僵屍きょうし、その中でも最上位の妖魔たる屍尢しおうである麗麗れいれいにとって、暗闇は恐れるものでもなければ、忌避すべきものでもない。世界の全てが闇の中に沈んでしまった今でも、麗麗の視界は昼間と変わらず開けている。


 ──取り繕ってはいるけれど、廃墟感が抜けていないわね。


 黒雲こくうんの案内で敷地の中を進んだ麗麗は、しばらく歩いた先に現れた屋敷へ踏み込みながら、さり気なく周囲を観察していた。


 灯りらしい灯りは、黒雲が手にした紙燭の灯りしかない。常人の目ならば、何も見えない闇の中を進んでいるも同然だろう。


 ──翠熙すいきなら、暗視術を使っていなくても、ある程度は見えているのかもしれないけども。


 元々は何某なにがしかの別宅か何かだったのだろう。打ち捨てられた邸宅に勝手に住み着き、急ごしらえでそれっぽく取り繕いました、というあらが隠し切れていなかった。


 道すがら釉釉ゆうゆうからは『夜間にしか門扉が開かない』という話も聞いている。その理由は『それっぽい雰囲気を醸すため』というよりも、『明るい時間帯にこの場所に来られると粗が目立つから』、という方が強そうだ。


 ──まだを始めて間もないからなのか、あるいはそういう部分には金を回したくなくてケチってるのか。


 どちらにしろ、その辺りにこだわらない人間は大抵小物だ。頭が切れる大物ほど、そういう細かい部分の作り込みには余念がないと、王宮で悪女をやっていた麗麗は身にしみて知っている。


「それでは娘娘ニャンニャン、こちらへどうぞ」


 そんなことを考えた瞬間、黒雲が不意に足を止めた。黒雲にならって足を止めれば、傍らの壁に室へ続く扉が口を開けている。向こうからぼんやりと光がこぼれていることから察するに、室の中には明かりが灯されているのだろう。


「中でお待ち下さい。宗師様がおいでになられます」

「分かりました」


 うやうやしく頭を下げる黒雲にひとつ頷き、麗麗はゆっくりと室の中へ足を踏み入れた。その後ろを翠熙も進む。どうやら黒雲は室の中へは踏み込まず、廊下から麗麗達の動きを見張っているらしい。


 ──普通の人って、この暗さだとどれくらい見えているものなのかしら?


 黒雲の視線はいまだに外から麗麗達へ注がれている。常人ならば気付かないのだろうが、相手が完全に油断しているせいで麗麗には黒雲の挙動が丸分かりだった。


 つまりこの暗さでも、黒雲には麗麗達の挙動が見えているということだ。もしかしたら訪れる人間の懐事情を探る他に、刺史や術師のような人間が紛れ込んでいないか警戒にあたっているのかもしれない。


 ──それにしては、随分とズボラというか、小物というかって感じもあるんだけども……


「娘娘」


 様々な戸惑いから、麗麗の動きが鈍る。


 そんな麗麗の内心を正確に読んでいるのだろう。不意に距離を詰めた翠熙が、スッと流れるように麗麗の手を取る。


「こちらに長椅子がございます。お立ちになっていらっしゃるよりも、腰を落ち着けた方が安全でしょう」

「え、ええ……」


 麗麗が長椅子の存在に気付いていることは、もちろん翠熙だって知っているはずだ。それでも麗麗が反応しようとしない理由に気付いた翠熙は、麗麗の手を長椅子の背に導くと、反対の手を麗麗の肩に添え、従者として不審に思われない距離感で麗麗を長椅子に座らせる。


 ──助かったわ。


 もしかしたら『普通の人』は長椅子の存在に気付けないのかもしれないが、今の翠熙の役柄は『貴人の女性に従う従者』だ。おあつらえ向きに翠熙の腰には立派なこしらえの剣が刺さっていることだし、護衛官を兼ねる人間ならば常人よりも感覚が鋭敏であっても違和感は抱かれないのかもしれない。


 麗麗が翠熙に視線を向けると、翠熙も真っ直ぐに麗麗の瞳を見つめていた。麗麗と視線が絡んだことに気付いた翠熙は、瞳ににじむ感情だけで『気にするな』と麗麗に返す。


 翠熙は麗麗を椅子に座らせると、自分は椅子の傍らに立って控えた。そんな二人の様子を呼吸数回分観察してから、スッと黒雲は背後から消える。どうやら観察は終わったらしい。


 ──あ。そういうば『麗麗様』への相談内容を決めていなかったわね。


 グルリと首を巡らせて室の中を観察しながら、麗麗は今更そこを決めていなかったことに気付いた。


 さすがに『ただ会いたかったから』だけでは理由が薄いだろう。具体的に『会いたかった理由』……すなわち『相談事』がなければ、こんな夜分にこんな怪しい所まで良い所の奥方が足を運んでくるとは思えない。


 ──にしても、ほんっと色々と雑ね。


 そんなことを考えながらも、麗麗は己の目に映る光景に思わず呆れを顔に広げていた。


 元々この部屋はくりやの傍らにある貯蔵庫だったのかもしれない。ガランとした部屋の中に置かれた調度らしい調度は、麗麗が腰を下ろした長椅子しかなかった。


 入口に対して奥側に当たる一面に薄い布を垂らして、空間をふたつに仕切っていているらしい。その薄布の向こう、少し奥まった場所で松明が燃やされているらしく、こちらの部屋は真っ暗だが薄布の向こうはぼんやりと薄明るい。窓はないが、風の動きがある。恐らく布で仕切られた向こう側に通用口があるのだろう。


 ──一般人なら闇に萎縮して気付かないだろうけれど。これ、明るい時間帯に見たら、大した空間じゃないってすぐにバレちゃうわね。


 天井に釘で打ち付けられた薄布は、どこぞで拾い集めたものなのか随分とボロボロだった。壁も床も薄汚れていて、『紅の邪仙女』の御所を名乗るには随分としみったれている。停滞した空気もどこかカビ臭い。麗麗に評定させるならば、この時点で『不可』だ。


「不可だな」


 不意に麗麗にだけ拾える大きさで翠熙が呟いた。どこまで見えているのかは分からないが、どうやら翠熙も麗麗と同じ評に至ったらしい。


 ──とはいえ、あれだけ傾倒する信者を得ているんだから、それなりのはあるってことよね。


 麗麗は小さく顎を引いて翠熙に同意を返しながらも、スッと背筋を正す。麗麗の様子に常に気を張り巡らせている翠熙にとっては、それだけで十分だったのだろう。コクリと頷いた翠熙も凛と張り詰めた視線を薄布の向こうへ向ける。


 その瞬間、垂らされた薄布が微かに揺れた。小さな足音が麗麗の耳を叩き、ユラリと薄布の上を影が躍る。フワリとかぐわしい香りが部屋の中に漂い、貴人の到来を周囲に知らしめた。


 ──蘭香。


 その花のような香に、麗麗はスッと瞳をすがめる。


 りん王宮の紅雲閣こううんかくで麗麗が……というよりも、麗麗に仕えていた人間達が『麗麗のために』と言って好んで焚いたのも、今漂っているものと同じ蘭香だった。ここにいる『こう麗麗』は、やはり随分と芸が細かい。


 ──というよりも、『紅麗麗といえば蘭香』っていうのは、どこまで常識として浸透しているのかしら?


『紅麗麗』という存在への入念な作り込みと、場の作り込みの杜撰ずさんさ。その落差に麗麗はどこか違和感を覚える。


 だがその部分を深く考えるよりも、今は薄布の向こうに姿を現した『紅麗麗』に集中するべきだろう。


「今宵、私を訪ねてやってきたというのは、お前ね?」


 密やかに麗麗が気を引き締めた瞬間、薄布の向こうから女の声が響いた。傲慢な響きを多分に含んだ声はキンッと甲高い。声の主は恐らく、まだ少女の域を出ていない年若い娘だろう。


 ──『ワガママお嬢様』って感じは確かに王宮を牛耳ってた女主っぽさはあるけれど、残念ながら『紅の邪仙女』を名乗るには貫禄が足りないんじゃないかしら?


 ついでに『元珀鳳山はくほうざんしゅう家の一番弟子』を語るには気品が足りない。やはり評価は『不可』のままで良さそうだ。


「わたくしで相違ございません、紅麗麗様」


 そんな内心を綺麗に押し隠し、長椅子から腰を上げた麗麗は優雅に薄布の向こうへこうべを垂れた。そんな麗麗の動きに従い、傍らに控えた翠熙も頭を下げる。


「突然の来訪であったにも関わらず、こうして御尊顔を拝せましたことを嬉しく思います」

「御託はいいわ」


 影がフワリと揺れる。どうやら麗麗の言葉を打ち払うように片手を振ったらしい。シャラリと微かに響いた音は、身につけた装飾品が揺れた音だろうか。


「お前達は何を望んでここへ来たの? 布施を積むならば聞いてやらないこともないわ」

「そのことなのですが……」


 麗麗は薄布越しの相手にも分かるように小首を傾げてみせた。向こう側からこちらがどの程度見えているかは分からないが、たとえ見えていなかったとしても多少の動きは衣擦れの音で伝わるはずだ。


「不躾ではございますが、貴女様は本当に紅麗麗様なのでございますか?」

「は?」

「わたくし、初めて紅麗麗様のお話を伺った時からずっと、紅麗麗様に憧れておりましたの」


 相手の気配と反応を慎重にはかりながら、麗麗は優雅な口調を崩さず言葉を続ける。


 無邪気で、世間知らずで、無自覚に傲慢な若奥様を装ったまま。邪気を潜めた老獪な元悪女は、相手の懐に切り込むべく、計算し尽くした言葉を紡ぐ。


「憧れの御方にならば、布施でも何でもいくらでも積めるけれど、今のままでは証が何ひとつとしてないじゃない?」

「なっ……! 何を勝手なことを!」

「お許しください、宗師様」


 麗麗の言葉に相手は明らかに気分を害したようだった。


 だが相手が本格的に声を荒げるよりも早く、翠熙が一歩前へ踏み出し、麗麗に代わって頭を下げる。


「我が主が抱えている問題は、誰にも知られてはならない重要案件でございます。万が一、紅麗麗を語る偽者に知られ、広く世間に公言されてしまえば、我が主は一族諸共揃って首を吊らなければなりません」


 そのようの美しさが、響きだけで伝わるかのような声だった。落ち着いた翠熙の声音に、相手が無意識のうちにほぅ、と感嘆の息をついたのが気配で分かる。


「先程の主の言葉は、その不安の裏返しでございます。どうか斟酌しんしゃくをお願い致しく」

「え……えぇ……」


 ──ちょっとぉー? 『紅の邪仙女』はその程度で籠絡ろうらくされたりしませんけどぉー?


『確かに翠熙のこういう声って、邪気に巻かれた人間の浄化に効果覿面てきめんだったけどさぁー?』と麗麗は内心だけで愚痴をこぼす。


 とはいえ、翠熙の助けはありがたい。元より翠熙ならばうまく合わせてくれるだろうと折り込み済みのふっかけ方ではあったのだが。


「お前達が無礼な口を叩いた理由は分かったわ。では、これでどう?」


 翠熙の声に含まれた邪気祓いの響きで毒気を抜かれたのか、相手は実にあっさりと麗麗の言い分を認めた。その素直さに麗麗は思わず外套の下で眉を跳ね上げる。


 だが麗麗が何か行動を起こすよりも、薄布の合わせ目からスッと腕が伸びる方が早かった。


「見えるかしら? わたくしが皇帝から贈られた耳飾りよ。家の紋が入った紅玉の耳環。わたくしに憧れていたと言うならば、知っているのではなくって?」


 薄布の合わせ目から紅のたもとが覗き、さらにその中から痩せ細った腕が伸びる。


 その手のひらには、確かに耳飾りが載せられていた。麗麗の目には今の距離からでもそれが分かるが、ただの人にこの状況で判別せよというのは不可能な話だろう。


 ──少し、探らせてもらおうかしら。


「近くに寄って、拝見させていただても?」

「いいわよ」


 麗麗が願うと、これにも相手はあっさりと許可を出した。少々軽率が過ぎるのではないだろうか。


 ──どうにも色々と違和感が転がり出てきたわね。


 麗麗はゆっくりとした歩みで薄布の前まで進むと、差し出された手元にそっと顔を寄せた。


 琳王宮で『紅の邪仙女』を演じていた頃の麗麗は、好んで赤を纏っていた。小物も赤や金を重用していて、おかげで麗麗の周囲はいつだって煌びやかだった。


 だが実を言うと、麗麗個人の趣味としては、赤も金も煌びやかな物もそこまで好きなわけではない。あくまで『悪女』を思わせる色使いを意識していたらそうなった、というだけで。


 ──おかげで最終的には、『あれ? 私、色の暴力で自分自身を虐めるんじゃない?』って考えることが多々あったわね。


 まあ、そんな麗麗の内心に気付いていた人間は、恐らくいなかったはずだが。


 そんな感じで麗麗の内心はともかく、『紅』は紅麗麗の象徴色として人々の間に浸透している。


 何をつけても華やかな『紅麗麗の装飾品』の中でも、特に民に知られているのが『李家の鳳凰紋入りの紅玉耳環』だろう。何せ時の皇帝が麗麗にたぶらかされた事実を証明するような代物なのだから。


 ──まぁ、あまりにも趣味が合わなさすぎて、おおやけの場に姿を現す時にしかつけてなかったんだけども。


 今となっては懐かしささえ覚える記憶を転がしながら、麗麗は差し出された耳飾りをしげしげと観察した。


 そしてすぐにスッと目をすがめる。


 ──分かりやすい偽物ね。それよりも気になるのは……


 耳飾りは耳飾りだが、使われている石は紅玉ではないし、恐らく金地の部分も金に似せた紛い物だ。書き入れられた鳳凰紋もかなり怪しい。真昼の日差しの下で差し出されれば、おそらく先程までいた飯店の利用者達だって騙せないに違いない。


 だから麗麗が気になったのは、その部分ではない。


 ──この耳飾り、ものすごい邪気を放ってる。


 差し出された耳飾りは、明らかに邪気を纏っていた。ここまでの強さだと、呪詛道具のたぐいに近いのかもしれない。術者が術を媒介するために身に付けるにしては、帯びた力が陰気かつ強すぎる。こんな物を身に着けていては当人の身が持たない。


 麗麗は次いでその耳飾りを載せた手や、その手の先にある装束へ目を走らせる。


 不健康に痩せ細った腕は、まるで死体が動いているかのようだった。装束は紅で揃えられているようだが、見える範囲だけでもほつれが目立つ。お世辞にも質が良いとは言えない。


 ──これは予定を早めた方がいいかしら?


 相手がこの部屋に踏み込んできた瞬間にこの邪気に気付けなかったのは、麗麗の落ち度だ。


 僵屍である麗麗は、自身が妖魔の陰気を帯びているせいで、どうにも生前より陰気や邪気に鈍い。翠熙が初手で反応を示さなかったのは、恐らく麗麗の出方を計っていたからだ。あるいは、今の翠熙にとっては麗麗以外のことはどうでも良くて、今もあくまで麗麗の我が儘に付き合っているだけだから、自ら積極的に事件を解決するつもりはないのか。


 ──今晩は偵察だけのつもりだったけれど……


 翠熙の声に含まれた邪気祓いを受けて大人しくなったということは、今目の前にいる娘は妖魔や死者の類ではなく、れっきとした人間なのだろう。もしもヒトでなかったとしたら、あの瞬間にすでに化けの皮が剥がれ落ちているはずだ。


 ──これは放っておくと、死者が出る。


 心を決めた麗麗は、チラリと翠熙に視線を向けると軽く手を振った。祝家の修行生だった頃から使っている合図に、翠熙が小さく溜め息をつく。


「ねぇ、もういい? 十分見たでしょう?」


 手元をのぞき込んだまま反応を示さない麗麗にじれたのだろう。薄布の向こうにいる娘が苛立った声を上げる。


「ええ、ありがとう」


 その声に、麗麗は朗らかに答えた。


 同時に耳飾りを差し出していた手を掴み、グイッと自分の方へ引く。


「キャアッ!!」

「見せてくれた御礼に、貴女をそこから解放してあげる」


 転がり出てきた娘の耳元で囁いた声は、はたして娘に聞こえていたのだろうか。


 麗麗は空いていた左手を拳の形に固めると、手心を加えつつ娘の鳩尾みぞおちを打ち抜いた。不意打ちに加えて、そもそも武術の心得などないであろう少女は、抵抗らしい抵抗もできないままクタリと麗麗の腕の中にくずおれる。


 その瞬間、ダンッという鈍い音が響いた。翠熙が足のひと鳴らしで敷地を囲うように結界を展開したのだということが、霊気の揺らぎで分かる。


 さらに翠熙は腰から剣を抜くと前へ踏み込んだ。翠熙が何に対して剣を抜いたのか察した麗麗は、娘を抱えたままその場に伏せる。


 そんな麗麗の頭上を、仙剣『琅玕ろうかん』は鋭く薙いでいった。キンキンッと鋭く金属音が響いた後には、微かなうめき声とともにドサドサと重たいものが倒れる音が続く。娘の入場よりも早くから控えていた男二人が倒された音だろう。


「翠熙、ひとまずこっちの浄化をお願い」


 翠熙が片付けた男達の状態を確かめることもなく、麗麗は娘を抱え上げると先程まで自身が腰掛けていた長椅子に寝かせた。同時に娘の左耳に残っていた耳飾りをむしり取り、娘の手からこぼれ落ちた耳飾り諸共床に投げ捨て、思いっきり足を振り下ろして粉々に踏み砕く。


 そんな麗麗の実に雑な処理に、琅玕を抜いたままの翠熙が呆れたような声を上げた。


「そんなに適当な壊し方で大丈夫なのか?」

「術式を物理的に壊しておけば、とりあえず使えなくはなるでしょ? そっちの浄化が済んだら、このにも浄化の札を貼ってあげて。私じゃできないから」


 麗麗の物言いにさらに翠熙は溜め息をこぼしたが、それ以上は文句もなく袂から札を抜いてくれた。粉々に砕かれた耳飾りの残骸と少女に向かって翠熙が浄化札をなげうち軽く結印すれば、それだけで部屋に充満していた邪気が消えていく。


 ──やっぱり、まだまだ小さな女の子じゃない。


 改めて寝椅子に寝かせた少女に視線を落とせば、やはり麗麗の推測通り、そこにいたのは十代前半かといった年頃の少女だった。


 髪を結い上げ襦裙に身を包み、装飾品も身に付けているが、肌も髪も艶がなく、明らかに栄養状態が悪い。貧民の娘を買い上げるかさらってきて、紅麗麗役を押し付けていたのだろう。あるいは考えたくはないが、『布施』として誰かに献上させた娘を呪具の耳飾りで操っていたのか。


 ──この子が主犯だとは思えない。黒幕は別にいるってことね。


 麗麗は目元に険を宿すと翠熙を振り返った。垂らされた薄布ごと斬り伏せた男達の状態を確かめていた翠熙は、麗麗の視線を受けて体ごと麗麗に向き直る。


「ねぇ翠熙、いつの間に敷地を囲う結界なんて仕込んでいたの?」


 ここを根城にしていた人間達が異変に気付いたのだろう。バタバタと騒がしくなった気配が右往左往しているのが分かる。


 その気配を探りながら、麗麗はニヤリと翠熙に笑いかけた。対する翠熙は氷のような無表情に呆れとも諦めともつかない感情をわずかに混ぜると、小さく溜め息を重ねる。


「万が一お前が暴れ始めても対処できるようにと、釉釉と黒雲が揉めている間に、門柱に細工をしておいた」

「ありがとう、さすが翠熙ね」

「徒労に終われば良かったんだがな」


 翠熙はヒュオッと琅玕を一振りすると視線を室の外へ向ける。その仕草だけで翠熙の意図を察した麗麗は慌てて口を開いた。


「翠熙! 分かってるとは思うけど……」

「『珀鳳山祝家の弟子たるもの、殺生は己の命を守る時に限るべし』だろう? 先程の二人も殺してはいない」

「良かった!」


 麗麗は笑いかけるとグッグッと両腕の筋を伸ばした。


 今更翠熙との間に役割分担や打ち合わせは必要ない。自分達はそれこそ修行生時代から、こうしていくつもの事件を解決に導いてきたのだから。


 その事実だけは、立場が『紅の邪仙女』と『救国の仙君』になっても変わらない。


「それじゃ一丁、本物の悪女の何たるかを教えてやるとしますか!」


 麗麗のその言葉を合図に、麗麗と翠熙はタンッとそれぞれ反対方向へ向かって床を蹴った。

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