第13話 正統な王位継承者

 時は、数日前に遡る。


 冬の朝陽の中、慈英じえいは少数の手勢―この中には、瑞を追放された時から慈英に随伴している側近もいれば、焔で新たに東仁とうじんから下された武人もいた―を引き連れて、焔の東側海岸にやってきていた。慈英の傍らに立つ小柄な零玄れいげんが、いつもと同じ柔和な笑みで言う。


「さて。お約束の早船はこちらになりますが。貴殿の策、成功の見通しはあるのでしょうな」


「任せとけって。あんたら国軍が国境でやりあっている間に、俺は密かに少数の手勢を引き連れて、半島の東を船で南下、直接王都へ乗り込む。半島の東は海流が激しく、普通、船は通れない。だがな。ある時間帯、底の浅い小船一艘くらいなら抜けられる場所があるんだよ。それを俺は、半島東側の小島に流されて知った。護衛府の奴らが物資を届けにくる決まった時間。あの一瞬だけは、海流が凪ぐ。奴らは、その小島周辺のほんの狭い辺りだけ海流が弱まると話していたが、それは違う。俺は、その時間帯に、何度も泳いで半島に渡ろうとしたから分かる。毎回失敗して死にかけた俺は、そのおかげで、あの一瞬、焔の東側も、本当に僅かな地帯だけだが、海流が凪ぐのを知った。俺は、そこを抜けて行くつもりだ」


「なるほど」


「まさか、俺の流刑生活がこんな風に役に立つとは、人生って皮肉だよな。俺は、奴らが国境に意識を向けている隙に宮殿に潜り込んで、女王を捕らえる。王都は戦で混乱しているだろうから、俺達が農民姿で紛れ込めば、誰も気づかない」


「宮殿で貴殿が返り討ちにあう可能性は?」


「俺に最も反抗的だったたちばなは前線に出ているだろうし、そもそも宮殿には文官しか残されていないはずだ。あんたらが海軍を持っていないことは周知の事実。だから、瑞の奴らは、戦力のほとんどを、陸の国境に集中させるはず。宮殿に武官がいたとしても、女王を人質に取れば、絶対にこちらに手出しできない」


 零玄が満足そうに頷いた。


「なるほど。貴殿の策は理に適っておりますな」


「島に流された4年間、俺は、ただそのことだけを考えて生きて来たんだ。俺の策に穴はねえよ。じゃあな、狸爺たぬきじじい。次に会う時は、貴殿じゃなく『慈英国王陛下』と呼べ」


 そして慈英は、手勢と共に、瑞の王都目指して旅立ったのである。


 花月達は正殿で、慈英が滔々とうとうと語るのを無言で聞いていた。慈英は、自らの策に酔ったように話し終えると、両手首を縄で縛って床に座らせている花月を見下ろした。


「お前は追放だよ、偽物の女王様。俺と同じように荒れた島に送ってやるから、惨めにくたばれよ」


 そして花月の背中を思い切り蹴飛ばし、床に転がした。宮殿は再び悲鳴に包まれる。ひさぎが怒号を発した。


「この逆賊が! 女王陛下から離れろ!」


「は? お前、自分の立場ってもの分かってねえな。偉い奴らはとりあえず処刑だよ。俺の配下がお前らの後を継ぐから、ご心配なく」


 慈英が頷くと、長官らの背後に控えていた彼の配下達が、太刀を抜いた。その中には、かつて、この瑞の宮廷に仕えていた者の姿もちらほら見える。花月は床に転がったまま、鋭く言った。


「待ちなさい、兄上! 彼らを処刑したら、あなたは一生、王位を得られない!」


 正殿が静まる。慈英が眉を吊り上げて花月を見下ろした。花月は、腰をよじってどうにか体を起こすと、慈英を見上げて不敵に笑った。


「瑞のは、五大府の長官全員が連名で記載した、『奉祝ほうしゅくの書』を受け取ることになっている。それが、即位式の奉祝の儀よ。各府の長官は、前国王が指名した者以外はと認められず、その五名は、ひと月の間、祈祷殿に籠って祝詞のりとを唱え、ひと月目の朝に、奉祝の書をしたためて即位式を迎える。瑞の第一王子たる兄上ならば、当然知っているわよね?」


 花月は、『正統な』という文言を、殊更に強調して述べた。案の定、自身の血筋に異常なまでに執着している慈英は、配下に刃を下ろすように合図し、腕を組んで花月を見下ろした。


「……貴様のような卑しい人間が、正統を語るな」


「ええ、そうね。けれど、私が現在の国王であることは事実。そして私は、そこの彼らを各府の長官に任命している。つまりあなたは、彼らが記名した奉祝の書が無ければ、いくら自分勝手に王を名乗ろうとも、死ぬまで一生、瑞のにはなれない!」


 静まり返っていた正殿に、慈英が再び花月を蹴り倒す音が響いた。花月は床に体を打ち付けられ、低く呻く。女官達の泣き声があちこちから聞こえる。慈英は暫しその場で恐ろしい表情で突っ立っていたが、やがて配下の者に鋭く命じた。


「そいつらを、地下牢にぶちこんでおけ!」


 配下の者達が長官らを連行していくと、慈英は辺りを見回して酷薄な笑みを浮かべた。


「安心しろよ。俺は、王位を取り戻しに来ただけだ。この中にも、本心では、こんな偽りの王じゃなく、本物の王が戻って来るのを待ち望んでいた奴らだっているだろう? 俺は、この女を国から追放することが出来れば、お前達官吏には手を下さない。……まあ、この慈英国王陛下に反抗しなければ、という前提だけどな」


 そして、倒れている花月を引きずり上げて、皆の前に突き出した。


「今回の侵略は、こいつの責任だ。俺が王だったら、こうはならなかった。こんな事態を招いたのは、卑しい血筋の女を後継に指名した、慈円の責任だ! この花月の失政だ! ……お前達官吏も、本心ではそう思っているんだろう?」


 慈英の辛辣な言葉は、花月の心を深くえぐった。けれど、ここで項垂れるわけにはいかない。官吏達から抗議の声が上がりそうになったのを、花月は咄嗟に制した。この興奮状態の兄に逆らったら危険だ。宮廷の臣下を、守ってやらねば。


「ええ、そうね! そうかもしれないわ。あなたの望み通り、私を追放しなさい。但し、宮廷の官吏にも民にも、罪はない。彼らには危害を加えないで!」


「お前に言われる筋合いはねえよ! 元より俺は、この国の正統な王位継承者だ。国民を守るのが俺の義務だからな」


 正殿の官吏達の瞳には激しい動揺と不安の色が浮かんでいたが、慈英はそんなことはお構いなしに言った。


「この偽りの女王は、明日追放だ。さて。宴の準備をしてもらいましょうかねえ。記念すべき第一王子のご帰還だ、派手に頼みますよ、女官の皆さん!」

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