第8話  聖剣『神聖英雄剣』と、ただの剣『少年の希望』


 魔王とのその戦いより、ずっとずっと前のこと。


 神気立ち昇る聖剣を一閃。それだけで真っ二つにしてみせた、自らに倍する巨体の鬼を。間一髪、少年を救ってみせた英雄は。

「ハーッハッハ! 危ないところだったな、少年!」

 神気上げる剣を肩に担ぎ、胸を張って背を反らせる英雄の姿は。遥か遠いものに見えた。自らの剣を取り落とし、地べたに尻をつけた少年には。


 その英雄が歩を進め、手を差し伸べる。大きな熱い手が、少年の手を取った。

 少年は思わず振りほどこうとした――自分の薄汚れた手袋が、その人の手を汚すのを怖れて――。

 だが。英雄はなおも強く、少年の手を握る。そうして彼を引き起こした。真っ直ぐな眼差しが少年の目を見た。

「大丈夫か。駆け出しの剣士といったところのようだが……無理はしないことだな」

 顔をうつむける少年。


 一方、英雄は自らの聖剣を日の光にかざす。

「もっとも心配は要らぬがな! 諸悪の根源たる魔王は近く、この英雄が屠ってくれよう! ハーッハッハ!」


 口を開け、よだれさえ垂らして。少年は英雄を見ていた。見上げていた、遥か遠くのように。

 それでも、唾を飲み込み。一歩踏み出し、ひざまずいた。

「弟子に。どうか俺を弟子に、お取り下さい……!」


 英雄は剣を鞘に納め、高らかに笑う。

「ハーッハッハ! 励めよ弟子よ!」




 それから少年は、英雄について回った。

 英雄に特定の仲間はなかった。けれど行く先々で、様々な剣士、魔導師ら冒険者の類と知り合い、共闘し。それらの元締めたる組合(ギルド)とすら、友好な関係を築いていた。


「なに、大したことではない」

 英雄はそう語った。

「礼節、感謝、謝罪を欠かさず。腹に含むものなく語り。共に戦うに全力を尽くし。共に酒を酌み交わす。それだけでよい」


 少年は剣を振るった、英雄に付いての実戦もだが、それ以上に稽古のために。それでも英雄との差が、少しも埋まった気はしなかった。


「なに、大したことではない」

 英雄はそう語った。

「基本の素振り。基本の素振り。基本の素振り。実戦経験を経ての、基本の素振り。それだけでよい。君は強くなる、この英雄は嘘をつかぬ」


 少年はそうした。人づき合いも剣の稽古も。

 それでも、英雄にはなれなかった。近づけているという手応えすらなかった。


 英雄はある夜、語った。

「大したことではない。大したものではないのだ、この私も」

 大嘘だとしか、少年――いや、すでに青年――には思えなかったが。


「本当に、大したものではない。全てはこの剣あってのことに過ぎぬ」

 英雄は視線をうつむけ、腰の聖剣を見る。それは今も静かに神気を発していた。

「魔王を屠ることのできる、唯一無二のこの剣。そのまとう神気は、刃そのものの斬れ味を越え、あらゆる魔物を容易く斬り裂く。どころか、この剣持つ者に、魔物は触れることすらできぬ。よほど強力な魔物でもない限りはな。……この剣を使うことができる、私の価値はそれだけに過ぎぬ。英雄の血を引くという、それだけ。たったそれだけのことで私は、英雄と呼ばれているのだ」


 青年は表情を変えなかった。その顔は氷のように固まっていた。――ああ、そのたったそれだけが。俺には何と遠いことか。


 ため息をついて英雄は言った。

「そう、本当にそれだけなのだ。言ってしまえば、この剣は誰にでも使える。英雄の血を、その手に持つなら」


 瞬間。青年は剣を抜いていた。愛用の、何の変哲もない剣を。突き立てていた、英雄の背に。その広い背から吹き出す血を浴びながら、青年はじっと見ていた。

 英雄が目を見開き、声も立てずにくずれ落ちるのを。信じられないものを見るような目で、床の上に伏して青年を見上げるのを。その体がやがて震えを止め、その目が焦点を失い、英雄が息絶えるのを。

 青年はじっと見ていた。柄を握ったままの自分の手が未だ硬く震えているのを。愛用の古ぼけた手袋が血に染まっているのを。自分の腕も胸も、同じく汚れているのを。


 そうして、やがて引きはがすように自分の剣を放し。抜き取った、英雄の腰の聖剣を。返り血にまみれたままの手で。

 腰に腹に、胸に頬に、その目にまで赤く血を浴びた青年は、その剣を天に掲げた。白く澄んだ神気を上げ続ける、その剣を。

 それを手にした者こそが英雄と呼ばれる、その剣を。

 だから。自分こそが。今は、これからは――英雄。




 ――おや、震えていらっしゃる。震えていらっしゃいますなお客様。先程から、歯のかち合う音すら立てて。

 確かに確かに青年の行為、悪鬼の如しでございますが。いったい、何がそこまで怖ろしいと? 酷いといっても他人事、終わったことではございませんか。問題の聖剣がここにあるということは、全て昔語りではございませんか?

 

 ……いいや。そうではございませんね。昔語りでも他人事でもない。いや、終わったことではあるのかも知れない。お前が、やって終わったこと。


 なんとなんと、どうされたので。急に腰の剣など抜いて。それを私に突き立てようと? お前が、英雄にしたように。

 丁度いい、比べてみるがいい。お前の手にしたその剣と、ここに抜いたる『少年の希望』。――同じだ、剣身の長さも幅も。切先の欠けた形も。柄に走った傷の位置さえ。同じだ、二つは。同じ物だ。


 さらに言えばそちらの包み、後生大事に布を巻いた、神気が漏れぬように巻きつけた、お前の荷にあるその包み。それも同じだな――もう一つ出したこの剣と。『神誓英雄剣』そのものと。お前が今日だか昨日だか、英雄を殺し、奪い取ったその剣と。


 唯一無二の聖剣が、なぜ二つあるのか、と? 

 そうだな、だろうな、気になるだろうな。だからお前はこの店に来た、【英雄の聖剣、譲ります】などと、貼り出したこの場所に。

 ……英雄はな。乗ったんだよ、取り引きに。魔王の言った取り引きにな。正しくは英雄ではなく、その剣を奪った偽英雄は、真の英雄を殺したお前は。

 この先二人の仲間を得て、さらに先、魔王に挑んで。仲間を無残に失って、不様に死にかけたお前は。

 つまり、俺は。この先のお前は――。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る