最凶生物ヒロインは臆病勇者を放っておけない ~おやつ充実の共存ほのぼの生活をめざします!~

弥生ちえ

第1話 いざ魔王の元へ! まぁ、魔王不在だけどね


 ただの人では到底着かない、魔獣が跋扈する樹海の奥。


 森深層部の緑が途切れた先に赤褐色の大地が続き、忽然と大地が裂けたと錯覚する峡谷が口を開く。底も見えず、冥府への入り口を思わせる不気味さが漂う峡谷は、事実、生物に害為す瘴気溜まりとなっていた。


 そこが『聖女』と呼ばれるわたしの故郷だ。


 昼尚暗く、触れるもの全てがゴツゴツしていた。たまに触れる温度の有るモノや柔らかなモノは全て食料だった。谷底の至る所から、こんこんと湧き出る黒い瘴気につつまれた闇の世界。まれに生物が環境に順応して変異すれば強い力を手に入れて、峡谷から出て行く。


 かれらは『魔獣』と呼ばれた。


 そこが世界のごく一部で、さらにゴルディア峡谷と呼ばれる場所だと知ったのは、そこを離れてずっと時間を於いてから。


「勇者様、聖女様、ここが魔獣共が這い出る悪名高きゴルディア峡谷です!」


 連戦の傷跡が付いた金属鎧をガチャリと鳴らし、小隊長が揚々と告げる。


「おぉ!」「ついに人類の悲願が……」などと、まだ成し遂げてもいない討伐任務の成功を確信したざわめきが、わたしと勇者テリーの背後に続く騎士たちの間に広がって行く。長年の魔獣との戦いに終止符を打つべく、かれらを統べる『魔王』の居るゴルディア峡谷へ、ついに辿り着いた――……着いてしまった。


 これまで、この峡谷を目にすることが出来たのは、数人の手練れだけだった。とは言え、彼らも『魔王』を目にして逃げ帰るのがやっと。戦力と言える小隊規模の50人もの戦力を保持したまま到達したのは、王国始まって以来の快挙だった。


 まぁ、今はどこを探しても魔王はいないんだけど……。こまったなぁ。


 成し遂げたかのような快哉を上げる騎士らを横目に、白けた表情で、ぽりぽりと頬を掻くのはわたしだ。


 勇者なんてお話の中だけのものだと思ってたのに、本当に強いんだもん。わたし直々の邪魔も効かないなんて、もぉ、どうしたらいいの!?


 焦る気持ちを隠そうとして、白い法衣の裾に沿わせた手をぎゅっと握りしめる。すると、強く握り込みすぎて微かに震える拳は、すぐにふわりと温かな手に包み込まれた。


「ガルシア、大丈夫だよ。俺が護るから」

「テリー……」


 隣で、幼い頃から変わらない暖かな笑顔を向けて来るのはテリーだ。彼は黄金に輝く瞳を優しく細め、腰までのまばゆい銀の髪を一つに束ねて靡かせている。胸当てと小手だけの部分鎧を付け、黒のレザージャケットに包まれた鍛え上げられた体躯は、獰猛で警戒心の強い肉食獣のような精悍さを漂わせる。――実際は、10年の付き合いにもかかわらず、わたしの正体に気付かない迂闊で可愛いヒトだけど。


 安心させるように柔らかく握られた手は、ひたすらわたしを気遣う優しい想いにあふれている。けれど、わたしはそれを素直に受け入れるわけにはいかない。と云うか、テリーの見当違いな心配に、脱力のあまり浮かぶ乾いた笑みを押し殺すため、唇を嚙み締めて眉間にしわを寄せてみた。


「ガルシア!? もしかして魔王の恐ろしい気配を感じ取ったりしてる? それとも動物から何か聞いたの?」


 鼻梁の通った、涼し気な目元の美男子顔を、困惑もあらわに歪める。そればかりか、整った顔をこれでもかと近付けて、必死に表情筋と戦うわたしの顔をのぞき込もうとする――けど、これはまずい!


 違うのよ! 怖いんじゃないのぉぉぉ! 『聖女』のわたしが『魔王』だなんて、どう誤魔化そうかあせって緊張してるだけなんだってば。そんなに見られたらぼろが出ちゃうからやめて――――!!


 真っ直ぐにこちらを見つめる、思い遣りに満ちた視線が居た堪れなくて、わたしは顔を背けて足元に深く抉れた峡谷に向ける。そうすれば自ずと『わたし』が生まれた暗い谷底が目に入る。



 そしてわたしは――――漆黒に包まれた峡谷の底での、かつての日々を思い起こした。

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