イスカソニア前日譚~風と呼ばれし不羈のイスカと銀の乙女と呼ばれしソニアが出会う遥か前の物語~

月城 亜希人

第一話

 俺は小さい頃からたまに同じ夢を見る。

 目が覚めるとぼんやりとしか覚えていないが、やけに現実味があり、それを見た日の寝起きは最悪になる。

 その夢は洗面所から始まる。夢の中の俺はスーツ姿のおっさんで、鏡に映った生え際を見ながら「ずいぶん後退したもんだ」と悲しげに呟いて顔を洗う。

 不思議なことに、俺は夢の中のおっさんが自分であると認識しているのに俯瞰ふかんで見ている。つまり三人称視点だ。

 例えるなら自分が出演している映画を観ているような感覚。だから俺にはおっさんの心まではわからない。


 まぁ、生え際が後退する気持ちなんかわかりたくもないけどな。


 やがて欠伸をしながら、おそらく高校のものと思しき制服を着た息子がやってきて、寝ぐせだらけの頭を掻きながら「おはよう」と言う。


「おう、今日も朝練か?」

「うん」


 息子の眠たげな返事を聞きつつタオルで顔を拭き、洗面所を後にしたおっさんは、食事室に向かう途中で階段から降りてきた制服姿の娘と鉢合わせる。よく見るコギャルではないし、ルーズソックスを履いていないが、多分、高校生。


 何度も見ているからわかるが、おそらくこれは未来の出来事なのだと思う。

 予知夢なのかもしれないと、薄々は感じている。


 娘は「おはようパパ」と心のこもってない朝の挨拶をすると、おっさんが「おう、おはよう」と挨拶を返しきる前に洗面所に入っていく。


「ちょっとお兄ちゃん邪魔。さっさとどいてよ」

「ふざけんなお前! 後から来といてなんだよそれ!」


 息子と娘の言い合いを背で聞きながら、おっさんは食事室に入って食卓に着く。すると美人な嫁さんが「おはよう貴方」と輝くような笑顔で言って向かいの席に着く。


「おはよう、今日も綺麗だね」


 そうおっさんが笑顔で返すと、嫁さんは頬を染めて喜んだそぶりを見せる。

 食べる前からご馳走様だよ。と思いながら俺は成り行きを見守る。


「いただきます」


 おっさんは嫁さんと仲良く一緒に手を合わせて食前の挨拶をし、食卓に置かれているベーコンエッグとトーストを食べ始める。そのうち息子と娘が言い合いを続けながらやってきて食卓に着く。


 息子はおっさんの隣、娘は嫁さんの隣にそれぞれ座る。

 子供たちは嫁さん似の整った顔立ちで、本当におっさんの家族なのか疑わしく思う。確かに背は高くて体格は良いが、顔は平凡で生え際が後退気味。

 そんなおっさんにはこんな綺麗な嫁さんをもらえるようには思えないし、子供たちまで美男美女ってのは、いくらなんでも出来過ぎだと思う。

 でも、おっさんは微塵も疑っていない様子で、賑やかな食卓での食事を続ける。

 もしこれが予知夢だとしたら、俺は一体どうやってこんな家庭を築くことになるのだろうか。と夢を見ながら疑問に思う。


 ここで場面が変わり、家の前になる。


 よく晴れた清々しい朝、おっさんは見送りに出た嫁さんの「いってらっしゃい」という言葉に「いってきます」と返して、膨れたゴミ袋と鞄を手に歩き始める。


「いってきまーす」

「いってきます」

「いってらっしゃい。気をつけて行くのよ」


 息子と娘は「はーい」と返事をしておっさんとは違う道を歩き出す。相変わらず言い合いをしているが足並みは揃えている。兄妹仲は良いように見える。

 おっさんは息子と娘の背を見ながら微笑んでいる。これがこの家族の日常。当たり前の朝の風景なのだろうと、夢を見ている俺は温かい気持ちになる。


 だがそれを感じられる時間はそう長くなく、すぐにまた場面が変わり夜になる。


 おっさんは会社で仕事中のようで、ノートパソコンの画面を見ながらキーボードを叩いている。社員は十数人。おっさんは皆を見渡せる位置にいる。それなりに偉いのかもしれない。

 疲れがたまったのか、おっさんは椅子の背もたれに身を預け、伸びをしながら目頭を指で揉み始める。「あぁー」という微かな声を吐き出して目頭のマッサージを終えると、不意に雷が鳴ったような凄まじい音が響き床が揺れる。


 一斉に警戒アラームのような音が鳴り出す。おっさんはポケットをまさぐり、おそらく携帯電話と思われる板状のモニターらしきものを手にする。

 その画面には、日本が攻撃を受けたことが表示されている。読み終えるより先に、また轟音と震動が発生し、部屋の窓ガラスが一気にすべて割れる。


 一人の女性社員が悲鳴を上げて部屋を出て行く。おっさんは「落ち着け!」と叫び、残った社員に慌てないよう声かけしながら部屋を出る。

 先に逃げた社員たちがエレベーターに乗り込むのを見たおっさんは「駄目だ!」と叫ぶ。だが無情にも扉が閉まり、エレベーターが稼働する。

 直後に爆発音がして建物が大きく揺れる。それと同時に停電が起き、あちこちから悲鳴が上がる。暗闇の中で擦過音と悲鳴が遠ざかり、衝突音が響く。


「落ちた! エレベーターが落ちたぞ! 死んだぞあいつら!」

「うるせぇ! おい止まんな! 早く行けよ! 早く早く早く!」

「痛い! ちょっと! 押さないでよ! やめてって!」

「落ち着け! 焦らず非常階段に向かえ! 二次被害を起こすな!」


 もはや誰もが恐慌状態に陥っており収拾がつかない。おっさんはもみくちゃにされながらも、どうにか階段を降りて外に出る。そして、呆然と立ち尽くす。

 アスファルトが大きくひび割れ盛り上がり、辺りには瓦礫やガラス片が散乱している。車が渋滞した道路で、大勢の人が逃げ惑っている。

 言い争いや悲鳴を掻き消すように、空の低いところを何機もの戦闘機が飛んでいく。遠くの空からいくつも光が降ってきて、建物が爆発し倒壊していく。

 おっさんは、ネクタイを緩めながら人混みの中に入る。血の気の引いた顔、見開かれた目、浅く短い呼吸。不安を露にしながら人を掻き分け進んでいく。


 そして最後の場面転換が訪れる。


 やっと辿り着いた家が、倒壊して燃えているのが見える。隣家も、その隣も、巨大な焚き火のようになっている。おっさんは悲痛な叫び声を上げて駆け寄る。

 そこでふと、夜空に眩い光が現れる。おっさんはその光から発せられたであろう強烈な熱風を浴びて焼け死んでいく。地面に煤けた痕跡を焼きつけて。


 ここで夢は終わり、俺は目を覚ます。気が滅入るだけでなく、年を追う毎に鏡に映る自分が夢の中のおっさんに似てきているような気がして不安になっている。

 それも含めて、最近は特に憂鬱。お陰で俺は、ここのところ情緒が不安定だ。


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