第二節 舶来庭園ノ怪

第七討 モダンガァル

 図書室怪を討ち倒した翌週。


 思わず命がけの探索となった事から、ゲンジョウより出された特別報酬。それを受け取ったヨーコは、友人と共に喫茶店へと訪れていた。


「珍しいわね、ヨーコの方から喫茶店に誘ってくるなんて」

「あはは……まあ、色々あって発散したいんだよ、うん」


 テーブルを挟んで友人と向き合い、他愛のない話に花を咲かせる。本来ならば女学生というのは、こうした日常を送る事の方が多いのだ。不可思議な世界へ放り込まれて命がけで化け物と戦う日常など、決して、断じて、日常などとは認めない。ヨーコは強く強く心の中で言い切った。


「アルバイト、いいの見つけたんだ。近頃お昼もちゃんと食べられてるみたいだし」

「いやいや、今までもちゃんと食べてたよ?」


 友人の言葉にヨーコは反論する。が、簡単に切り返されてしまう。


「女学院に通う年頃の乙女の昼食が、塩むすび一つ。それを世間ではちゃんとしたお昼とは言いません。アンダスタン?」

「ぐぬっ」


 ピッと長スプーンでヨーコを指す。サクリと甘味にそれを入れ、口へ運んだ。ヨーコに乙女の何たるかを教示する彼女の名は結子ユウコ日照雨そばえユウコである。今を時めくモダンを取り入れた彼女は実にお洒落で、帝都を行く女子たるを体現していた。


 黒髪にウェーブを掛けて前髪を両サイドへ流して耳を覆い、後ろ髪の毛先を後頭部へまとめた、耳隠しと呼ばれる髪形に薄緑色のクロッシェ帽。水色の膝丈ミディワンピースの上から、弓矢柄が並んでいるような矢絣やがすり柄の赤の長羽織を羽織って前で結ぶ。足元は白のソックスに黒のパンプスだ。


 なんちゃってモガで服に着られているヨーコと比べると、瑞穂と舶来、二つの衣服を纏う彼女はまさにモガモダンガールと言えよう。


 ヨーコの事を見る眼は薄紫、背丈はユウコの方が二十センチ低い。それ故に、対面に掛ける彼女は少し上目遣いでヨーコを見ていた。


「入学から一年来の付き合いだけど、ヨーコは本当に…………」

「いや、本当に、何!?ちゃんと最後まで言って!?気になる!」


 身を乗り出すヨーコの様子に、ユウコはコロコロと笑った。二人は高等教育学校入学の折に出会った友人同士だ。だが、その始まりは何とも間の抜けた話である。






 よりにもよって入学式の当日に寝坊したヨーコは、石畳の道を全力疾走。


 制服は一応あるが絶対ではない夕月女学院。その制服は紺を主として、裾や袖に白のフリルが付けられたブレザーワンピースだ。


 黄色い輪郭の満月と、それを三日月状に欠けさせる水色の地球照うっすら暗い部分の校章が胸にある。ワイシャツのように白いボタンが前面に配されており、落ち着いた印象の中に楚々としたお洒落を盛り込まれているのだ。


 だが特に地方からのお上り、外様とざま組は制服を選ばない事が多い。帝都組に負けてたまるか、という矜持きょうじゆえだ。


 しかしながら、それがヨーコの足を引っ張った。寝坊した上に服選びに時間を取ったせいで、普通に走る程度では間に合わない時間に家を出る事になったのだ。陸上部も真っ青な速度で曲がり坂を上り切り、馬車馬も二度見る速さで道を駆けた。


 羽織が向かい風を受けてはためき、手にした革鞄が前に後ろにブンブン振られる。大地を蹴る足は独楽こまが回転するが如くの動き、額からは玉の汗がしたたり飛ぶ。


 校門が見える、なんとか間に合った。その安堵と共にヨーコは敷地内へと飛び込んだ。


「ぜぃ、ぜぃ…………、ま、間に合ったぁ…………うげほっ」


 両手を膝に突き、肩で息をする。しばらく動けそうにないが大講堂は入って右に少しの場所、ゆっくりでも十二分に間に合うだろう。ヒィヒィと息を切らす彼女を横目に、他の女学生たちはくすくす笑いながらのんびり歩いて通り過ぎていく。


「あらあら、随分と元気な子ねぇ。髪の毛が汗でべったり」


 頭を下げて荒い息をするヨーコの頭上から、涼やかな声が掛けられる。その声の主は、ゴールテープを切った選手ヨーコに目線を合わせるためにすっと屈んだ。


「あ…………あな、た、は……うぶっ」

「ここで吐くのは、お止めなさいな。たぶん教師に摘まみだされるわよ?」


 同じ年齢と思しき女子に忠告され、ヨーコは腹の内から出そうになった物を無理やり引っ込める。往来のド真ん中で立ち止まっているどころか、今にも嘔吐しそうな邪魔者を一部の女学生たちが迷惑気に見ていた。


「ほらほら、こんな所じゃ邪魔邪魔。あっちの長椅子ベンチに行きましょ」


 腕を掴まれてグイと引っ張られ、ヨーコはヘロヘロながらも何とか長椅子に辿り着く。到着と同時に彼女は、仰向けに倒れるようにそれに腰を落とした。


「がふぅ……。し、死ぬぅ…………」

「女学院の敷地で野垂れ死に、随分と稀有けうな事件になりそうね」


 少々瞳孔が開きかけているヨーコを見て、釣り鐘型で頭をスポッと覆うような薄緑色のクロッシェ帽を被った彼女はコロコロと笑う。


「ま、そんな騒ぎになられても困るから。はい、これどうぞ」


 そう言って彼女が差し出したのは、包み紙に覆われた飴玉だった。


「あ、ありが、と」


 息も絶え絶えにそれを受け取り、包みを剥いでポンと口に放り込んだ。すると。


「ぬふあぁ~っ!スッとするぅっ!鼻に抜けるっっっ!!!」


 甘いと思っていた飴は、過剰な程の清涼感の塊。渡された飴は薄荷ハッカ飴であった。舐めた瞬間にペパーミントの刺激が口内に広がり、嚥下えんかした唾を介して鼻に直撃する。その威力によって吐き気は消えたものの、それが直撃した鼻を押さえてヨーコは悶えた。


「あっはっは、本当に面白いわね、貴女」

「うぐぐぅ」


 手で口元を隠しながら、恩人なのか愉快犯なのか分からない彼女はまた笑う。不満はあるが、助けられたのは事実。ヨーコは彼女に礼を言った。


「ありがとうございます、助かりましたぁ」

「素直にそう言えるのは良し。貴女、お名前は?」


 聞かれてヨーコは自己紹介。対して彼女も自身の名を告げる。


「私は結子ゆうこ日照雨そばえユウコ。日が照っているのに雨、で、ね」

「随分珍しい名前ですねぇ、聞いた事もない」

「そうね。私も私以外知らないわ」


 そう言って彼女はひらりと手を振る。


「あ、日照雨さんは上級生ですか?とっても落ち着いてるし……」

「貴女と同じよ、今日が入学式。楽しみねぇ」

「そうなんですか!わぁ、いきなり友達が出来ちゃった!」

「あらあら、あっという間の友達認定ね。まあ良いけど、これからよろしく」

「はいっ!」


 元気よく、満面の笑みでヨーコは返事をする。だが、ユウコは少々不満げな目線を彼女に送った。


「友達ならもうちょっと砕けても良くないかしら?」

「え、ええと…………。う、うん!」

「はい、合格」


 その言葉と同時に、彼女は人差し指でヨーコの額をつついた。それを受けてヨーコは、随分と大げさに仰け反って見せた。景色が上下反転するほどに身体を動かした彼女は、そこで緊急事態を思い出した。


 弾かれたように長椅子から立ち上がったヨーコ。完全に焦った表情で、彼女はユウコに迫った。その勢いたるや、顔が接触しそうになる程だ。


「そうだ!遅刻!!!入学式始まっちゃう!!!急ごう!」

「何言ってるのよ、貴女」

「へ?」


 大焦りのヨーコに対して、ユウコは先程までと同じく余裕綽々しゃくしゃく。彼女の態度と言葉の意味が分からず、ヨーコは小首をかしげた。


「入学式まで、まだ一時間近くあるわよ?」

「え、嘘」


 真実を伝えられて、ヨーコは大講堂に取り付けられた大時計に目をる。その長針と短針は、余裕をもって時を刻んでいた。


「なあぁぁぁ…………」


 それを見たヨーコは、へなへなとその場に崩れ落ちる。


「あっはっは、まさか時間間違えで走ってきたの?本当に、本当に面白いわね、貴女」

「うぐぅ、ぐうの音も出ないぃぃぃ…………」


 反論したいが、自身の間抜けさ加減に赤面しか出来ない。彼女の事を腹を抱えて笑うユウコは、その目に涙すら浮かべていた。


「そこまで笑わなくてもぉ~」

「ふふふ、ごめんなさい。お詫びに髪の毛、整えてあげるから」


 くくく、と含み笑いを残しながらもユウコは鞄からくしを取り出す。少しばかり不満はあるものの、ヨーコは長椅子に掛け直す。彼女に背を向けると、ユウコは丁寧に髪をき始めた。が、それも長くは続かなかった。


「毛まで面白いわね。どれだけ寝かせても跳ねてくるわ……ぷはは」

「もー!」


 大笑いするユウコにヨーコが抗議する。


 二人の出会いは何とも可笑しな出来事であったのだ。そんな二人は二年連続で同じクラス、更には席もずっと隣である。友情は変わらず、今日も仲良く向かい合って笑っているのだった。

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