第一章
000. 知らなくていいこと
「もしもーし、起きて
ハッとして、机の上に崩れ落ちそうになっていた頭をもたげ、俺は声がした方に振り向いた。
寝ぼけて霞む視界を正すため、顔の筋肉に力を入れて何度かまばたく。するとそこに1人の少女が、呆れた顔をして佇んでいた。
「あ、ああ……分かってるって……」
人目を気にせず欠伸をし、口を動かし喉を震わせ、次第に脳が覚醒して自分の今の状況を思い出す。
今、俺は県立葛南高校の2年B組の教室におり、
そんな時間にクラスメイトと集まって何をしていたかというと、ちょうど2か月後に控えた文化祭の出し物について話し合いをしているところだ。
ただ、肝心の話し合いは全く進んでおらず、出し物のジャンルすら定まっていない段階であった。これまでに出た候補は、ド定番であるお化け屋敷、謎解きゲームに始まり、飲食系やメイド喫茶(女装もしくは男装をするタイプのやつ)など。
何か画期的で面白いものをやりたいという漠然とした意思表示だけはあったが、この場にいる全員が何も良い案を出せず、ただいたずらに時間を浪費している状態だった。
「ウチの実行委員サマがこんな様子なんじゃあ、いつまで経っても話は進まねえよなあ」
俺の真向かいに座っていた男子が、思わず引っ叩きたくなるような仏頂面を俺の方に見せつけてくる。
しかし彼の言うことに反論なんてできやしない。曲がりなりにも文化祭実行委員を務め、文化祭準備期間中の皆の面倒を見るべき立場にいる俺がこんな調子では、クラスが纏まるはずがない。
だがひとつだけ言い訳をさせてほしい。
今日は7月14日金曜日。俺は疲れていたのだ。
真夏の暑さに晒されながら片道約50分程の道のりで学校に通って、この1週間という長い期間を丸々すべて試験勉強に費やしてきて、他にも色々なことに悩み悩まされ。軟弱自慢をしているようで申し訳ないが、結構疲れていたのだ。
俺は小さくため息をつき、尻に出来物ができそうなのを気にしながら椅子に座りなおす。
「皆、普通にお化け屋敷じゃダメなんだもんな?」
一応、右側の机に座っていた女子に話しかけてみる。
「うん! どうせなら他の誰もやったことないやつがいいよ!」
彼女は明朗快活にそう答える。この空元気集団の中で唯一本物の元気を保っている凄い人だ。
今の俺達が議論に行き詰まっているのは、大体がこの人の
ただし、決して彼女はただいたずらに自分の願望を言い放っているわけではない。むしろ誰よりも文化祭という行事について意欲的であり、提案も多くしてくれている。
「ねえ、やっぱりだめなの? やってみたいんだけどなあ、ストレス発散のためにテレビとかピアノとか、いろんなものをぶっ壊すことができるその名も“破壊の悦び”喫茶!」
……その内容がマトモかどうかはさておいて。
「ダメだろどう考えても! 提案してくれるのは助かるけど!」
「むぅー、絶対面白いのに」
彼女は顔をむくれさせてこちらに抗議の視線を届けてくるが、無理なものは無理だ。
俺はできることなら彼女を説得してやりたかったのだが、いかんせんこの目の前にいる彼も、落ち着きなく教室の中を歩き回っている先ほど俺を起こしてくれた彼女も、気付けばその画期性の塊のような彼女の願望に共感してしまっていたのだ。
つまり今の俺は多勢に無勢。まったく、
「皆のその、出し物についての考えは俺も分かってるつもりだよ。それに、早いうちに大枠を決めておく方が良いっていうのも分かってる。だからその……」
机の上に置いた両手を組み、俺はまたひとつため息をついた。
「また次の月曜日に話し合おう」
「……そうしましょうか。このままウンウン悩んでいても疲れるだけだものね」
まるで水槽の魚かのごとく教室内を回遊していた彼女が、自分の机の前でピタリと足を止める。それに呼応するようにして、目の前の彼も右側の彼女もそれぞれ帰り支度をし始める。
俺も本来ならここでとっとと家に帰ってしまいたかった。けれど、ふと左側を見て、さすがにそれは良くないと思い直った。
「
「みたいだな。疲れてんのかな」
「そっとしといてあげなよ、2人とも。彼女って生徒会の副会長なんでしょ?」
実は俺達4人の他にもう1人、話し合いに参加している女子がいた。
しかしどうやら、俺がうたた寝しているときに彼女も眠ってしまったらしく、今も机に突っ伏したまますやすやと寝息を立てている。
「副会長さんかあ、やっぱり生徒会っていろいろ大変なの?」
元気な彼女が無邪気に尋ねてくる。
彼女が俺にそんな質問をしてくるのは、俺もまた生徒会(厳密には執行部のほう)に所属しているためだ。
「いや、まあ……文化祭のこととかになると大変な事が多いけど、普段はそこまでじゃないか?」
そう答えると彼女は納得したような、またはそうでないような反応を返してくる。
かと思えば、あからさまにニヤついた顔をこちらに向ける。
「んじゃあとりあえず、たっつんはその子のことヨロシクねっ。1人にさせちゃダメだよ?」
そうやって俺に軽く挨拶だけして、彼女達3人は教室を後にしてしまった。
こうして俺達は、半ば無理矢理2人っきりにさせられてしまった。
別に2人っきりにされても何もないけどな。彼女とはただ同じ生徒会の仲間というだけだ。
……などと頭の中ではそう言いつつ、教室の静けさを気にしてしまう程度ながらも、変に意識してしまう心は間違いなく存在していた。
「本当によく眠ってるな……」
相も変わらず彼女は寝息を立て、足元を西日に照らされながら随分と心地良さそうに眠りについている。
……西日?
教室の時計に目をやると、長針は12の数字の真ん中に突き刺さり、短針は5の数字を真っ直ぐ指していた。それに気づくと同時に、外から5時のチャイムが聞こえてきた。
帰りのHRが終わったのが大体15時半頃だったことから、かれこれ1時間半はここにいたことになる。
完全に時間を無駄にしてしまった。思わず後悔したくなるところだ。
だがここで後悔しても得られるものは何もない。
後悔しない主義である俺は、これによって少し準備期間が縮まってしまったことを悔やんだりはしない。後々取り返せればそれで良いと思っている。
「……」
そんなようなことを頭で考えながら、再び山辺さんの寝姿に目をやる。
絹糸のようにさらさらとした藍色の長い髪、混じり気のないきめ細やかな色白の肌。誰が見ても「美少女」と評すであろうその容姿に、実のところ俺はかねてより見とれていた。
さらに、困っている人を放っておけない優しい性格であり、どんな脅しにも屈せず
俺は、こんな凄い人と一緒に生徒会で活動できることが何よりも嬉しく、それまで何となく嫌いだった学校生活を好きになるキッカケにもなった。
だからこそ俺は、この人の力になりたいって思っている。
「………………ん?」
よく見てみると、山辺さんの髪に小さな綿埃が付いているのが見えた。
気付かれないうちに取ってあげよう。そう思って俺は彼女の頭に向けて手を伸ばす。
そうして俺の指が埃を掴んだ――そのとき、彼女の体がビクリと動き、思わず頬の方にまで触れてしまった。
「あっ、ごめん、起こしちゃっ――た?」
次の瞬間、俺の視界は真っ暗になった。
何やら声が聞こえてくる。
これは小さな女の子の声だろうか。
何か助けを呼んでいるような――いや、これは神に祈っているのか。
思わず俺は声がする方に振り向き、そして度肝を抜かれた。
そこは明らかに日本の景色ではなかった。
熱帯の木々や草がそこら中に溢れかえり、遠くからけたたましい破裂音が何度も何度もひっきりなしに鳴り響く。
声の主はすぐそこにいた。思った通りの小さな女の子だった。
だが、なぜか彼女は迷彩柄の衣服に身を包み、とても不釣り合いな銃を両手に抱えて俯き佇んでいた。
俺は何も考えることができず、その少女を見つめてしまった。
それが運命の分かれ目だったのかもしれない。
やおら少女の首が持ち上がり、顔が見え、目が合った。
目が合った。
俺はその目を知っている気がした。
そしてその正体に気が付いたとき、
目の前の景色が高速で
目の前の景色は俺のことを置き去りにしたまま、それこそまるで走馬灯のように、1人の人間の半生を目まぐるしく映し出していく。
それはとても刺激的で、
自分を実の子のように育ててくれた女性が頭を
何度も爆発音が鳴り響き、鮮血が飛び、死体が打ち棄てられていく。
人々の
俺は逃げれるものならばすぐにでも逃げたいと思った。
こんなことが現実であってはいけない、こんなのは全部悪い夢でしかないのだと言って。
でもそれはできなかった。
あの目がいつも俺を見つめていた。
地面に棄てられた死体の
だが、最後に現れた目は違った。
驚くべきことに――その目に見られた途端、心が軽くなり、全身に響いていた鈍い痛みがごっそりと抜け落ちた。
目の前の景色がみるみる廻るスピードを緩めていく。
鬱蒼と生い茂った原生林は親しみのある小綺麗な街に姿を変え、次第に明るさを増していく。
気付けばそこは俺が通う学校で、見知った生徒や教師の顔が目に入る。
やっと戻ってきた……そう思ったのも束の間、再び視界が暗転する。
一体どうしたのだろうと思ったが、少しして、それは単に俺自身が瞼を閉じていただけだと気付いた。
思わず安堵のため息をつく。あの地獄がすべて夢であったことに心から感謝しながら、俺は目を開けた。
「あれ……」
気付けば、目の前ですやすやと眠っていた筈の山辺さんの姿は無かった。
先に帰ってしまったのだろうか、と思ったが、ふと時計を見ると時刻は未だ5時ちょうどを指していた。
困惑した俺は辺りを見回し、そのはずみで思わず背後に向き直る。
「おはよう」
聞き馴染みのある声、藍色の長い髪、色白の肌。
俺が良く知る生徒会副会長『
右手に黒く鈍く光る物騒な代物を携え、あまつさえその射出口を俺の顔に真っ直ぐ向けた状態で。
「え……?」
なぜだかその立ち姿に違和感を覚えられない。
どうしてだ、と
彼女の紫色の双眸があの目と同じであるということに。
「勝手に他人の過去を見るだなんて、随分と破廉恥な真似をしてくれたな。
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