端書き
◇
――大正十二年九月一日、午前十一時五十八分。
私はこの時を、夏休みの帰省から戻ったばかりの、東京・清水坂にある下宿の自室で迎えた。
荷物の片付けをしていた私は、突き上げるような激しい揺れに、
関東大震災である。
後の百年に言い継がれるであろうこの大惨事の渦中にあっても、人間の本能とは不思議なもので、生き抜くために最も有用なものを無意識に選んだと思われる。文机に隠れる時も、下宿を飛び出す時も、行き場をなくした人々が混迷を極める焼け野原を彷徨う時も、私は後生大事に一冊のノートを抱えていたのである。
かれこれ二年、創作のネタ帳として使っているものだ。聞きかじった興味深い話を
さて、下宿を焼け出された私は、とある人物を頼る事となった。
――
当時私は作家を目指し、原稿を書いてはあちこちの出版社に持ち込んでいたのだが、その中で唯一、私に好印象を持ってくれた文芸誌の記者である。
「困った事があったら連絡して」
と渡された名刺をノートに挟んでおいたのが、この時大いに役立った。
生活全てに困窮した挙句、名刺の裏に記載された彼女の自宅と思われる住所を訪ねたのだが、私は心の底から素っ頓狂な声を上げる事となった。
震災の被害のほとんどなかった
彼女が、日本有数の大財閥『蘆屋財閥』のご令嬢と知ったのは、その時である。
その大豪邸の一室に書生として、私は居候する事になったのだが、かといって身分安泰になれた訳ではなかった。三州の実家から毎日のように、帰郷を促す電報が届くのである。
蘆屋家のご当主である彼女の父君は忙しく、家に帰る事は滅多にない。母君も既に亡くなっており、仕事のある彼女が留守の時は、住み込みのお手伝いさんに取り次ぎをしてもらうのだが、それでも体裁が悪く思うほどだった。
「まあ、今の東京じゃ、ご両親が心配なさるのも無理はないわ」
これまで生きてきた中で、私は彼女ほどの美貌の女性を見た事がない。
年齢は二十代半ばの妙齢だろう。逆卵形の輪郭に配置された少し大ぶりの目鼻立ちは日本人離れしていて、銀幕で見ても違和感ないほど。艶のある黒髪をフワリとカールさせた髪型がよく似合う。その上背が高く、欧米の先進的な衣装を着こなすから、社交界でも注目される存在らしい。当然、縁談は引きも切らず、だがそれが嫌で、彼女は出版社などという俗っぽい場に逃げているのだそうだ。
海外生活の長い帰国子女でもあり、当時としては斬新な感覚の持ち主でもあった。そういう思想からだろう、人も
それはさておき。
かくいう私も、三州という田舎ではあるが、
そして彼女と同じように、縁談を迫られる身でもあった。
しかし、私は土管屋よりももっとなりたい職業があった。作家である。そのために、師範学校へ行きたいと
だが一向に芽は出ず、そこへこの震災である。東京の惨状を知った両親の、『帰れ』の矢の催促に従わなければ、学費を打ち切られる恐れすらあった。
事情を知る蘆屋いすゞは、自身に重ねてか、私に同情的だった。
「そうね、お父様に相談してみるわ」
と言われた何日か後。打って変わって、私の執筆活動を応援する電報が届き、私は目を丸くした。
「あの……両親に、何と?」
尋ねても、彼女はウインクして見せただけだった。
後で知ったところによると、実家の土管工場に蘆屋財閥から融資の申し出があったらしい。それは私が作家としての地位を築いてから知った事だが、彼女は何も語らなかった。
――さて、私と蘆屋いすゞ女史との縁は、このようなものである。
そして、彼女の担当する文芸誌に、この事件を題材にしたミステリィ小説を連載するに当たり、筆者として私の名が挙がった成り行きも、ご理解いただけたと思う。
そんな私が、主人公である彼と初めて会ったのは、一連の事件が終わり、数ヶ月の執筆を経て、いざ連載が始まるとなった頃の事であった。
東京市の北の端、滝野川の邸宅に私を迎えた彼は、蘆屋女史に聞いた通りの人物だった。
「私を小説に、それも主人公として登場させるというのに、話を聞きに来るのが原稿が仕上がった後というのは、
手入れされた
偏屈な怠け者――蘆屋女史の評である。
彼は蘆屋いすゞと対照的に、日本人男性としてもかなり小柄で見劣りする上、童顔でお世辞にも美男と言えない顔つきをしていた。そこに七三に撫で付けた髪と口髭が、取って付けたようで似合わない。英国紳士の
――この貧相な男が、安倍晴明を始祖とする陰陽師宗家の子孫であるとは驚きだ。
とはいえ、あの事件の成り行きを既に知っていたため、彼の超人的な観察力と洞察力には疑う余地がなかった。
常人離れしたその能力を理解されない――いや、単に説明するのが面倒なため、彼は家柄を言い訳に『神通力』と押し通している。明治以降、陰陽師の職は廃止され、まだ三十手前の彼は、陰陽道の『お』の字も知らないようだが。
この人を喰ったような
土御門保憲は、本業は「歌人」と称しているらしい。家柄の七光りで、一度だけ歌集を出したのだが、全く売れなかった程度の才能である。その歌集を出版した際の担当が、蘆屋女史だったのだ。
もっとも、欧米仕込みの歯に衣着せぬ物言いが、多くの作家を潰してしまったため、彼女は編集の職を外され、現在「記者」という立場に落ち着いている。
記者というのは顔の広さが財産である。財閥令嬢であり社交界に顔の利く立場が、彼女の記者としての仕事に大いに役立っていた。
それと同時に、その顔の広さから、様々な相談事を持ち掛けられる事も多いようだ。「文芸誌の記者」という、社交界に住む人々から見れば俗っぽい職業のため、厄介事を押し付けても大丈夫だろうと思われたのかもしれない。実際、蘆屋いすゞの大らかな姉御肌は、頼りたくなる雰囲気を醸していた。
そして彼女は、歌人と称するこの小男が、歌などよりも探偵としての才覚を有している事に気付いていた。
そんな理由で、彼女は相談事を持ち掛けられる度に、土御門保憲の元へと持ち込むのである。
一方、歌人と称している土御門保憲は、それを快く思っていなかった。「私は探偵ではない」と毎回断ろうとするのだが、彼には大きな弱点があった。
――紅茶である。
英国に留学中、紅茶の魅力に
それをタネに、蘆屋いすゞは彼に厄介事を押し付けるのである――日本での紅茶の輸入権を一手に引き受ける、蘆屋財閥の立場を利用して。
まるで馬鹿馬鹿しい漫才のような関係だが、この二人が幾つもの難事件を解決しているのだから、縁とは不思議なものである。
さて、私はこうしてこの奇妙な探偵と知り合ったのであるが、私が滝乃川の土御門邸に持ち込んだ風呂敷包みには、既に連載用の原稿が包まれていた。
その内容を土御門探偵が確認するのを横目に、私は彼に供された紅茶を口にした……なるほど、目を見張るばかりに香り立つ豊かな味わいである。
原稿から目を上げティーカップを揺らす彼は、咲き誇る秋桜を眺めながら、だが憂鬱そうに目を細めた。
「事件を解決するのが名探偵であるのならば、事件が終わるまで惨劇を止められなかった無能者は、果たして名探偵と呼べるのだろうか」
その言葉に私は驚いた。どこか超然とした雰囲気のある彼の口から、このようにネガティブな言葉が出るとは思わなかったのだ。
それほどまでに、これから記す事件は、余りに異常で、余りに残酷である。
幸いにもこれが好評を博して、私の作家としての道が拓けた訳だが、私としても、とても手柄と誇れる気持ちにはなれない、そんな事件だ。
この事件の真相が新聞記事になる事はなく、世間に周知されたのは、あくまで私の「創作」という形としてであった。とある権力筋が絡んだために、報道が規制されたからだ。
私がこの事件を知ったのも、事件が全て片付いた後。出版社の一室で、蘆屋記者から内容を聞いた時には、血の気の引くような、頭のクラクラするような不快感を覚えた。
それでも小説として形にしたのは、この事件の被害者たちが闇に葬られるのはやるせないという気持ちが大きかったからである。
そのような事情のため、被害者の遺族、そして加害者の一族への配慮として、登場人物等の名称は架空のものに変更してある事、そして、当時の連載原稿に、昭和二十八年現在の感覚で加筆修正を行っている事を、ご承知置きいただきたい。
それでは、因習深い山奥の寒村で起こった、世にも壮絶な事件のあらましに、お付き合いいただこう。
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