花と鬼
愛崎アリサ
瑞の章
第1話 瑞の王女
「父上! これをご覧下さい!」
瑞の王女・
「おお。美しいのう、花月」
「はい! 侍女の
そう言って、彼女は父王を見上げて笑顔を見せた。陶器のように滑らかな白肌に、肩上で切り揃えられた漆黒の髪。黒く濡れた瞳が、春のうららかな陽ざしを受けて輝いている。真紅の着物と髪飾りが、彼女のあどけない美しさを際立たせていた。父王に頭を撫でられた花月は、くすぐったそうに笑ってお辞儀をすると、踵を返して侍女の元へと駆けて行ってしまった。慈円の傍らにいた護衛府の長官・
「なんというお美しさでしょう!
「はっは。世辞も大概にせよ、橘」
「いえっ、本心にございます!」
近頃、一般官吏から長官に登用されたばかりの朴訥なこの武人は、憤慨のためか羞恥のためか、四角い顔を赤くして憮然としている。慈円は、くっくっ、と忍び笑いをしながら、彼を伴って満開の桜の中を歩き始めた。
「して……どうじゃな、最近の情勢は」
楽しそうに歓談している人々の合間を縫って歩きながら、慈円がさりげなく言う。酒の振舞われている宴席は賑やかで、人々は頬を染めて大声で食べたり、話したり、笑ったり。国王の姿を見て嬉しそうに頭を下げる人々に、慈円は朗らかに笑って手を振り返している。
「……はッ。先日の、暁の国での王位継承以降、周辺諸国は
「暁か……。先日崩御された
「はい。暁の新国王様は、数日前に我が隣国の
「あいわかった。焔の方はどうか?」
「国王の東仁様は、相変わらずの放蕩ぶりにございます。但し東仁国王には、あの、狡猾さでは右に出る者はいない、と噂される
「ふむ、零玄か……厄介な男よの。もう50を過ぎたかと思うが、勢いは衰えんな。この半島に位置する我が国から見れば、半島の付け根に位置するあの焔は、言わば『蓋』のようなもの。あ奴らがいる限り、わしらはアズマ列島内陸に向かうことが出来ん。嫌な場所に嫌な奴が国を興してくれたものじゃな」
しかめ面をして顎髭を撫でる慈円に、橘は苦笑した。
「ええ。よりにもよって、ですな。しかし、少なくとも現在は、同盟関係でこそないにしろ、表面上は良好な関係を保っておりますし、我が国王陛下のお人柄と外交手腕があれば、東仁など恐れるほどの相手でもございませぬ」
慈円は「ふむ……」と呟いて沈黙していたが、やがて言った。
「一つ……大きな懸念がある」
「は……懸念、にございますか」
「お主も知っておろう。我が息子、
橘は「ああ」と頷いたまま、口を噤む。瑞の第一王子、慈英。王女・花月の7つ年上の兄で今年17歳になる、慈円の長男だ。慈円は、青空に舞う花吹雪の下で、顔を曇らせた。
「あの馬鹿息子、どうやら、焔の王都に出入りしておるようでな。奴につけていた密偵の報告によると、どうやら賭博場に出入りしとるらしい」
「賭博?!」
潔癖なる武人、橘の押し殺した声に、慈円は、白い髭を撫でながら忌々しそうに頷く。
「我が息子ながら、呆れた奴よ。あ奴が、焔に取り込まれねば良いがと心配でならん」
「まさか……」
橘は、慈円の見つめる先に視線を向ける。そこには、春の光の中、美しい桜の花のように笑っている、王女・花月の姿があった。
「王子と王女。二人のうち、王位をどちらに渡すべきか……。わし亡き後、この麗しき瑞の都を、将来に渡って繁栄に導いてくれるのは、一体どちらなのであろうな」
「陛下……」
視線の先で、花月がふいにこちらを振り向いた。父王の姿を認めた彼女は、ぱあっと顔を輝かせると、青空を背景に、嬉しそうに走って来る。慈円がたちまち顔を綻ばせた。
「……まあ、まだまだ先の話じゃな。あれはまだ幼い。ほんの赤子のようなものじゃ」
橘は苦笑する。国王の、娘の溺愛ぶりは、瑞の者ならば誰でも知っていることだった。
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