーでもないから、派閥争いをしているわけでもない。
しかし愛美はそれでも、自分がなぜ呼び出されたのかを知っていた。
「来てくれてありがとう」
三人のうち一番背が高く、そして一番見栄えの良い女子が言った。
涼し気な頬に大きな目、体のバランスも良いその女子生徒の名前は、
なるほどこの子なら、私に一言言ってやろうって気になるのもわかると愛美は桃園を評価した。
その後ろに控える二人については、愛美は一瞥したのみで、歯牙にもかけなかった。
一人は背が低く、筋肉質なふくらはぎの脚をがに股気味に開いて立っている。それに少し猫背。胸だけは少し目立つけど、それだけ。もう一人の方は――宮村文菜。テニス部の二年生だ。手足が長くてほっそり、というよりは、少し病的な感じの華奢さ。決して「美しい」と男が思うような細さではないし、本人もそれを自覚しているのだろう。だから、私の前に出てこないで、桃園さんの後ろに隠れている。
情けない子ね――。
と、愛美は思った。
何しろ今自分がここに呼び出されているのは、この子に関する件なのだ。
愛美はしかし、そんな心の内を少しも表情には出さず、にこりと笑って、三人と対峙した。
「話すの、初めてだよね」
愛美は三人に――というよりはほとんど桃園春香に対して言った。コロコロとして、明るい、ソプラノの声。そうして愛美は、春香が相槌を打つのも待たずに続けた。
「私に何か、話?」
何の事かさっぱりわからないわ、という風な態度で、けろっと言う。
愛美は、本当はもう、重々承知である。春香の後ろで、宮村文菜がきゅっと唇を結び、数合わせのようなもう一人の女子が、怒った三角の目でこっちを見てくる。
愛美は、思わず、口元に嘲笑を浮かべそうになる。
後ろから睨んでくるだけで、実際には、何を言う勇気もなくせに、と。
「三井君と、二人で遊んだのって、本当なの?」
桃園さんが訊いてくる。
本当なの? なんて、しっかり裏はとれてるくせに。
三井裕一――宮村文菜の彼氏だ。いや、彼氏だった、というのが正しい。この春休み、私は彼と二人で遊びに行き、つまり、デートに行き、そしてそこで、祐一からキスをせがまれた。
その、キスをするかしないか、という場面を見られたかどうかはわからないが、二人でいるところを同級生に目撃された。その目撃情報が、文菜の所にまで回ってきたのだろう。彼女が祐一を問い詰めたのかどうか、そのあたりはわからないが、結論から言えば、二人は別れた。
「うん。三井君から聞いたの?」
私の口から三井の名が出ると、流石に文菜も、悔しそうな目を私に向けて来た。
「――この子、三井君と付き合ってたんだよ。それ、知ってた?」
桃園さんの鋭い声。
少し、ゾクリとしてしまう。大声なだけの恫喝とは違う、練られた張りのある声。言葉には感情だけでなく、知性も感じられる。
「え、そうだったの!?」
私は、男子の自慢に対する時と同じようなオーバーリアクションですっとぼける。
知ってたわよ、なんて本当の事言うわけないじゃない。
この会話を録音して、あとでばらまくとか、そう脅されるという可能性くらい、私が考えていないとでも思ったのだろうか。私はそんなに間抜けではない。
桃園さんが唇を噛む。
彼女にはもうこれ以上、私がとぼけている限りは、突っ込んだことを訊くことも、私の行動をとやかく言う事もできない。もちろん私は、手の内を見せる気なんてない。
本当は少し、桃園さんとは本音でぶつかってみたい気もするけれど。
もし彼女が、捨て身で斬りかかって来たら――自分の大怪我を恐れずに私に、啖呵を切るだとかしてきたら、私も少し考えよう。もしそうなったら、それはちょっと、面白い気がする。
あるいは文菜が、私にインファイトを挑んでくるのなら。
でもその当の本人文菜は、桃園さんの陰にいる。
「ごめん、知らなった! ごめんね!」
私がそう言って謝ると、ついに、文菜が泣き出してしまった。
桃園さんが、文菜を抱き寄せて慰める。
そうして、キっと、鋭い眼差しを私に突き刺してくる。
「この子、三井君の事ずっと好きだったんだよ? クリスマスに、勇気を出して告白して、付き合ったばっかりだったのに」
それは、ご愁傷様。
でもそんな事、私には関係がない。同情を引こうとするのなら、相手を間違えている。
それにまず桃園さん、その子はたぶん、選ぶ男を間違えたのよ。
あるいは、男を選んだのがそもそもの間違いか。
私は別に、女の子が好きなわけじゃないけど、同性の信用のならなさと同じくらい、男子だって信用ならないのを知っている。
クリスマス、良い思いができたんだからいいじゃない。
それに、友達に庇って、励ましてもらえて。
それが桃園さんなら、おつりがくるでしょう。
――むしろ、羨ましいくらい……。
「ごめんね、でも私、本当に知らなかったの。もし知ってたら……」
私が言うと、文菜が、涙ながらに言った。
「もういいっ!」
そう言って文菜は、桃園さんを振り切って、そして私に背を向けて、校舎の方へと駆けていった。早歩きとも小走りともつかない早さ。
追いつける早さ。
私の事を性悪女なんて思ってるかもしれないけど、文菜さん、貴方も大概したたかなのよ。
桃園さんともう一人の大根足の取り巻きは、案の定、彼女を追いかけて行ってしまった。
「ごめんなさい、私、そんなつもり無かったの!」
三人の背中に、私は声をかける。
それは私の勝利宣言。
心の中でガッツポーズ。
別に誇ることでもないけど、こういう、しょうのない戦いは、勝つに限る。くだらない勝利でもそれがあれば少しは、つまらない戦いをしてしまったことの慰めにもなる。
それでも私は、たぶん、まだ気が立っているのだろう。
さっきは拾い損ねたバレーボールを、今度こそ掴んで胸の前に持ち上げた。
手垢と摩擦の熱で薄黒く汚れたバレーボール。
だけど空気は、しっかり入っている。
本当にこいつは、思い切り叩いてほしそうな形と張りをしている。
愛美はにやりとほくそ笑み、よし、と重心を落とした。
これはきっと、丸善の本棚に檸檬の爆弾を置いてくるというような、そんな類の衝動と同じなのだ。梶井基次郎は檸檬を本棚に置いて丸善を木っ端みじんにする幻想を見た。私は、バレーボールをここで炸裂させて、体育館もろともこの学校を木っ端みじんにしてやろう。
ひゅっ、と左手でバレーボールを宙に放る。
タンタンタン、トン! そんなリズムで飛び上がる。
ぎゅん、と身体がしなる。
時間が止まる。
現役の頃でもこんなに上手くいったことは稀だった、そんな一撃が繰り出せるのがわかる。
バチン!
強烈な当たり。
サービスエース――誰も絶対に、これは取れない!
スカートが翻える。
――しかしそこへ、間の悪い男子生徒が一人、ひょこっと、何の因果か、体育棟の、何があるわけでもないその物陰から半歩、姿を現した。
愛美の放ったバレーボールは、レーザービームのように真っすぐ、そしてまた、勢いのためにぶれながら、男子生徒の横っ面へと、突き刺さる様にぶつかった。
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