花と鬼

愛崎アリサ

瑞の章

第1話 瑞の王女

 ずいの国の王都では、国王の在位35年を祝って、華やかな春の宴が催されていた。晴れ渡る青空の下、満開の桜吹雪の中を、一人の愛らしい少女が駆けて来る。


「父上! これをご覧下さい!」


 瑞の王女・花月かげつだ。今年十歳になったばかりの花月は、両てのひらに載せた薄桃色の桜の花びらを、父王に差し出した。瑞の国王・慈円じえんは、目尻に皺を寄せて彼女に微笑みかける。


「おお。美しいのう、花月」


「はい! 侍女のきり牡丹ぼたんと共に、落ちて来る花びらを拾い集めていたら、こんなに沢山になってしまいました。良き日ですね、父上。ご在位35年、誠におめでとうございます」


 そう言って、彼女は父王を見上げて笑顔を見せた。陶器のように滑らかな白肌に、肩上で切り揃えられた漆黒の髪。黒く濡れた瞳が、春のうららかな陽ざしを受けて輝いている。真紅の着物と髪飾りが、彼女のあどけない美しさを際立たせていた。父王に頭を撫でられた花月は、くすぐったそうに笑ってお辞儀をすると、踵を返して侍女の元へと駆けて行ってしまった。慈円の傍らにいた護衛府の長官・たちばなが、目尻を下げてため息をついた。


「なんというお美しさでしょう! 閉月羞花へいげつしゅうかとは、まさに花月様のためにあるような言葉ですな。あのお美しさの前には、花も月も、その姿を隠したくなるに違いない」


「はっは。世辞も大概にせよ、橘」


「いえっ、本心にございます!」


 近頃、一般官吏から長官に登用されたばかりの朴訥なこの武人は、憤慨のためか羞恥のためか、四角い顔を赤くして憮然としている。慈円は、くっくっ、と忍び笑いをしながら、彼を伴って満開の桜の中を歩き始めた。


「して……どうじゃな、最近の情勢は」


 楽しそうに歓談している人々の合間を縫って歩きながら、慈円がさりげなく言う。酒の振舞われている宴席は賑やかで、人々は頬を染めて大声で食べたり、話したり、笑ったり。国王の姿を見て嬉しそうに頭を下げる人々に、慈円は朗らかに笑って手を振り返している。


「……はッ。先日の、暁の国での王位継承以降、周辺諸国はあかつきの動向を探っている模様にございます。各国は、強国・暁の、新国王の手腕を見定めている、というところでしょうな」


「暁か……。先日崩御された百鬼ひゃっき国王には、随分と世話になった。武に傾きすぎるのが玉にきずだったとはいえ、亡くすのが惜しい人物ではあったが……本日の宴には、暁の新国王も招待しておったな?」


「はい。暁の新国王様は、数日前に我が隣国のほむらの国に到着し、焔の東仁とうじん国王にも謁見を願ったようです。この瑞には今朝ご到着ですから、もう間もなくこちらにお出でになるかと」


「あいわかった。焔の方はどうか?」


「国王の東仁様は、相変わらずの放蕩ぶりにございます。但し東仁国王には、あの、狡猾さでは右に出る者はいない、と噂される零玄れいげんが、参謀としてついておりますゆえ。焔も表面上は穏健派を装っておりますが、暁の百鬼国王が崩御された今、腹の内では何を考えているか分からんですな」


「ふむ、零玄か……厄介な男よの。もう50を過ぎたかと思うが、勢いは衰えんな。この半島に位置する我が国から見れば、半島の付け根に位置するあの焔は、言わば『蓋』のようなもの。あ奴らがいる限り、わしらはアズマ列島内陸に向かうことが出来ん。嫌な場所に嫌な奴が国を興してくれたものじゃな」


 しかめ面をして顎髭を撫でる慈円に、橘は苦笑した。


「ええ。よりにもよって、ですな。しかし、少なくとも現在は、同盟関係でこそないにしろ、表面上は良好な関係を保っておりますし、我が国王陛下のお人柄と外交手腕があれば、東仁など恐れるほどの相手でもございませぬ」


 慈円は「ふむ……」と呟いて沈黙していたが、やがて言った。


「一つ……大きな懸念がある」


「は……懸念、にございますか」


「お主も知っておろう。我が息子、慈英じえいのことじゃ」


 橘は「ああ」と頷いたまま、口を噤む。瑞の第一王子、慈英。王女・花月の7つ年上の兄で今年17歳になる、慈円の長男だ。慈円は、青空に舞う花吹雪の下で、顔を曇らせた。


「あの馬鹿息子、どうやら、焔の王都に出入りしておるようでな。奴につけていた密偵の報告によると、どうやら賭博場に出入りしとるらしい」


「賭博?!」


 潔癖なる武人、橘の押し殺した声に、慈円は、白い髭を撫でながら忌々しそうに頷く。


「我が息子ながら、呆れた奴よ。あ奴が、焔に取り込まれねば良いがと心配でならん」


「まさか……」


 橘は、慈円の見つめる先に視線を向ける。そこには、春の光の中、美しい桜の花のように笑っている、王女・花月の姿があった。


「王子と王女。二人のうち、王位をどちらに渡すべきか……。わし亡き後、この麗しき瑞の都を、将来に渡って繁栄に導いてくれるのは、一体どちらなのであろうな」


「陛下……」


 視線の先で、花月がふいにこちらを振り向いた。父王の姿を認めた彼女は、ぱあっと顔を輝かせると、青空を背景に、嬉しそうに走って来る。慈円がたちまち顔を綻ばせた。


「……まあ、まだまだ先の話じゃな。あれはまだ幼い。ほんの赤子のようなものじゃ」


 橘は苦笑する。国王の、娘の溺愛ぶりは、瑞の者ならば誰でも知っていることだった。

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