気の合う二人(2)
足早に歩み始めたイリーナの後方では、黒の祭服に身を包んだノルトエフが軽く腰を曲げ、青褪めた様子の副団長に耳打ちで指示を出し始めていた。
「何が起きても対応できるよう部下に厳命を。騎士の方にもお願いします」
「は、はい」
小柄でふくよかな副団長が数人の部下と共に静かに場を去る。その背からイリーナへと視線を移し、ノルトエフは静かに溜息を吐いた。あれは指示ではないと嘆きながら。
(それでも、しないよりはマシ、か)
具体性のない指示だとノルトエフもわかっていた。だが何が起こるかわからない以上、そう言う他ない。少なくとも覚悟はできるはずだと自己肯定に努める。
ノルトエフは俯き気味になっていた顔を上げた。後ろで束ねた金の髪が揺れる。その動きを白い
(『肩を落とすな。胸を張って前を向け。貴族は常にそうあらねばならん』か。まさかここで父から言われた言葉を思い出すことになるとはな)
ノルトエフ・グッドスピードは貴族である。
隣国イスタルテ共和国で商家から成り上がった準男爵家の妾腹として生を受けた彼は、その賢さから家督争いの火種にならないようにと幼少の頃にアリアトス聖教国に預けられた。それからはただ
そして遂に、長時間広範囲に【
しかしそんな優秀な優男も、今は予想外の事態に嫌な汗を掻くばかりだった。
内乱が一応の終結を迎え、新たな教皇選任後初の祭事。選任とは名ばかりの祭り上げで、祭事というのも飽くまで名目上のことではあるが、ともかく騒ぎが起こるとすればここだろうとノルトエフは思っていた。
だが騒ぎを起こすのが教皇自身だとは夢にも思っていなかった。
(パフォーマンスにしてもやりすぎだ。猊下は何を考えているんだ)
ゲイロードがいるからこそ、どうにか一枚岩でいる小派閥連合。そう易々とゲイロードが暗殺されることはないと信じてはいるが、万が一ということもある。
旗頭を失えば泥沼化するのは目に見えている。野心の肥大化、敵対派閥の再燃、他国の介入。考えれば考えるほど汗が冷たくなる。
(頼むぞ小娘……!)
ノルトエフはイリーナがゲイロードの企みを止めることを強く願った。
だが──。
「イリーナ!」
ノルトエフは目を剥き叫んだ。ゲイロードのすぐ側まで歩み寄っていたイリーナが、あろうことかゲイロードに殴り飛ばされたからだ。
*
「ぐっ!」
イリーナは咄嗟に両腕を交差させ、防御に成功していた。衝撃で吹き飛んだが、ノルトエフが背を受け止めた為、軽く腕が痺れる程度で怪我はなかった。
「無事か!」
慌てた様子のノルトエフに訊かれるが、イリーナは返事ができなかった。心が大きくざわめいていた。まさか殴られるとは思っていなかった。
大聖堂内に気の抜けた笑い声が響く。
「ほっほ、邪魔が入りましたのう。気にせず続けましょう」
ゲイロードは何事もなかったかのように話を続けた。その内容には原理主義者のみならず、聖教国の在り方や教典に対する批判が過分に含まれていた。
止める間もなかった。呆気にとられていたのもあるが、簡潔過ぎたのだ。
なにしろゲイロードが言ったのは「わしが思うに、こんなもんはいらんのです」という一言だけだったからだ。どちらかといえば、教典を放り捨てる行為で批判の意を示したと言えよう。
いや、批判というより、もはや侮辱。それも最大限の。
「皆さんも、ちょっとしたことで喧嘩になる教えなんぞいらんでしょう。まぁ、そういうわけで、アリアトス聖教国は宗教国家であることを止めて、帝政国家にしますじゃ」
イリーナは硬直と閉口を余儀なくされた。ノルトエフ含む、国家運営を担う者たちも似たような状態になっていた。最も酷かったのは枢機卿団副団長で、宣言がなされて間もなく泡を噴いて卒倒した。
直後、一斉に反乱分子が姿を現しゲイロードに向かい飛び掛かった。イリーナとノルトエフが予想した以上の事態が起き、大聖堂内は一瞬で騒乱の場に転じた。
「ぐ、いかん! もう持たんぞ!」
ノルトエフが叫んで間もなく二十人からの苛烈な一斉攻撃を受けた【
「おっさん!」
「俺はいい! 猊下を!」
イリーナが舌打ちする。殴り飛ばされたばかりで頭にきていたが、私情を挟んではいられない。即座にゲイロードの援護に向かおうとした。
ところが、ここで予期せぬ事が起きた。
「ふんっ!」
襲撃を受けた張本人であるゲイロードが自身を起点に全方位に攻撃を仕掛ける【
「はっ──せ、聖騎士団! 捕縛せよ!」
我に返ったイリーナが叫び剣を抜く。その声に応じ、近くにいた数人の聖騎士が重鎧の擦れ合う音を響かせながら倒れた襲撃者の捕縛に向かう。
「く、失敗だ! 撤退しろ!」
「逃すわけがなかろうがっ!」
ゲイロードは鬼の形相で逃げ出そうとする者に向かい剛腕を振るう。その拳から凄まじい速度で拳型の青白い闘気【
一人、二人、三人とゲイロードの拳の形そのままの闘気の塊が直撃し撃ち落とされていく。その誰もが重傷を負い、高々一分程度で抵抗する者は一人もいなくなった。
「刮目せい! これがゲイロード帝国の始まりじゃあ!」
大聖堂は見る影もなく損壊し、聴衆にも多くの怪我人を出す大惨事となったが、それでもゲイロードに対する国民からの支持は揺らがなかったようである。ゲイロードが上げる勝鬨に応える大歓声がそれを示していた。
(参ったねぇ)
イリーナの目には、圧倒的な暴力で敵を打ち払う教皇の勇姿が、国民の目を奪い心をしっかりと掴んでいるように見えた。
被害の拡大を防ぐ為に奔走する自分たちとは対照的に。
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