戦後の大改革

【内戦後の大混乱】


さて、1937年に北京郊外にある盧溝橋で日本軍と国民革命軍が衝突する事件が発生し。互いに負傷者を出す。


→これをきっかけに、当時対立関係にあった赤の共匪たる中国共産党と和解し。

2回目の国共合作を締結。

中華統一戦線を結成すると共に。

以後45年までソ連、フランス、イギリス、アメリカを主要とする連合国に中華民国も加盟。


→無事に物資の支援を取り付け降伏。

同年9月2日に、米軍戦艦ミズーリ号での調印式で調印して終戦を迎えるまで。

続いていたのが皆さんも、ご存知の日中戦争(抗日戦争)だ。


・32〜45年の13年間存在した「満洲国時代から日本の投資と本土から我が国の移民移住」


・そして、重工業地帯として開発が進み中華の地で当時にしては華北や江南に匹敵する程栄えていた

東北部を抑え、更にはヨシフスターリン事ジュガシヴィリが書記長を務めソビエト全連邦共産党率いるソ連の武器の援助もあってか。


→かなり優勢だった毛沢東を中心とする人民解放軍に、46年から49年に蔣介石先生をトップに据える国民革命軍が負けるまで戦い合うも。

第二次国共内戦(中華共産革命)を経て。

台湾へ、政府首脳及びその国民党員の親族一同を連れ逃亡。


→米ソ東西冷戦、朝鮮戦争に。

72年のアルバニア決議で、国際連合を脱退英米ソと並ぶ全ての国々を代表する常任理事国。

所謂「世界の警察官」の座を剥奪され、脱退した。


→更にはマルクスレーニン主義(過激な社会主義)に基づくプロレタリア革命の脅威を含む数々の混乱が待ち受けていた。


【地獄のどん底からのどんでん返し】


だが、蔣介石先生そして国民党の皆さんは決して諦める事はなかった。


「一つ失敗すれば、一つ進歩する」

孫中山先生.


と、仰る通り絶望の状態から這い上がってきたのか。

紐解いていくと以下の事柄が浮かび上がる↓


・日本統治時代のインフラを利用、3度の

農地改革実施で食料自給率を上げ

輸出でその分多く稼ぎ、経済を発展


・その金で三民主義教育、陸海空の兵器開発、半グレヤクザ全ての犯罪者の摘発に

資金を長期に渡り、投資し識字率を向上


・この世のあらゆる社会主義(ナチズム事国民社会主義、毛沢東思想、社会民主主義)を取り締まり「伝統ある数々の神社、道教の寺院等の宗教そして貴重な文化財世界遺産、歴史を守り抜いた」


と、理由は考えられる。

軍政→訓政→憲政からなる三段階に分かれ、順番を踏んで基本的に近現代の私達人類の社会(特にアジア圏)は進歩すると。

孫中山先生は、三民主義の一貫として教えを説かれた。


皆さんはご存知かとは思うが、中華民国は実態は不十分であったが。

・議会や警察、国民革命軍、政党が存在していて、ある程度工業化が進んで軍閥も北伐の実施で一掃されつつ経済発展し

・上記の抗日戦争及び第二次世界大戦で米英仏ソと並ぶ戦勝国代表でもある


そして何より1927年に、訓政に移行と公式に宣言したのが何よりの証拠である。

それもあり、結果的に。

台湾社会は韓国、香港、シンガポールと並ぶ通称アジアの虎と呼ばれる程。

だいぶ成長したのだ。

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