Lifriend

第1話モンシロカラス

　目の前にモンシロチョウがいる。羽ばたいている。跳ねている。胴の部分が本来の姿の半分になって。まだ空を舞おうとしているのか。すでに羽根も傷付いている。もう諦めていいよ、もう無理しないでいいよ。踏み潰そうとした直前で躊躇する。まだ生きようとしている。

　目の前に男がいる。崩れてきた建物の一部を背に。呼吸している。血の湖の中で泳いでいるみたいに。頭の中は真っ白で、口の中はカラカラだ。脚が震えて気を抜けば立っていられなくなりそうで。何故とか、どうしてとか、疑問が浮かぶのはまだ余裕のあるうちだ。目の前に広がる事実、それをひとつずつ確認することしか出来ずにいる。苦しいよね、痛いよね、もう無理しなくていいよ。現実を受け止めきれない逃避と自己完結に吐き気がした。

「生かしてやる。ついでになかったことにしてやる」

　幻聴と幻覚だ。宙に浮かんだ男。見ず知らずの男。無意識にどこかで見た顔が脳内で処理されているのだろうか。それとも気が狂ったか。

「選べよ。支払うのはお前だ」

　周囲の人間がいつの間にかいなくなっている。空間が、止まっている。

「支払うって何を」

　無意識に訊ねていた。借金地獄にでもなるのか。けれどもう、自分には関係ない。そんなつもりでいた。

「選べ」

　高圧的な態度に求めているものは与えられないのを察した。好きにしたら、いいのではないか。

「契約成立だ」

　男が厭らしい笑みを浮かべた。

「お姉さん」

　肩を揺すられて我に返る。起きながら夢をみていたらしい。支離滅裂な、いかにも夢、といった夢。

「ダイジョーブ？」

　茶髪の青年が上から顔を覗き込む。

「お姉さん、本当、ごめんなさい」

　この青年を見たことがある。この風景を見たことがある。

「あなたは大丈夫なの？」

　夢の中で死にかけていた男、そのままの姿。

「オレはダイジョーブ」

　白い歯を見せ笑われる。呆けてそれを見ていた。暫く青年の顔を見つめてしまってから、自身が転んだのか地面に膝をつけて座っていることに気付く。

「それじゃあ急いでるので」

　爽やかな笑みと香りを残し彼は去っていく。最期に見るにはちょうど良いのかもしれない。綺麗な笑みだと思った。このままならいけると思った。

「契約が無駄になるじゃん」

　特徴的な声がする。夢の中の男の声。声質に少し特徴がある、身に覚えは現実にはない。とうとう気が狂ってしまったのだろうか。それもすでに関係のないことだが。目に見える物が全てではない、目に見えないものが偽りなことはあるだろうか。けれど目に見るものが偽りなこともなくはない。耳然り、だ。すでに頭がおかしいのかもしれない。

「お前に死なれると困る」

　防衛本能なのかもしれない。歩き過ぎようとすると、立体歩道の鉄柵に手を掛けこちらに背を向けている男が言う。

「お前の寿命、半分もらったから」

　現実ではなかなか聞かない台詞だ。役者志望の人間か。

「あいつを生かしたのはお前だ。それと、俺」

　何故こんなことになっているのか。理路整然とした説明はおそらく不可能だろう。

　ベッドの上で半裸に剥かれ、そのまま放置されている。どこかのホテルだろうか。自室ではない。病院でもない。ベッドに腰掛ける男は背を向けている。シーツを手繰り寄せるのに、男の身体が乗っているせいで半裸を隠せない。退くという気配もない。そういう気遣いを知らなそうである。

「話、聞く気になった？」

　いつの間にか派手な下着を身に着け、本当に何か、もう取り返しのつかない重傷な何かを患っているのかもしれない。

「Yesか はい。それ以外に何も言うな」

　切れ長の瞳に睨まれる。

「服、着させて」

　出た言葉は情けなかった。ベッドの上で知らない男と半裸。意識のないうちに一線を越えてしまったかもしれないという不安が襲う。不義だ。

「まず話を聞け。そして信じろ。無条件に」

　懇願ではなく命令であることは態度で分かった。そして言うことは隠す気もない悪徳業者のような。

「意固地な女は嫌いじゃないがそろそろ面倒だ」

　胡散臭いベッドに乗り上げ迫ってくる。

「警察呼びますよ」

　身に覚えのない下着だけの姿。一線を本当に越えてしまったのだろうか。

「命は惜しくなくても貞操は惜しいか」

　男が身を寄せるのを止める。何かを見抜かれている。

「信じる信じないはお前次第だ。聞きたくなきゃ耳塞げ。俺は一応言っておくけど」

　勝手な話が始まる。耳を塞ぐほどのことは何もないはずだ。

「お前がさっき見た光景は現実だ」

　思い当る節があるようでないようで。頭がおかしくなったわけではないと、暗に言っているのだろうか。

「あの男が生きている世界線がおかしい」

　あの男とはどの男のことか。あの笑顔の素敵な好青年のことか。「生きている」という言葉と関連づけられるのは彼だけだ。

「お前の寿命を削って、あの男が生きていられる世界線を手繰り寄せたワケだが」

　この男があの夢のような空間で言った、「支払」の話に繋がるのだろう。

「全部持って行ってもよかったのに」

　男は少し驚いたカオをしてすぐに顰めっ面に戻る。

「お前の寿命から俺を通して供給しているから、死なれるとあの男もいずれはまた死ぬことになる」

「困る」

「知らないな」

　ぴしゃりと撥ね返される。

「じゃあ私が死んだら」

「あの男も近いうちに死ぬ」

「命半分コってこと」

「そういうこと」

　黙って納得する。男も黙った。暗くてよく分からないが顰めっ面が基本のようだ。

「それでこの格好は」

　話は聞いたが半裸にされている理由は明かされていない。

「…他にないのか。もっと。俺の正体とか」

　不機嫌を露わにした男はどこか幼く見える。

「多分私、もう気が狂ってるんだと思うから…その…幻覚なんでしょ」

　男は心外だとばかりに明らかに不愉快を表にする。

「とりあえず服を…」

「ダメだ」

　男が圧し掛かる。見た目ほど重量感がない。趣味ではないレースだのフリルだのがあしらわれた華美な下着とキャミソールに何か刺激されたのだろうか。

「こういうの不潔だと思わないの？」

　幻覚だ。言葉に通じる幻覚だ。けれど不貞行為のように思えて。

「俺は幻覚なんだろ」

　気が狂ってしまった。正気のつもりでいるのに。都合の良い幻覚。寂しさが埋まる、そんな気がしてしまった。

「俺はお前との契約で実体化してる死神だ。吸血しないと実体が保てないんだが」

　信じるか信じないか、委ねられるなら後者を選ぶ。まだ正気のつもりだ。

「勝手なこと言わないで。まだ了承してない」

　寿命の半分のことはこの際どうでもいい。だが知らない人間の命を背負わされてしまったこと、そして吸血される流れにあることにはまだ納得がいっていない。

「契約は成立。俺はヤツを生かした。だから支払いを要求する。人間にも同じルールがあるはずだが」

　幻覚が言う割には理に適っている。

「いつまで。何回。どれくらい」

「あの男かお前が死ぬまで」

「見ず知らずの人なのに？」

「関係ないな」

　事故現場にたまたま居合わせただけだ。

「人間は助け合う生き物だろ？」

「あなた人間なの」

「人間の真似事させてくれよ」

　男は有無を言わせず首筋に歯を突き立てた。

「あなたは人間の真似事したいの？名前は？」

　身体に電流が走ったような感覚に口を動かすと上手く話せていないような気がした。

「俺は、初音初音（はつねしょおん）だ」

　一度首筋から口を放される。人間のような名前だ。幻覚にも自我があるのだろうか。

「もう、いい？貧血になりそう」

「もう少し」

　正気は突然戻ってくる。風が頬を撫ぜた。さっきまでいた忙しない都心の一部に足を着けている。幻想のような幻覚の中で歯を立てられた首に触れても痛みも痒みもない。指先が触れた感覚だけ。妙な男も視界を探す限りは見当たらない。やっと消えてくれた。同じ夢を二度と見られないよう、あの男とももう会うことは、いや、見ることはない。それもこれも、もう関係のないことで。当初の目的はこんなことではない。まだ生に執着しようとする身体が憎い。仮に夢が現実だったとしても、寿命は半分に減ったという。死ぬ運命だった青年も、あと少しは生きられるというのだからそれに異論はない。

「そういうの困ります」

　思考を遮断する声。思考への反応かと思ってしまった。

「心に決めた人がいるので」

　幻聴が正気の中に存在している。陽の光りを浴びた姿は輪郭がはっきりしている。背丈があり、鼻梁の通った美青年という外観の説明が出来てしまうほど幻覚の中に閉じ込められていた時よりも鮮明だ。若い女性に囲まれている。無意識に知っていた芸能人の顔で処理された幻覚だったのかもしれない。

「あ、待たせた？」

　高圧的だった態度でしか聞いたことのない声が幾分柔らかく、穏やかになった。人違いだろう。そう思っていたが男は親しげに近寄ってくる。人違いである旨を伝えようとする前に唇に人差し指を立てられる。怪訝な表情をして背の高い男を見上げる。

「話、合わせろよ」

　肩を抱いて男は声を掛けてきたのであろう若い女性たちに笑いながらこの場を立ち去る。

「ふざけないで」

　拒否の言葉を上げてから周りを見渡す。はたから見たら1人で話しているように見えるかもしれない。けれど誰も気にしている様子はない。この男が話しかけられていたのだから、この男は存在しているのだ。

「ふざけてんのはお前だろ。仕方ないから監視のために人間に化けてやったのに」

　男は楽しそうだった。大きな駅の構内の目に映る様々なものに目を輝かせているようで。

「頼んでない」

「当たり前だ。頼まれてたらやってねぇもん」

　幻覚だと思っていた時よりも表情が柔らかく、声も浮ついているように思えた。

「最低」

「なんだその言い草」

「ストーカーみたい。はやく消えて」

「最低なのはどっちだよ」

　男が腕をいきなり掴んで歩き出す。体格差を考えない速度と腕力。人口密度の高い都心の中でも特に大きい駅の周りを気にせず縫っていく。

「放して」

　喧嘩中のヒステリックを起こしたカノジョと強引なカレシ。行き交う人々がそのように見ているのか、同情のような軽蔑のような面持ちで視線を寄越す。

　連れてこられたのは幻覚の中でこと幻覚を初めて見た場所。1周してきてしまったのか、その近くだ。小さなクリニックがある。立体歩道に入口が繋がっているが、建物の2階だ。

「お前が半分寿命くれたヤツがここにいる」

「入院してるの？ここクリニック…」

　この男は何を言っているのか。羨ましいくらいに整った横顔と高い鼻を、眉を顰めて見上げた。

「自分のガキみたいに情が沸くんじゃないか」

　卑しい笑みを向ける幻覚。顔立ちは端整だが性格の悪さが滲み出ていて隠すつもりさえないようだ。

「情が沸いたら何だって言うの」

「簡単に死ぬとか思えなくなるんじゃない」

「別に簡単に死ぬとか、思ったコトないけど」

　男は呆れたような表情で肩を竦めた。

「素直になれよ。自殺願望者だったから寿命半分もらってやったのに。面倒臭い女だな。タイプじゃない」

「タイプじゃないならさっさとどっか消えて。あなたのタイプになる見込みもないでしょ」

　この男に見抜かれている。イカれた脳から生み出された幻覚なだけある。

「あ、お姉さん」

　後ろからかかる声に反射的に振り返る。幻覚の中で死にかけていた好青年が元気そうに笑う。

「やっぱどこか怪我されました？」

　薄い水色の上下の揃えられた格好。胸ポケットに挿し込まれた大人気キャラクターのマスコットがついたボールペン。

「いえ…あの…」

　看護士になれる過程を経たには若い印象を受ける青年の表情が曇る。

「コレが迷惑かけたみたいで」

　男が言った。青年が男に初めて視線を向ける。

「いや、そんな大したコトではないです！わざわざご丁寧に…どうも…」

　青年が両手をわたわたと振った。

「ここ、小児科ですけど…何かありましたら、また」

　照れるように笑んで青年は会釈して小児科の2階へそのまま入っていく。

「どうだ、感想は」

「カップルか夫婦と思われるようなコト言わないでよ」

「兄妹だと思ったかもしれないだろ」

　この男に何を言っても無駄だ。同じ文化や同じ文明どころか同じ世界にすら生きていない。

「お前が死ぬとアイツ、遠くないうちに死ぬからな」

「私には関係ない。それが彼の運命だった、それだけでしょ」

「その運命を、今日、お前が、俺と、捻じ曲げた」

　じっくりと確認するようにゆっくりと話される。

「もし運転中にヤツが死んだら最悪の場合は人がいっぱい死ぬな」

「脅迫のつもり？そんな間接的なこと、私の知ったコトじゃない」

　男は片眉を吊り上げる。

「暗い女だな。なんでコイツ選んだんだろ俺」

「いつ死んでもそれは人間として仕方ないコトでしょ。あなたは幻覚だから分からないでしょうけど」

　男は不快感を隠そうともしない。眉根を寄せて睨みつけてくる。幻覚のくせに人間臭い。

「常に理不尽なの。不条理なの。善いコトしたって悪いコトしたって変えられないものがあるの」

　幻覚に説教を垂れたところで空しいだけだ。自己暗示にもなりはしない。

「幻覚、幻覚って何だよ。俺、今お前の目の前にいるだろ」

　男は傷付いたカオをする。この男に傷付くだけの感情が果たしてあるだろうか。

「誰かの都合で死ぬはずだった人間が生きてるなんて、赦されるワケないでしょ」

「でも人間は科学だ何だってそうしてきただろうが」

　軽蔑のめに変わるのがよく分かる。幻覚はあまりにも幼稚だ。

「科学で助かる命なら、助かる命だった。それだけ」

「俺の力で助かる命はダメなわけ？」

　男は納得のいかない拒否に納得しない。

「命を半分にすれば誰でも助けられるの？こんなの幻覚なり錯覚なり思ってなきゃ赦されない」

「じゃあアイツが死ぬ世界線に戻そうか？それとも殺すか？許されない許されないって言うなら…」

　怒気を孕んだ声音に怯む。そもそも契約は一方的だった。何の返事もせず、一方的に結ばされたもののはずだ。

「そうしたら私の寿命は戻るの？記憶は？あなたは？私はそもそも正気なの？まだ夢の中にいるの？どこまで戻されるの？今ここに居るあの子はどうなるの？」

　浮かぶ疑問を矢継ぎ早に並べていく。

「何から答えればいい。正直な話ムリだ。もう力がない」

　与えられた選択肢はただのはったりだった。決めかねていたものは最初からひとつだったのだ。

「誰だって助けたくて、でも助けられない命があるの」

「説教か。人間はソレが好きだな」

「私だけそれが選べたなんて、許されないって言いたいだけ」

「誰に許されないんだよ。何に許されたいんだ?お前に与えた特別だ。同時に他の人間に与えた不条理だ。お前の価値観なんて知らないね」

　現実かもしれないと思えはじめてきた。この不条理さは。けれど己に降り注いだ特別さも。これは現実として受け入れるしかないのかもしれないと。

「いずれにしろアイツが今生きていて、お前の寿命は半分。この世界線で生きるしかない。寿命前に逝っちまわないように注意しろよ」

　嘲った笑みを浮かべる男。悪魔にしては人間臭い。死神にしては情けない。幻覚にしては妙にリアルで。

「消えてよ」

「口には気を付けてもらおうか」

　顔を掴む男。動く度にふわりと香りがする。嗅覚まで脳に支配が行き届いている。幻覚のくせに。

「勘違いするなよ。お前が主じゃない。俺が主でお前は下僕だ」

「身に覚えがないから。じゃあね。ばいばい」

　話は終わった。寿命が半分になった。どこからどこまでが幻覚なのか分からない。けれど寿命など自分で確認できるものではないから。白昼夢に便乗した悪趣味な夢の続き。

　自分が助けたかったのは彼ではなかった。浮かんだ明確な答えを何度も振り払う。人の命を天秤にかけ始めている。酷く醜い考えに至りたくない。

　暗くなり始めた空と明るい地上。人々は忙しなく視界を右往左往。駅にそのまま隣接したデパートの照明が美しい。今まで生きていたはずの「世界線」だったなら。ここで人が死んだ。けれど今はそんな様子はない。違う世界線に繋がれたはずなのに、現実は今までと変わらない。立体歩道のスペースに設置されたベンチに腰掛け、見つめる風景は変わらない。「本当」ならこの目の前は建物の一部が崩れ、若い男が1人下敷きになる。何の感情も慈悲もない、ただの物理的な流れ。そこに悪意だの善意だのはない。もっと幸せな幻覚を見たかった。もっとまともな。決意は脆かった。思うよりも遥かに。けれど、不安と謎を共有している、性格は悪そうな幻覚がいるから…

「忘れちゃったけど、俺、まだお前に伝えてないことある」

　あまりにも唐突に首に手が回る。吃驚すると当時に香りが鼻腔を擽る。雑に頭を預ける体勢になって、慌ててベンチから立ち上がった。

「なんだよ」

　相手を確認する。黒を基調とした格好のためよく分からなかったがあの男だ。

「今の、そういうフンイキだっただろうが」

「あなた…まだいたの」

「初音って言ったろ、俺の名前」

「…初音くんだっけ。それで何の用」

　不服そうだ。睨まれる。

「用のあるなしじゃねぇの。一緒にいなきゃらなれねぇの」

「困るな。家、上げられないよ」

「いいよ。ちょっと血、飲ませてくれたら帰れる」

　不機嫌さを強調する。少し目付きの悪い顔。

「吸血鬼みたい」

「似たようなもんだ」

　初音が首に触れようとして身を引く。

「ここで？」

「他にどこで。家上げられないんじゃないの」

「…分かった。家に上げる。それでからでいいでしょ」

　初音は返事をしなかった。肯定も否定もしない。

「あんま、難しいコト考えんなよ」

　ただでさえ面倒臭い女なんだから。特徴的な声が初めて優しく感じられた。

　目が開く。寝ていた。長い夢だ。夢ではない。冴えてきた脳が矛盾した意見を出す。

「起きたか」

　ベッドに座って顔をを見下ろされる。

「その感じは起きてるな」

　借りているアパートよりも天井が高い。ここは知っているベッドの中ではない。

「血、吸い過ぎた。悪かったな」

「初音くん」

　起き上がろうとすると手で制される。

「まだ寝とけ」

　記憶を辿るが空白が目立つ。顔を覗き込んでくる男の名前は分かる。何か…―――しようとして都心にまで出た、とするとここは地獄か。天国か。美青年の添い寝つき。後者か。

「昨日は色々あったから疲れたんだろ」

　初音の声に、はっとして制されるのも気にせず起き上がる。ここで美青年と寝ている場合ではないはずだ。

「私、死んだ？」

　あまりにも間の抜けた質問だ。初音が呆れている。ベッドしかない部屋。ドアはない。窓だけがある。室内は少し明るい。外の光りを借りている。

「死ねたように思うわけ？」

「じゃあ生きてるんだ」

「あのなぁ…俺は寿命半分しか預かってないんだけど」

　初音がまた一から説明を始めようとするのを流しながら内容は入ってこない。

「なんだってそんな死にたがる」

「生きられるなら生きたいけど」

「難病か何かなわけ？」

　初音は考えるのをやめたようだ。意味が分からない、と言いたそうに思えた。

「誰かに渡せるなら、別にそれでいいよ。生きたくても生きられない人だっているんだから、って言われたら、それまでだし」

　昨日よりも気分は落ち着いている。一晩経って初音の存在に慣れてきたのかもしれない。

「でもこの痛みとか寂しさとか、それだけじゃなくて、幸せも懐かしさも、私のだからさ。他の誰のでもない。他の誰にも渡せない」

「…って言ってられたのも昨日のうちまでだな」

　初音の蒼白い顔が目の前に迫る。額と額がぶつかった。

「明るく生きようって思ってた。でももうダメそう。もうムリだな、って。何度も繰り返すの。今なら死んでも後悔ないな、って。死ぬ直前に後悔しないな、って思う時が、来るの」

　そう笑えば額に指がぴんっと跳んでくる。

「死ぬ時後悔しないかどうかなんて分からないだろうが」

「ホント。まさかこんなことになるなんて。寿命が半分になったって、まだ実感ないし。信じてないけど。でも正直少しショックだと思うところもあって」

　初音の目を見ていられなかった。眉根が震えて、喉が潰れそうに痛い。

「まだ生きたいって思えるのに。それで死のうとして。命半分なんて」

「…これが人の業か。何度か見たぜ、そういうの」