5.愛のギシアン

 天使は考え込んでいた。ここ数週間にわたり対象の男女を観察していたが生活に全く変化がない。女神は本当に愛の矢を打ちこんだのだろうか。少年はそれまでと変わらない様子でナンパや合コンに励み、毎日別の女性と身体を重ねている。


 少女は少女で夜の街に立ち、一晩当たり数人の客を引いているようだ。しかも相手の男性をやたら引っぱたいていてまともな性交渉とは言い難い。相手は主に中年男性なのだが、中にはもっと叩いてくれ、踏んでくれなんて言い出すブタも居たりした。


 もしかして、これならかねてから考えていたことが実行に移せるのではないだろうか。しかも今回は女神に愛の水差しを託されている。これをうまく使えば女神の計画を実行している振りをしながら自らの計画を進められるかもしれない。


 そのためにはまずこの水差しの機能を確認する必要があるだろう。天使は手近な場所で愛を育んでいるつがいを探しに行った。


 一組目は若い男性と妙齢の女性の組み合わせだった。狂ったように男の身体を求めるその姿は艶めかしくて艶がある。だがやっていることはごく普通で、もっと刺激的な光景を期待していた天使にとっては物足りなかった。


 それでも愛を回収してみようと水差しの力を使った。するとベッドの上の男女どちらも突然なにかした不足を感じたようで、それまでよりも狂おしく相手を求め始めた。


 どうやらこの建物には他にも愛の営みの気配が感じられる。天使は別の部屋へと移動した。そこでは中年の男女がせっせと励んでいる。見た目はあまり良くないが光景としては面白い。


 なぜならば腰を動かして攻めているのは女性だったのだ。腰にベルトのような物を巻いて男性の下腹部を攻め立てている。珍しい光景ではあるが天使の趣味ではないので水差しを使って先ほど回収した愛を注ぎ込んだ。すると二人は突然満足してしまったかのように真顔になり、一人ずつシャワーを浴びに行ってしまった。


 なるほどそう言うことなのか。天使は一人納得し、つまり対象の少年少女が誰かを求めようとしたら愛を注ぎ、二人が一緒の時に愛を取り上げてお互いを求めあうよう仕向ければ良いのだ。


 だが、それでは結局、固定された青少年か肉体からだを求めあうだけで、とても健全とは言えないのではないだろうか。本当に女神の計画が正常で正当なものなのか、口には出せないが疑問に感じている天使だった。これは女神よりも天使のほうが地上通でありモラルがあると言える。


 女神を疑いだすとキリが無く、疑心暗鬼のままに水差しを使っていいのか悩んだ天使だが、愛を汲みあげること自体は悪くないと考えた。なぜなら自分の夢である『愛の堕天使』となるためには多量の愛が必要になるからだ。


 このままなるべく長く地上へ留まり、愛を大量に集めて自ら消費する。そうすれば穢れた天使の魂は堕天し、魔力を得て淫魔として生まれ変われるに違いない。その行動と原理に根拠はなかったが、天界で読んだ書物には、過去堕天した大天使は神へ逆らったことで天界を追放されサタンとなったと伝えられている。


 神は言いつけを破った人間たちを神の楽園であるエデンから追放したが、その罪自体は憎んでもアダムとイヴ自体を憎むことは無くその後も生きることを赦した。しかし天使長であったルシファーは処分が甘すぎるとして神へもっと強い罰とするよう進言したのだ。


 しかし受け入れなかった神とルシファーはいつしか対立関係となり、ルシファーは地へ堕ち、悪は裁かれるべきでありその受け入れ先を用意する必要があるとして魔界を創造した。つまり神と対局となるまでに高位となった大天使がサタンであり、その行動理念にのっとればサタンの元に呼ばれ堕天できるだろう。


 天使は愛の女神の遣いであったが、現在の役目に満足していなかった。天使たちは愛を与えるだけの存在、産まれてくる子供たちが平等の愛を得られるように、その肉体へ愛の素を規定量だけ注ぎ込むのが役目だ。しかしそれが活かされるかどうかは親次第である。


 産まれた子が平等に愛の素を持っていても、親がそれを受け取り子供へ返してあげるというサイクルがなければどちらにも愛は実感できない。だが地上界は今や信仰心も少なく世の中は荒んでいて、恵まれ過ぎ満ち足りすぎている。


 その結果、愛を感じられないまま成長していく子供たちや、そもそもまったく注がれていない子供まで出て来てしまう。今回愛の女神が実験個体として選んだ少年少女もやはり歪んだ愛を育まれてしまった者たちだ。

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